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やじろべえ日記 No46 「よどみ」

講義が終わったあと私は家にいったん戻っていつもの公園へ行った。もちろんキーボードをもって。

私は野良のキーボード弾きだ。今日は体調不良の伏見さんがいない間にセッション仲間の浅井さんと2人で詰めるところを詰めようという話になっていた。はずなのだが。

「…あれ?こんにちは。」
「こんにちはー!元気してた?」

浅井さんの友人,戸村さんが一緒に来ていた。

**************
「お変わりないようだね!」
「そりゃあセッションしてから1週間もたってませんからねえ…」

戸村さんは浅井さんの友人でドラマー。ただし,私ともセッションしたことがある。つい数日前のお話。

「ところで浅井さん,どうして戸村さんがいるのか教えてもらえませんかね?」
「ええ,僕いたら悪い?」
「そういう意味ではないのですが,浅井さんがあなたを呼んだ理由がわかればもう少しふさわしい立ち振る舞いができるかと。」
「…つくづく思うけど君脳の中に機械でも入ってる?」
浅井さんが咳払いをした。
「陸人,軽口はやめろってこの間話しただろうが。」
「ごめんって。それで目的は?僕も聴いてない。」
戸村さんも聴かされてないのか。
「この間市村さん,陸人とやったらかなりいい感じになっただろう?」
「うん。まあね。」
「市村さんとしては疲れるかもしれないけど,あの時感じたことを一回言葉や演奏にしてみてもらえると,いろいろヒントが見つかるかもなって思ったんだよね。」
「ほうほう。」
「じゃあ,もう一回僕と市村さんでセッションすればいいの?っていうか建成も併せて3人でやれば?いろいろ出てくるかもよ。」

今回の目的を考えると3人でやるのもいい方法の一つではあるだろう。しかし浅井さんは違う考えのようだ。
「陸人の言い分もわかるけど,あの状況に俺が入り込めると思うか?あと仮に入り込めたとしても,3人になった場合たぶん俺の目的は達成できない。」
「どういうことですか?」
「俺の目的は "好き勝手状態になった" 市村さんの本気に寄る方法だ。仮に3人でやった場合,…市村さん絶対に合わせに来るだろう?」
戸村さんと私は二人そろってああ,とうなづいた。

たしかにあのセッションは1対1だからできたところはある。ここ最近伏見さんと浅井さんはどうも納得いかないという表情をしながらセッションをしていた。伏見さんなどは特に私に合わせるので必死のようだ。

「…話聞いてて思ったんだけどさ。」
「うん?」
「その伏見さんって人も建成も,市村さんに合わせたいんだよな?」
「…ああ。」
「…じゃあ四の五の言ってないで市村さんと合わせたら?」
「え?」
「話聞いている限り,たぶん市村さんの『無意識に合わせちゃう癖』だと思うぞ,問題の原因。」

戸村さんは続ける。
「経緯はこの間建成に教えてもらったんだけどさ,前のセッションの時は市村さんと建成,市村さんと伏見さんとそれぞれでやったらうまくいったのに,3人だと合わなかったんだよな?それで市村さんを基軸にした…っていう解釈で合ってる?」
「ああ。合ってる。」
「今回,市村さんの本気に合わせられていないと感じて二人とももやっているんだよね?」
「それも間違いない。」
「だとしたらやることなんて一つじゃん。本気の市村さんに合わせに行けばいい。」
「お前なあ。簡単に言うけど市村さんは…」
「戸村さん。」
たまらず私も口をはさむ。
「言いたいことはわかりますが,残念ながらそれは難しいと考えます。」
「どうして?」
「…私の演奏は『日ごとに変わる』安定しない演奏なんです。」
「それの何がいけないの?」
「…え?!」
「もしそれが正しいとすれば,伏見さんと建成が君に合わせに行ってたということになる。」
「いや,違う,あれはどう見ても。」
「まあ聴きなって建成。市村さんの演奏が安定しない理由は『相手に合わせに行った結果』なんだよね。」
「ああ。」
「伏見さん寄りに全振りした演奏と建成寄りに全振りした演奏。その中で調和点を見つけたのが前回のセッションだろう?だからもし建成と伏見さんの希望をかなえるとしたら。」
「…変わるべきは市村さんだと思う。」

こうして言葉にされるとよくわかる。おそらくあのうまくいかなかったセッションは私の優柔不断が引き起こしたものだ。そしてそれまでのセッションでことごとくあきれられたり,イラつかれた原因もわかってきた。
自分というものを持たずに演奏したからだ。

「…市村さんも心当たりあるみたいだね。」
「…はい。」
「ただ建成が心配するほど改善に時間はかからないと思うよ。」
「陸人はなんでそう思うんだ?」
「市村さん,合わせに行くだけじゃ無いセッションもできるから。この間一緒にやった時証明してくれたじゃん。」

あの戸村さんを振り回しまくったセッションである。はたから見たら成立していたのかすごく怪しいセッション。

「…たぶん私,まだ自分の演奏をイメージできてないです。」
「そんな感じするね。」
「…」
「試しにさ,市村さんと建成で試しになんかやってみてよ。僕聴くからさ!」
そういうことならと,二人は先日やったバラードをやってみることにした。

「うん。なるほど。建成の無茶な演奏に合わせられているのは市村さんの技術だね。」
「うう。」
「ふふ。試しにさ,それを繰り返したら?」
「え?」
「同じ曲を伏見さん,建成とそれぞれ1対1でやる。もし自分を保つのが難しいようだったら僕との容赦ないセッションをはさむのもありかもね。それを毎日こなしていれば,たぶん市村さんの中で『合わせに行く』発想はなくなるよ。」
「どういうことだよ?建成?」
「市村さんから他者に合わせる余裕を奪うんだよ。」
「なんか搾取みたいな言い方ですね。」
「ただ,本気の時って周りにそこまで気を使えないでしょう?伏見さんと建成が欲しいのってその状態の市村さんの演奏じゃない?」
「…なるほどな。陸人にしては筋の通った意見だ。」
「ちょっとー。僕だって話しできるときは言うよー。」

これを言われた私はなんだか心が軽くなった。自分が変わる必要があるのもわかる。でも一人で抱えすぎなくていい。

「あの,浅井さん」
私はやっと声を出した。
「…やりましょう!セッション。」

浅井さんと陸人はニヤッと笑った。

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