見出し画像

#05 次こそ合格しなくては。なかなか受からないのは誰のせい?

■だって相手が悪かった

1回や2回ならまだしも、3、4、5回…と審査を受け続けると
「なぜ受からないのか」という悔しさだけではない、他責的な不合格の要因に目を向ける度合いが段々と高くなってしまいがちな気がします。

少なくとも私はそうでした。
もし「自分は違う」という方がいましたら下記は読まなくて大丈夫です。

「この不合格は、自分の実力不足以外の何物でもない」と言い切れる人は強い人です。
しかし、人にはそのように敗戦の弁を語っても、なかなかそうもいかないものですよね。
そして周りの人からは実力以外の何かを埋めるような言葉が飛び交います。
その中の言葉のひとつに「相手が悪かった」というものがあります。

確かに審査には相手との相性というものはあるでしょう。
違う相手だったら合格だったのに、という立ち合いもあれば、その逆もまたあると思います。
ただし、自分の合格の条件に必ず「相手の良し悪し」を含めているようであれば、その時点で合格は覚束ないのではないか。私はそう思います。

■誰が相手でもできる稽古をしていますか?


たとえば六段審査に挑戦中だったとしましょう。今週末はいよいよ審査だ!というあなたの前に「お願いします」と現れたのは、大人になってから剣道をはじめ、3か月後に地区レベルの審査を受けようとしている同門の仲間。

ここで「段位に差が開きすぎていて稽古にならないから」とキッパリ相手に伝える人はあまりいないと思います。
「困ったな。審査が近いからもっと張り詰めた稽古がしたいのに」なんて思いながら竹刀を抜き合わせる…
せっかく仕事を早く終わらせて稽古に来たのになあ。
今となっては恥ずべきことですが、私はそう思ったこともありました。

その後しばらくして、ある先生や書籍との出会いもあり、気付かされることがありました。

私は心を込めて立礼から三歩進み出て、ジリジリと力強く立ち上がってから誰よりも大きな掛け声を発していただろうか?
この場面は、相手が子どもたちであろうが、高段位の先生であろうが、変わらずフルパワーで行うことができる「誰にも邪魔されない稽古」だったというのに。

「相手の技量に応じ」打つ機会を自分で作り出しているだろうか?
相手に打ってこさせ、捌いて終わらせて、稽古をこなして終わっていなかっただろうか?

少なくとも自分が打っていく技を打ち切って残心していただろうか?
そのまま縁を切らずに繋げていく稽古をしていただろうか?

その人との稽古が終わって、蹲踞から納刀、後ろに下がって礼を、顔を上げるまでやり切っていただろうか?

■話が逸れましたが…

最後の礼法もまた、審査では受審者の力量を見る場面のひとつであるはずです。いずれも誰にも邪魔されず、まだどんな相手に対しても全力で行える内容です。

さて、少し話が逸れました。
相手を選んでしまっていないかということについて、あらためて続けます。
何度も審査に不合格になりながらもだいぶ迷いが消えて、自分なりに手応えを掴み始めていたある日の稽古のことです。
その日は審査直前。ある場所で、懇意にしている○○さんといつものように稽古を終えた直後、△△先生から親切心でこういう助言をいただきました。
「君が今すべきことは、しっかり構えて練りあい、真っ直ぐに面を打ち抜くことのはずだ。だから○○さんのような相手とは稽古はしないほうがいい」
※所属元ではありません。

そのときの○○さんはクセのある剣風の方でした。
まともに構え合ってくれず、仕掛けようとすると全力で防御される。間合いも関係なく、ご自身のタイミングで技を仕掛けてくる。もちろん昇段審査なんてカンケーありません…でも剣道は大好きなんだろうな、という方でした。

■窮地に立たされたとき、人は好き嫌いを言えるか。

審査で不合格になったとき、相手のせいにしたことのある方は、この文章をまだ読んでいるはずです。
お相手に恵まれず不合格になり、どんな感想をもちましたか?

「やりにくかった」
「タイミングが合わなかった」
構え合ってくれなかった、間合いが近い、合気になれない。
全部よけられて横から面を打ってくる…

それじゃ仕方ないね。今回は相手に恵まれなかったんだし。
次はまともな相手と当たるはずだし、もう少しなんとかなるだろう…ということにして引き続き審査を受けていく。

そうすると何が起こるかご存じですか?

だんだんと嫌いな相手が増えていきます。

そして本番の審査で立ち合っている最中にでさえ
「これじゃダメなんだよ…」
目の前の相手の剣道を審査しはじめたりします。ここまで来るとなかなか重症です。

その後合格発表を見るとやっぱり自分の番号はありません。不合格。

しかも…
相手は合格して、形の審査に進んでいきました。

ガーン…なんであの剣道で受かるんだ。自分はいつも正しい稽古だけをしてきたのに。

なんてことを経験した人はいませんか。
私は経験しました。それも何回も…

でも、不合格だった帰り道。
会場から何時間もかけて帰宅する途中に気づいたんです。それは
「相手を選り好みするということは自分の可能性を狭めるだけ」
ということでした。  

普段の稽古で「やりにくい人」と対峙し自分のこれだと思う剣道ができないのに、審査の場でできるわけがありません。何度も不合格となり、いよいよマズいというときに相手を選んでいられるでしょうか。

ましては審査の相手は、自分では選べません。

■審査が近いので二刀はパス。剣道が崩れるから。

審査前は二刀や上段とは稽古しないという人もいます。ある日、有志が集まる稽古会に参加し、二刀で稽古していたら
「審査前なので、一刀で相手してくれないかな?」
剣道が崩れるから、というのが理由だったようです。
私自身はその相手の方の納得のいくようにしてほしいと常々思うので「いやいや。ここは二刀で」とは言いません。一刀でしか稽古しないという方、場合によっては「誰々とは一刀で相手してあげてね」と言葉を添えてくださる先生もいますので、そこは尊重すべきだとは思います。

でも…もし審査で二刀の相手が出てきたら?
自分の苦手なタイプの相手が出てきたら?

仮に「審査ではこうしなくてはならない!」という理想の剣道があるとしましょう。
それはどんな相手に対しても表現しなくてはならないはずです。
どんなときも自分の理想とする剣道を貫けるのがその人の強さだと私は思います。

稽古をしているとどうしてもやりにくいお相手というのはいるものです。
その相手から「キミの剣道はもっと○○したほうがいい」―だから審査に受からないんだよなどと言われれば「いやいや。アナタにだけは言われたくないです」と心の中で思うかもしれません。

でもそのお相手も何か信念があって、剣道をしているはずです。
そういうお相手との稽古でも自分の課題を大切にし、全力でぶつかっていくと変化が生じます。

「あれ??この先生、確かに欠点はあるけどこちらの打つ機会を必ずつぶしてくるな」とか「返し胴しか打ってこないのが気に入らないと思っていたけど、それって自分の面技がぜんぶ見透かされてるってことだよな」というように、その先生の強さと自分の弱さが浮き彫りになるのです。

■自分の弱さと真剣に向き合うことができているだろうか。

その弱さとは向き合わないまま
「しっかり構え合ってから初太刀で面を決めなくては合格できないんだ」と念じても、なかなか根本的な解決にはならないと思います。

審査でどんな相手と当たっても自分の剣道を貫く。
そのためにも普段の稽古、特に審査間近の稽古であらゆる想定をしておこう。そのための相手になってくださる人が身近にたくさんいる。
発想の転換ができるようになると可能性は一気に拡がっていくはずです。

余談ですが、私はそういう「やりにくいお相手」との稽古をとても大切にしています。
むしろ、審査前にこそやりにくい相手とどんどん稽古すべき、くらいに思っています。
また、そういうお相手の方には自分にはない何かを持っている方も多く、コミュニケーションを取ってみると物凄く仲良くなったりすることが少なくありません。

今回の内容は都市伝説の話ではありませんでした。
しかし、不合格を繰り返すと「自分は悪くないと思うようになりがち」という、あるあるなパターンについて、私の経験則を書いてみました。

最後にチラッと触れた「しっかり構え合ってから初太刀で面を決めなくては合格できないんだ」この言葉に、実は都市伝説の一端があるのですが、それはまたの機会に。

もちろん、剣道において初太刀一本にかけるということはとても大切なことです。
とても大切であることは間違いないのですが…

とりあえず、今回はこの辺で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?