映画の感想_ダンスと境界線

久々にNetFlixで映画を見たのでその感想でも書いていこうかなと思います。

散々な休暇

その前に前日譚を少々。
先日近くでコンサートがあったので行こうとしたんです。わざわざ休みも取ったんです。 ところが一週間前に体調不良をやらかしてしまいあきらめるという残念な事案が出ました。 いきたかったよお…
というわけで慰め半分で見た映画がこちらです。

ダンシングクイーンズ。ぱっと見「ダンシングっていうくらいだからまあダンサーが活躍する話だろう」くらいの気持ちで見ました。当たってはいましたが見たあとで振り返って考えるとずいぶんとまあ軽いノリで見たなあと思います。

【ネタばれ注意】まだ見ていない人にも配慮はしていますが気になる方はお引き取りください。

喪失の交差

このお話の主人公は田舎でダンス教室と配達の仕事,父親のお店番をする女性。ドラァグクラブの清掃係として働くうちに振付師の目にとまり…といういわゆるサクセスストーリーです。うんうん。こういう王道を行く話は大好き。

人間生きていくうちに得るものもあれば失うものもあります。それはこの登場人物たちも例外ではありません。 まず主人公の女性ディラン。約1年半前に母親を亡くしております。それで喪失感で踊りを続けられなくなってしまった。厳密にいうとダンス教室での講師は続けていますが人前で踊る活動はやめてしまっているようです。 おばあちゃんが心配するところが印象的でした。そりゃああの年代の孫が立ち止まってしまったら祖父母としては心配する。うん。

そしてお話は飛びますが,ディランが働くドラァグクラブでショーをやっている方々。この人たちも少し前に中心的メンバーがいなくなっております。その喪失でスランプ状態になっているようです。(見落としてだけかもしれません。)
喪失した者同士が交差するお話というのはべたとはいえ何かが起きる前の起爆剤としては十分ですね。素敵。

前進の結果

あるアクシデントからドラァグクラブで働くことになったディランですが,そこで振付師と会います。ショーの振り付けに来た振付師はひょんなことからディランと一緒に踊ることになりました。ここで振付師がディランのダンスに感銘を受け話が展開していきます。

こっから先は話したところで伝わらん。どう考えても伝わらん。というわけでご自分で見てください。ダンスマジですごかったから。 とりあえずトレーラーだけでもはりつけときます。ダンスは普通にすごい。

色々アクシデントはありましたが行き詰った時に頼りになるのは自分の行動だけだなっていうのはこれを見ると嫌というほど伝わってきます。
きっかけがあったとはいえ自分で動いていろいろつかんだって事実はすごいんだからね。ほんとに。 動こうが抵抗しようが何しようが無駄ということを嫌というほど突きつけられる世の中です。そういう物語というのは勇気がもらえるものなんですよ。

後個人的にはドラァグの皆様のメイクアップシーンが本当に「すごい…」ってなってました。なんというかあの人たちにとっても大事な儀式であり,重要な変身シーンなんだろうな…というのがひしひしと伝わってきました。本当に普段からメイクしているのかもしれません。あの気合の1/10でも意識できれば少しは私もきれいになれるんでしょうね…いや無理でしたすみません。

別チャンネルの動画ですが参考までに張り付けてみました。作中のメイクアップ,ほぼこんな感じでした。(実際は使うシチュエーションと少し違うかもしれませんが)

停滞を動かす瞬間

まあそんなこんなでしたがディランもあるアクシデントから一回挫折します。それでもやはり助けてくれるんですよねえ…かつてディランが助けた仲間たちが。 少年漫画好きな人だったらこの物語のあつさはわかるでしょう… まあここで出てくるのは少年じゃないという突込みはさておいて,それでもそれをきっかけにディランは立ち直るんです。どう立ち直るかは本編見てください。

まあ確かにドラァグクラブということを考えるといろいろ違う解決法っていうのはわかりますし,もともとそうであること,そうでないことの境界線というのは様々な目的を持つ大事なものです。
危険から身を守るため,被害を防ぐため,物事が悪用されないため…特にドラァグの皆様というのは歴史上つまはじきやらなんやらを受けた人も多いでしょう。境界線というのはその辺のセンシティブさを守るために大事な物。だから物語上そういう展開になるのはまあわかります。

それでも,それでも境界線を越えて何かがつながる,境界線を壊さない,超えたうえで新しいものができていく,停滞が解決していく物語というのは停滞した人間にとって希望になるのです。分かり合えないのがデフォルトの人間ですから。
このお話で唯一残念な部分があるなとしたらその辺の境界線が崩れた結果もたらされるものをどう改善したか…の物語が薄かったことかなと思います。

作中ではいろいろな問題が解決しているのですが。実際のところ境界線を越えて壊れたものがないわけではないと思うのです。そこにフォーカスされてなかったことが今回の悔やまれる点だった気がします。
今の世の中にもあるでしょう,境界線を壊されそう,あるいは壊されたことで恐怖におののいている人が。そんな人にとっては少しつらいお話かもしれません。

賛否両論あるだろうなあこの映画,とは思いましたし最後の展開については怒涛だったのでまあお話についていくことが難しいという人もいると思います。 ただ,それでも元気がない時,もうだめだと思ったときに希望をもらいたい…そんな人にはお勧めできる映画です。

あとがき

というわけで自分もコンサートいけなかった分元気をもらいました。 境界線を越えようとすることはとても大変です。超えること,壊すことで恐怖や不安を招いてしまうことも当然あります。 ですが超えることで停滞が動いたりすることもある。もちろんあからさまな蹂躙とかはだめですが,人間って境界線を越えることで新しい可能性を見つけてきたのでしょう。新しい可能性…それが元気の源なのかもしれませんね。

この記事が参加している募集

映画感想文

よろしければスキしていただけるととてもうれしいです。ほかの記事もよろしくお願いします。