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枝野代表の「プレゼンテーション力」-私が思う立憲惨敗の一因

10月31日投票の総選挙は、既報の通り、与党(自民、公明)が想定より議席の減少幅を大幅に縮めて圧勝。維新も躍進した一方、立憲民主党は想定に反して議席を減らし、実質完敗だった。

立憲民主党の敗因は何か?野党共闘の是非、連合との亀裂など複数あるだろうが、私は、「枝野代表のプレゼンテーション力」の問題も作用しているような気がしてならない。

以降、政治的な主義主張の話は排除して、純粋にプレゼンテーションの問題から私が思うところを書いてみた。

今回の総選挙の特徴

事前予測の結果だけでなく、当日の出口調査の結果すら予想を覆す結果になったことが挙げられる。「与党は一応勝利するも立民、共産を含めた野党も躍進、議席数の差は縮まる」というのが最初の議席予測だったが、開票が進むにつれ自民党の票が想像以上にどんどん伸びる結果になった。一方立民、共産は開票が進むにつれ水を開けられた。

その詳細は、例えば以下の記事にまとめられている。
衆院選予測はまたも各社が外す結果に、情勢調査の実情と限界
大濱崎卓真 選挙コンサルタント・政治アナリスト
https://news.yahoo.co.jp/byline/oohamazakitakuma/20211101-00266038

ここでの「予測と現実の乖離」を示す表を引用しよう。

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もう1つの特徴は、比例の議席数でこの傾向が強まっていることだ。2017年と比較すると明らかだ。自民に関していえば、小選挙区の議席数は218→189と13.7%減ったのに対し、比例では66→72とむしろ増えていることだ。立民はこの4年間構成が変わったので単純比較できないが、2017年の立民+希望の比例の議席数は69なのに対し、2021年の立民のそれは39と4割以上減っている。政党名を書く比例は、候補者個人の政策や人柄にも左右される選挙区に比べ、政党の人気を示すバロメーターとして直接働くはずだ。

▼2017年の得票の詳細

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▼2021年の得票の詳細(NHK開票速報より)

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ここから、立憲民主党はライトないわゆる「浮動票」の層、無党派層から大きくそっぽを向かれたことがうかがえる。出口調査や事前の予測調査に答えるのはある程度政治の意識の高い層で、そうでない層は答えないか、調査員からさっさと逃げることが想定される。(ここが事前の調査のバイアスというか、現実との乖離を生んだ原因もあるだろう。)こういった「回答しない」層は、どうしてもムードや雰囲気により投票行動を決めてしまう。この層に対して特にアピールの効果が大きいのが、まさに「プレゼンテーション」のはずだ。自分の支持政党を持つコアな層はプレゼに自分の意思を左右されにくい反面、ライトな層はプレゼンテーションへの共感で直接判断する可能性が高い。そして、ライトな層は概して都市部に多く、その都市部の票の開き方は郊外に比べ遅い。だからこそ、後になって想定ほど票が伸びないということは、ライトな層の支持を失っている原因ととることができる。

ライトな層からそっぽを向かれた原因の1つに「プレゼンテーション」のまずさを疑わないといけない。その代表的なペルソナが、トップである枝野代表のように見える。

枝野代表の「プレゼンテーション」の問題

政治家にとってのプレゼンテーションは、選挙での遊説、演説のほか、国会の論戦、メディアへのインタビューなどあらゆる機会にわたると思う。立憲民主党の枝野代表の「プレゼンテーション」を見ると、私は以下の印象を持ってしまうのだ。

・一見一生懸命そうだが…
・声が大きく一本調子
・話に緩急がない
・怖い
・攻撃的な言葉が多い
・表情が硬い
・笑顔がない
・真面目すぎる
・ゆとりがない
・引いてしまう
・言いたいことが空回りに見える

政策内容を全く抜きにすれば、私としては、情熱はわかっても、率直共感しにくい。私だけでなく、多くの人が同じ印象を持つような気がする。さらに、今回の選挙だと、政権奪取、自民を倒すという言葉が先につき、「どういう国にしたいのか」「ビジョンは何か」が表面に出てこなかった。この傾向は選挙時に限ったことではない。結果、「反対ばかりしていて建設的議論がない」「批判ばかりしている」というマイナスなイメージが膨らむとともに、特にライトな層にとっては寄り付きがたい人、共感しにくい人と思われるだろう。政策論を完全に抜きにすれば、自民党の岸田総裁の方が、パワフルな感じはなくても、円くて穏やかで共感しやすく見えてしまう。

プレゼンテーションは聴衆への「プレゼント」といえ、聴衆になにか持ち帰ってもらうことが大事と言われる。また、聴衆に「共感」してもらうことも重要となる。選挙の場合はこの聴衆が有権者になる。ライトな有権者をペルソナとして想定した場合、その有権者が「プレゼント」でほしいのは「打倒」「政権交代」のスローガンではなく、「どんな国にしてくれるのか」「どんな世の中にしてもらうのか」というビジョンである。こうしたビジョンを、一方方向で押し付けられる形で聞くのではなく、時には面白おかしく柔らかく和んだ雰囲気で聞きたいのが、このペルソナたる有権者の本音ではないか。話す側にとっては緩急をつけるということか。これを通じて初めて、プレゼンテーションたる遊説や様々な発言機会に「共感」することができると思う。さらに、プレゼンテーションの現実として、「正しいことが伝わるとは限らない」ことも忘れてはいけない。

枝野代表は、もしかしたら、「力強く大声で主張するのがプレゼンテーション」「大声で言い続けさえすれば必ず伝わる」と勘違いしていた節があるのではないだろうか?となれば、「共感」「プレゼント」という大切な本質にずっと気付いていないことになる。「共感」を受けず逆に「反感」すら感じた多くのライトな有権者から、最後の最後でしっぺ返しを食ったといってもいいだろう。立憲民主党は地球環境対策では優れたビジョンを持ち、個々の候補者では優れた人材もいたのに、なんとももったいない。

終わりに

立憲民主党の枝野代表のプレゼンテーションから、私が反面教師として学ぶところも大きい。「共感を持たれることが重要」「プレゼントである」「自分の主張を大声で叫ぶこととイコールではない」ということだ。そういう私も、うっかり大声で「力でねじ伏せるプレゼ」を行ってしまいがちだ。自戒を込めて、他山の石としていきたい。

以上、私がプレゼンテーションのレクチャーや本から学んだことをベースにした一方、これらを中間で参照(カンニング?)せずに自分の頭の中で身についた(はず)の知識だけで書いてみた。私が学んだプレゼンテーションの先生方からはどう映るのだろうか??

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