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#09 昇段審査の都市伝説 vol.3 ~竹刀の付属品が古いと不合格?

■数ある助言に追い詰められていませんか?

vol.2まで読んでみて、いかがでしたでしょうか?
昇段審査では、ここまでの「都市伝説」をそれと思うことがないまま合格してしまうケースが大半です。しかし不合格を繰り返し、トンネルにはまり始めるとたくさんの先生から様々な助言を受ける機会が増えていきます。

その助言に大きなプレッシャーを感じていませんか?

「初太刀を決め、相手に打たせないようにしなくては」と窮屈な剣道をせざるを得ない状況に追い込まれていませんか?

もしそうだとしたら、一度落ち着いてみましょう。普段あなたはそんなにダメな剣道をしているのでしょうか。
自分の剣道を見てもらう審査で、わざわざいつもよりもよくない剣道をさせられて、苦しんでいませんか。
自分はこんなに必死なのに、なんであの人は簡単に合格して帰ってきたんだろう…そんな思いをしていませんか。

vol.3は、ここまで受審者を追い込んでどうするのだろう?と感じるオマケ的な話です。さっそく過去に書いた文面の転載から進めます。

昇段審査の都市伝説 vol.3 ~手拭いも付属品も審査される?2017.4.28 記

■手拭いは白であること■


これも黒胴の話題と同じですね。
一応弁解しておきますが、黒胴にしても手拭いにしても、私はそれぞれが持つ意味合いを否定しているわけではありません。
たとえば、初めて出稽古に行くような場所であれば、私は黒胴に白手拭いで参じます。

繰り返しますが、審査は、あくまでも自己責任により自己表現をする機会でもあります。
そういった場において、
第三者が「~でなくてはならない」と言い切ることに疑問を呈しているわけです。

しかもその第三者の発言には、根拠はないものが散見します。
根拠があったとすれば、審査会場に色のついた手拭いを持った受審者が存在しないはずなのです。

白でなくてはいけない…としたら、某大学の茶色の手拭いはOK?という疑問も生じますし、それ以外の色の手拭いを身に着けて合格している人も何人も見ています。

「手拭いは白または紺」という人もいます。

この「または紺」という表現に、この都市伝説を唱えている人の自信のなさを感じます。
「白ではなくても紺だったら剣道着や袴、防具の色と同じだし、許されるんじゃないのかなー」という曖昧な見解が一人歩きしているものと思われます。
こういった曖昧な見解が一人歩きしたものが都市伝説化し、受審者を悩ませるのです。

なお、こういった都市伝説を吹聴する人自身が全国審査に合格していないというケースにたびたび遭遇します。

■剣道着、袴は新品が望ましい■

極度に色あせたものはどうかと思いますが…
新品の紫がかった藍色の道着、袴は、まだ糊が落ちきっておらず、ごわついているものが多いです。特にそれが袴ですと蹲踞して立ち上がったときに、広がったまま…なんてこともあります。これはみっともないですね。
ただ、これは気のせいかもしれませんが、最近は一時期よりも新品状態の道着袴で受審している人は少なくなったような気もしています。

ある程度藍色が褪め、落ち着いていて「濃紺」と呼べるくらいの色のものがいいような気がします。
とりあえず、「新品でなくては」ということはないでしょう。

なお、テトロン袴ではダメなのか?ジャージ道着ではダメ?
という声もたびたび耳にします。
いずれも折り目正しく、しっかりと着用できていればよいと思います。
「あ。○○○Aの受審者、テトロン袴だから不合格」
という判定はされないと思います。

ただし、テトロンの袴を履いているとどうも貧弱に見えるような気がします。しっかりと着こなすこと自体が難しいような。。。

ジャージ道着、袴も含めた化学繊維のものでの受審の是非について、見解を求められることがあります。

私自身は、審査会場でテトロンやジャージ、というのはありえないのですが、審査を受けようと言う人がそれで受けるというのなら、どうぞご自由に、といったところでしょうか。

この話題は、ちょっと都市伝説とはちがうかもしれませんね。

なお、色褪せが著しいとか、道着と袴の色が全然違うとか、ボロボロだなどということは、都市伝説以前に正しい着装という観点から外れているので、論外であると考えます。

■竹刀の柄革、付属品は新品でなくてはならない■

これほど大きなお世話なこともないなと思っています。
新品ということは、稽古で一切使っていないということであり、自分の手とのフィット感とか気にしないんだろうかと思います。
かえって道具に無頓着なのではないかと勘ぐりたくなります。
(また余談ですが、私は七段審査でいきなり新品の竹刀を使って合格しました。)

以前にこんな話を聴いたことがあります。

「使い古した柄革の場合、甲手の藍色が付着する。
その付着の範囲が柄革全体に広がっているということは、構えた際に右手(または左手)が動いている証拠であり、構えが不安定であることの判断材料になる」

これは困りますねー。返し胴が得意な人とか、どうするんでしょうかね。。。

そういう審査員がいらしたかどうかわかりませんが、実際の立ち合いで正しく構えていれば、審査員の先生はそれを見てくださると思います。

長くなりましたが、以上です。

要するに、審査に関するおかしな都市伝説が横行しています。
余計な情報に惑わされず、自分の剣道を貫くことが何よりも大事なのではないか、と思います。
審査に対策などないのだ、と今だから思えます。

私自身は、相当惑わされました。
「初太刀外したら不合格。。。一本目に何を打とうか?」
なんてことを審査の何日も前から悩んだりしました。

それも実は、自信のなさの表れであり、本当に真剣に稽古をしていなかったからなのだと今は思います。

この先の世界はさすがに私にはわかりません。
論ずることもできません。
しかし、これまでの経験があって、そこで感じたことは言うことができます。
こうやってベラベラと喋る(書く)ことで、いろいろな意味で価値を下げると感じられる方もいると思いますが、ずーーっと感じてきたことを吐き出したいという思いもあって、長文を書きました。


昇段審査の都市伝説 vol.3 あとがき


三部作として書いたものはこれで以上ですが、枝葉を広げたものや違う視点からの内容などは、次回以降引き続き書いていくつもりです。

■竹刀の付属品の新旧が合否の判断基準に??


「新品の白い先革の方が竹刀の先が打突が伸びて見えるから審査で見栄えがする」という話があります。
それで合格に近づくのならどうぞご自由にとは思いますが「新品でなくてはならない」はどうでしょうか。

八段クラスの先生が「審査という厳粛な場では、竹刀の付属品などは新品にして臨むような心意気がほしい」という話をされるケースもあります。私自身も似たような話を直に聞いたことはあります。

一方で「なんでも新品というのは魂がこもっていないように感じる」という八段の先生もいます。

このように見解がわかれるのは、つまり合否に影響しないからだと思われます。

「審査は新品の付属品でいくべきだ!」と信じて貫くのは構いませんが、ほかの人にまで「なくてはならない」と押し付け、勝手な合否の基準を量産されてしまっては困ります。

またどういうわけか、都市伝説を真顔で語る方は、審査員クラスの先生ではない指導者やご自身が挑戦中の方が多いです。不思議ですね。

考えようによっては、それも審査に真剣に向き合っていることの現れなのかもしれません。

ただ「指導」とは、最終的にはその相手に自信を持たせ、前を向く力を与えることも含まれるはずです。
「初太刀を外したら不合格だからね」という指導が確実な根拠もなく、聞いた人を追い詰めネガティブにさせてしまうようなものであれば、それは指導ではなく「デマ」です。

■ジャージ道着と袴でも受かりますか?

最近のジャージ道着と袴はよくできていて、パッと見ると木綿の道着袴と見分けがつかないものもあります。都市伝説に対する視点からは「問題なく受かります」というのが回答です。

余談になりますが、私は剣道に対する考え方が古い人間です。なぜなら、新しいことを生み出さなくても、剣道の歴史を紐解いていけば、そこに深い魅力、楽しさがたくさん詰まっていると考えているからです。かといって、新しいものをすべてダメだという気もなく、バランスよくやっていくのがいいかなと思います。

そのうえで私なりの回答をするなら「最高の自分を八段の先生方に見てもらう場面なのだから、それに見合った着装でいけば??」となるでしょうか。結構冷たいですね。

ただ主観に過ぎない話で留めておきますが、剣道から離れた場面を考えてみます。
ジャージ道着袴での受審を考える方は、重要な会議、接客、対外的なプレゼン、冠婚葬祭などの場にジャージで参じるのでしょうか。

私個人的にはそれはあり得ないですね…

中~上級にあたる昇段審査を受けようとしているのですから、そこは自分で正しく判断してもらいたいものです。

■着装も含めて剣道

心技をもって審査に臨む。そのとき着装はまた別の話だと捉えているから「色胴はダメ、道着と袴の材質は…」と悩むのではないでしょうか。
剣道具の成り立ちや意匠にも意味があります。それを取り込み、自分のものとし、表現に変えていくのも剣道だと私は考えます。その自分の剣道が審査されるとなれば、都市伝説などに惑わされることなく身に着けるものも自ずと決まっていくのではないでしょうか。

身につけるものも表現であり自分の剣道である(生地胴倶楽部稽古会より)


化学製品の道着や袴の利便性が目を見張る一方、昔から当たり前のように使われていた正藍染で綿製の剣道着と袴は、上級者向けのものと見なされるようになって久しいです。
大人になってから剣道を始めた方が「私はまだまだ初心者のようなものなので、綿製の剣道着と袴など恐れ多い!」と仰るのをネットでもリアルでも見かけます。
「うーん、ちょっと違うんだなあ…」と残念な気持ちになります。私の剣道感はそんな感じです。古いのでしょうね。(笑)

■審査員をするような先生から「印象がよくない」と言われた


昇段審査の都市伝説の話をすると、「君はそう言うけれど、派手な手拭いは印象が悪いと八段クラスの審査をするような先生から言われたよ」「蹲踞から立ち上がって右に回るのは印象がよくないと模擬審査で指導を受けたよ」と言う人もいます。
そういう先生もいるでしょうし、もし私が審査前の稽古で助言を送るなら同じようなことを言うかもしれません。

昇段審査は、受審者が「総合的に」力量が認められれば合格です。
「あの受審者は、礼の入り方から初太刀、立ち合いが終わるまで、すべてにおいて見事だった。

でも、手拭いが白くなかったから不合格ね」

とはなるのでしょうか?
そのようにパーツで合否判定するなら、全剣連側でそこを明文化するはずです。「いちいち明文化しなくても空気を読め」という声もあるでしょうが、審査員の先生がそこを求めずに合否判定をしているのに…
これ以上はキリがないので、この辺にしておきましょう。

■都市伝説のおかげで素直に合格を喜べない??


「初太刀が決まらず、これだという有効打突は感じられなかったが合格した」人も実は珍しくなく、審査から帰ってきた仲間の話を聞くと、結構そのような話を耳にしていませんでしょうか。本人が「初太刀外したし、良いところがなかった。なぜ合格したのかわからない…」と首をかしげているケースがあります。総合的に地力のある剣道を審査員に認められたからこそ合格したはずなのです。
しかし合格した本人が「都市伝説のせいで」素直に自分で喜べなくなっているのは気の毒な気がします。

審査員が○だと言っているのに、一緒にいる仲間や身近な指導者が×だと言っている。
勝手に審査を難しくしているのは誰なのでしょうか。

どうやら審査員ではなさそうです。

このような合格事例は「たまたま」「まぐれ」「ネームバリュー」などと片付けられ、見なかったことにされがちです。
それより「アイツはすごかった。初太刀もバクっと打ち込んだし、相手が焦って出てくるところを仕留めていたよ」という人こそが素晴らしい!と仲間同士で盛り上がったりするのが…まあ当たり前かもしれません。

でも私はそのような「見なかったことにされてしまった立ち合い」にこそ、合格のヒントが隠されていることに気づきました。
そのあたりのこともまた書いていこうと思います。


長くなりましたが、とりあえず今日はこの辺で。

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