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紅葉がわき役に ~解説文~

ここ最近小説をやたら多く書いていた。実は現在もう一つ執筆中である。

だがなかなか進まないので気分転換に自分の書いた小説を自分で解説するというとってもお恥ずかしいことをやってみる。
(とかいって本当はこの二つの小説を同じ画面の上に乗せる土俵が欲しかっただけなのだが。)

テーマはここ数日で書いていた作品。「燃え上がる木々」と「触れられない灯」。いずれもこのマガジンに載っているのでまだ読んでいない人はこちらからどうぞ。

あるいはこの後リンクを貼る予定なのでそこから見ていただけると幸いである。

紅葉の中で出会った二人

タイトルだけ見ると何やら恋愛でも始まるのか?とわくわくされかねない。しかし残念ながら恋愛に発展しているかは微妙である。

まず一作目。とくにこちらは恋愛へ発展しているかしていないかと尋ねられるとしていないという答えが正解だろう。

あらすじとしては紆余曲折あって一人で紅葉スポットに来る羽目になった女性がそこである人に会う話である。しかも会いはしたが別に会話はしていない。

紅葉への表現を濃密にすることであくまで女性の興味がこれから出会う人だけでないことを表現したつもりだ。続きがあればより面白いのだろうがひとまず女性のこれからの動向は不明である。

そしてこれを受けた2作目。

こちらは1作目で出会う人の視点である。1作目と違うのは紅葉への意識レベルである。こちらは紅葉への興味よりも周りの視線や友人たちの動向の方が気になっている心理状態を表すため,紅葉の表現は「少し雑」にしている。

では何でこんなに長くなったのかというとこちらの主人公は周りの視線を気にしてうじうじ考えている情景が浮かんだからである。悩める主人公感がほしかった。

そして出会ったとたんにそっちに意識が向いてしまうところを見ると,この人はやはり人への興味が最優先されてしまうようだ。

まあ普通人とはそんなものなのかもしれない。

出会う瞬間の温度

小説だと人と人が出会う瞬間はドラマの始まりとして書かれることが多い。そもそも小説でわざわざ書くくらいだから出会いに意味を持たせないのは悪手だろう。

だが,自分が出会う物語は恋や敵対などある種「熱のある」関係であることが多い。というか世の中にある物語の大半がそうである気がする。実際この小説の2作目は出会った人へ意識がほとんど向いてしまっている。

ここまで書くと,1作目の彼女の意識が人にそこまで向いていない方が異常であるように見える。

だがしかし彼女もまた出会った人の記憶が鮮明に刻まれているように思う。

出会った場所を去り,ゆっくり休んでいるときもなお,「燃え上がる木々」の感情に思いをはせているからだ。そしてそれは「出会った人」に対する木々の感情である。

1作目の主人公が木々と同じ感情なのかは不明である。ただどちらも印象的な出会い方をしたのではないだろうか。2つの景色を見てそう思ってしまう。




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