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「何のために働くの?」〜ポッドキャスト「働くことの人類学」をオススメします〜(#51)

今回おすすめするのは「Tokyo Work Design Week 2020」でのトークセッション。
これをポッドキャストにしたものだそうです。

おそらく、編集はほとんどされていないと思います。
前後編の合計で4時間弱にもなりますが、後編だけでもぜひ聴いて欲しくてここにご紹介します。

↓Tokyo Work Design Week についてはこちらから。

はじめに

わたしはTokyo Work Design Weekに、過去一度だけ参加した記憶があります。
話がとても刺激的で、「今後、自分の将来をどうしよう」というワクワクと不安が入り混じっていました。

で、今回のポッドキャスト。
まさかのTokyo Work Design Weekでのトークセッションとのことで、すぐ聴きました。 

いやー、今回も面白かったですよ。
特に後編。

後編の内容はこんな感じ。
ポッドキャストから抜粋します。

【セッション2】
・子供に「何のために働くの?」と聞かれたら
・仕事は、良い「におい」がする方に向かうべき?
・不確実はネガティブではない
・説明責任を求める日本人
・ベーシックインカムについて考える
後編は、番組リスナーから寄せられた、“子供から「何のために働くの?」と聞かれたらどう答えますか?“という質問から議論がスタート。ゲストの文化人類学者の方々のそれぞれの視点から、もう一度、「働くこと」の理由が問い直され始めると、やがて話は、「人間とは何か?」という深遠な問いに行き着きます。

「はたらく」は「働く」になっていますが、「何のために仕事をするか?」についてから始まり、「働くことを賃金労働に限ることもない、子どももはたらくことができるのでは」と話がどんどん展開されていきます。

各専門家の方々が独自の目線で語っていて、話が一辺倒にならずとても面白い。

1つの意見をみんなで「うん、そうだよね」と確認し合いそうでない人を押し出すような、ある種の同調圧力はまったくなく、お互いが相手の意見を受け止めた上でご自身の意見を述べている。
否定も肯定もない。

多様性とでもいいますか、
「いろんな考えがあっていい」
ということがよくわかります。

こういう自分の知らない世界の色んな意見が聴けるのはホントに楽しいですね。

知的好奇心が刺激される。

ぜひ後編だけでも聴いてほしいです。
ホントにオススメ。
前知識なしで聴けるので、ぜひぜひ聴いてみてください!

↓後編

↓前編

***

ここから先は自分語りです、すみません。 
ポッドキャストを聴いた後に考えていたことを書きました。
ポッドキャストがホントにオススメなので、以降の自分語りの文章は興味のある方はお読み頂けると嬉しいですが、そうでなければ読まなくても大丈夫です。笑

***

はたらく、について

前にnoteの企画?があったので、「はたらく」について考えました。

この時は「何のために?」についてはあえて考えませんでした。

なんせ、とてもシンプルで、シンプル過ぎるがゆえに難しい問いだから。

みなさん、何のために働いてますか?

お子さんがいる方はこの問いを自分がされた時、なんと答えますか?

また、学生や小さい子と接する仕事をされている方はどのように答えているのでしょうか?

とても気になります。

「何のために働くの?」という問いが生むもの

「何のために働くの?」を考えると、いつも答えが出ません。

ずっと頭の隅にありつつも、ハッキリと答えを出さずに今まで逃げてきました。

今もそれは同じです。

答えを出すことに恐怖を持っているのかもしれません。 

この問いって「何のために生きるの?」ということを突きつけられる気がしているからです。

小さい頃から「なんで生きてるんだろう?」と考えていて、ちゃんとした答えがないことが怖かった記憶が蘇ります。

学生の頃は学校のテストや受験勉強など、常に「答えの決まった問い」が目の前にあってそれを解いていくことが普通でした。

それが「なんのために生きるのか?」についてはどこにも答えがありませんでした。

これにずっとモヤモヤ感を感じていました。

答えのない問い

でも、大人になるにつれて「答えのない問い」が目の前にやってきます。

例えば、「仕事」についても答えはありません。
とはいえ、仕事には納期があります。

その納期に向けて、何をしなきゃいけないのか。
自分はどういう役割になっているのか。
どう周りの人と進めていくのか。
どういうものを成果物として生み出す必要があるのか。

それらを考えて進めていくことが、仕事だと思います。
(ブルーカラーとホワイトカラーの仕事で違いはあるかと思いますが。)

なので、仕事に答えがないとはいえ、
「仕事に答えがないから、仕事をすることが怖い」
にはまだなっていません。
(もしかしたら今後なるのかもしれないけど…)

「何のために生きるの?」

対して「何のために生きるの?」について考えると、自分の存在価値を突きつけられます。

まずもって「自分に価値がなきゃいけない」前提に立っている傲慢さはありますが。

存在価値なんてあってもなくてもどうでもいいはずなんですけどね。

「〇〇のために働いている」って言い切れる人は、
「〇〇のために生きている」という覚悟も決まっている気がします。

自分の中では、まだ答えを出す覚悟がない。

答えを出したとしても、時間の経過とともに考えが変わるだろうから言い切っていいんでしょうけどね。

頭が固いから、一度決めたら、後から変えることがなんか苦手なんでしょうね。

誰が言ったか
「生きるということは死ぬまでの暇つぶしだ」
という言葉もあります。

生きるということについてそんなに深く考える必要もないのかもしれませんが、考えたくもなってしまいます。
かと言って答えが出ないし、もし万が一答えが出たとしたらどうしよう、という恐怖もある。

知りたいけど知りたくない、みたいなものですかね。

最後に

なんだか話が色んなとこに飛びましたが。笑

ここまでつまらぬ自分語りにお付き合い頂いた優しい皆様、ありがとうございました。

貴重なお時間を奪ってしまってすみません。

もしまだポッドキャストを聴いてなければ、ぜひともポッドキャストを聴いてください。

以上、終わり!

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