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やじろべえ日記 No44 「冷炎」

わたしは野良のキーボード弾きだ。今日は久々に公園にやってきて演奏することになった。とはいえ一人で気ままに弾くわけではなく,セッション仲間である2人と一緒だ。公園につくと,すでにシンガーの浅井さんが準備を始めていた。

「やあ,今日は遅かったね。」
「すみません,講義が長引いたもので。伏見さんはまだですか?」
「あそこでウォームアップしている。」

ふと横に目をやるとセッション仲間である伏見さんがいた。どうも伏見さんは何か悩んでいる様子だったがこちらに気づくとすぐに駆け寄ってきた。

「お疲れ様です,市村さん。」
「遅くなってごめんなさい,伏見さん。…浅井さん,始めましょうか。」
「うん。」

ちなみに市村というのは私の名前だ。

***********

昨日,浅井さんの友人でドラマーの戸村さんと「容赦のないセッション」を行った。まあ正直言ってあれはセッションと呼べるか呼べないかぎりぎりの演奏だったが,聞き手だったセッション仲間2名が成立していたと認識しているのでセッションと呼んでいいだろう。

以前,戸村さんの期待に応えられずひと悶着あったがあのセッションで戸村さんの私への期待はすっかり満たされたようだ。ここまでは私もああよかったで終わる案件である。しかし今度はこの2人の雲行き,とくに伏見さんの様子が怪しくなってきた。

それがわかったのはセッションを始めて10分も経たないうちの話である。

「伏見さん,なんかいつもより強めに弾いてる?」
「はい…もっと強めに弾いたほうが市村さんの演奏もパワー出ていいかなあと思って…」
「そうなんだ。でもこの曲はむしろ伏見さんの得意な静かな感じが引き立ったほうが雰囲気出るし,それに合わせたいかな。」
「そうなんですね…直しますね。」
「浅井さん,もしかしてのどの調子悪いです?」
「うん?どうして?」
「なんだか,高音がかすれているような気がして…もしかして練習しすぎました?」
「君は本当にいろいろ気づくねえ…その通りだよ。」
「なるほど…ちょっと伏見さんと二人で合わせてみたいので一回休憩してもらっていいですか?」
「わかった。よかったらセッションきくよ。」
「お願いしまーす。」

そこから何回か弾いてみたが,伏見さんの様子がおかしいのは変わりなかった。ただ本人は迷っているというよりさまよっている感じだ。もしかしたら。

『多分試行錯誤の最中なんだろうな…』

昨日戸村さんにセッション終了後,言われたのだ。
『今日の君の演奏,本当にすごかったよ。』
『ありがとうございます。まさかそこまでほめていただけるとは。』
『ただたの二人,特に伏見さんかな?中学生の子。』
『はい,伏見さんですね。』
『…ただの予感だけど,気を付けたほうがいい。なんかひと悶着ありそうだ。』
『…はあ。』

あの時戸村さんが言ってたのは多分これだろう。しかしまあ予感的中するの早いなあ。

「伏見さん,もう一回曲をどう表現したいか考えなおそうか。」
「はい…すみません。」
「あやまる必要ないよ。誰だって思うようにいかないときはあるからさ。」

そこまで口に出して気づいた。私と浅井さんはぶっちゃけもう高校も卒業してそれなりに人生経験もあるが伏見さんは中学生だ。
中学生って大人になった我々が思うより人生経験が積まれていない。まあ経験のある社会が小学校しかないのだから仕方ないのだが。もしかしたら。

「伏見さん,もしかして昨日のセッション見て何か思った?」
「…え?」
「なんか様子変な感じしたからさ。私の気のせいならいいけど…」
「…昨日のセッション,本当にすごくて。私も早くあの領域まで行きたいな。そう思ったんです。」

あの領域…伏見さんにはあれがものすごく異次元に見えたということだろう。まあ確かにいつもと違う雰囲気だったし衝撃を受けるのは仕方がない。でも。

「伏見さん。あの領域って言ってもあれはほぼ偶然の産物だよ。」
「偶然?」
「うん。戸村さんはいろいろ仕掛けてきたし私も戸村さんの思っていることを引きずり出すのに必死だったけど,それは浅井さんや伏見さんとのセッションがあったからあれができたんだと思う。」
「…そうなんですね。」
「現にあの場での演奏にヒントになったのは伏見さんの演奏もあったしね。だから,視野を広げすぎるのを焦りすぎないのも大事だよ。自分を大事にしながら上手になっていったほうがいい演奏ができると思う。」
「…はい…わかりました。」

***********

結局セッションはあまりいい感じで進まずお開きとなった。伏見さんは中学生なので早めに帰り,大人同士の私たちは少し話すことになった。

「浅井さん,伏見さんとのあわせ練の時何があったんですか?」
「最初はぼくらもこの前話してた3人セッションの練習をしてたんだ。ただ,君の演奏の良さを出せていないのではないか?という話になってね。」
「…といいますと?」
「この前の3人のセッションは僕と伏見さんが君に合わせる…そういう作戦だっただろう?」
「はい。」
「それって裏を返せば『合わせるのは全部市村さんの役目』っていうことになるのかも。って話になったんだ。」
「…いわれてみればそうですね。」
「それで陸人に市村さんの良さを分かってもらうには自分たちもこのままだといけないのかもっていう話をしてたんだ。伏見さん。」

それでさっきあれやこれやをしていたのか。たしかに色々変えていた理由が全部「市村さんの演奏に合わせるとこうなるのでは?」という趣旨のものばかりだったのでそんな気はしていた。

「気持ちはわからないでもないですが,3人でやった曲の中にはむしろ伏見さんの良さを生かしたほうがいいものもあったと思います。」
「僕もそれは思ったよ。」
「…大人ならそれを言って聞かせるのも務めでは?」
やや言葉にとげが出ているがこれは仕方がない。中学生がとんでもない主に背負おうとしているのに気づかえないのは大人じゃないだろう。
「今の君の言い分はわかるよ。でも伏見さんの言い分に納得していた部分もあるんだ。大人なら中学生の言葉をきちんと聞くのも務めだろう。」

あっさり返された。浅井さん,口げんかしたら一番勝てない相手かもしれない。戸村さんもたじたじになってたし。

「いずれにせよ,さっきの言葉以上に君が伏見さんにできることはないと思う。今は見守ろうよ。」

悠長なことをいうしかない大人二人なのだった。

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