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#27 生地胴=ジーンズ論 vol.3

■3 少年用の胴


ファイバー、樹脂といった化学製品の胴がスタンダードになってからもしばらく少年用の稽古向け防具として生地胴が残存し続けたのは、所謂「お下がり」か、道場や団体などの備品的な防具として受け継がれていたものが大半だと思われる。特に後者においては、他者との違いを個性として演出するのに具合がよく、反面、前者は「生地胴は古いものだから今風の流れに乗りたい」という同調の心理も手伝い、ますます減少傾向を辿ることとなる。
しかしながら、同調の中には非同調も生じるのは当然のことであり、次第に生地胴は、希少性の象徴ともいえる存在として昇華されていくこととなった。

少年用の生地胴。 こんなに小さくても竹胴なのかという事実に目が行く方も少なくないと思うが、これが作られた当時、コストを下げるためには「塗らない」という選択肢が必要だったのである。 (この画像は拾い物です)

■4 普遍から希少へ

少年用の生地胴について記述してきたが、もちろん成人向けのものも時を同じくして存在していた。しかし、稽古用の胴として安価なものが入手可能になっていく中であえて生地胴を選択するということはごく稀な事象であった。
重ねて、防具を新調する際に生地胴を検討しようにも「店舗での扱いがない」「まず入荷されることはない」ことのほうが一般的であり、何らかの形での特注しない限り、新しい生地胴を入手することは少なくとも筆者の周りでは困難であった。老齢の先生や、そこから譲り受けたというごく一部の愛好家が身に着けるという事例が多くを占めていた。
かつて稽古用として普遍性のもとにあった生地胴は、稀有な立ち位置に置かれるようになり、一部の物好きともいえそうな愛好家が漠然と抱く憧れの象徴になっていくのである。

ちょっとおことわり

文体が遊んでいるので読みにくいかもしれませんが、お許しください。
私が少年時代に所属していた道場は、ピーク時で門下生が100人くらいいました。
1980~90年代、昭和50~平成初期、そこにいた子どもたちの胴はほぼ100%ファイバー胴。1988年=昭和63にヤマト胴の製造元「ヒロヤ」の剣道具を扱う小売店がその地域にできるとチラチラと樹脂胴が出回り始めました。
「ほぼ」と書いているのは、ごくごく数人少年用生地胴を着けている仲間がいたからです。
でも思えばそういう子どもが使っている一式は誰かからの御下がりすなわち中古品だったんです。
諸々勘案すると、1980年代には子どもの稽古用に生地胴が新たに売られるということはほぼなくなっていた、ということです。
生地胴はいま、お店によってはコーナーや企画モノができるほどの「ブーム」となりましたが…約40年かけて生地胴はどのように市民権を得たのでしょう?
…ということをまだまだ書いていきます。

※ヤマト胴=樹脂製の胴。ヤマト胴という呼称はヒロヤさんの商標です

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