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コンクリートのローマ史

今夜のブラタモリ(NHK 19:30~放送)で、「ローマン・コンクリート」が登場するそうです。

「ローマン・コンクリート」という言葉を聞いたことがありますか?

その名の通り、古代ローマ時代につくられたコンクリートです。
これらの多くは2000年ほど前の古代につくられたものですが、さまざまな遺跡や神殿、道路や水道橋などのインフラに「ローマン・コンクリート」という建設材料が使われました。
一言でいうと、ローマ人が発明したコンクリート技術です。
2000年も前につくられたものが、今でも形を残している。これはどう考えてもスゴイ!

その代表的なものが、パンテオンというローマの神殿です。
記事のトップ画像になっている写真は、この天井のドーム部分です。
このような複雑な形状の見事な建築物をつくり、それが今も残っているなんて、コンクリート技術者じゃなくてもオドロキじゃないですか?

パンテオンのドームを内側から見上げた写真。スゴすぎる!

ローマン・コンクリートがどんなものか、現代のコンクリートとは何が違うのか、そしてなぜ使われなくなったかなど、少しふりかえってみましょう。

今日の目次は、こんな感じ。ちょっと長いです。

1.すべてのコンクリートはローマに通ず

そもそも、コンクリートの歴史って、いつぐらいからなんでしょうか。
これにはいろいろな考え方があって、「コンクリート」という言葉の定義によります。
じゃあ、コンクリートってなんなんでしょう?

グーグル先生に聞くと、こう答えてくれました。
だいたい合ってると思うし、賛成です。
僕の言葉で「コンクリート」を定義すると、こんなかんじです。

コンクリートというのは、セメントという鉱物由来のと化学反応することを利用して、体積(嵩:カサ、体積)と強度をかせぐために砂利(石)をベースに、時にはさまざまな混和材を混ぜてつくる、人工の材料です。」

グーグル先生の言っていた4つの材料(セメント・水・砂・砂利)に、コンクリートにさまざまな性能を与えてくれる混和材という”隠し味”を加えてつくる、人工の材料だと考えています。
人工、つまり人間の技術・エンジニアリング・思想・お財布事情によって成り立つというところがポイントで、コンクリートの材料はすべて自然由来ですがコンクリートは自然界に存在しません。
カルシウム質が水と反応してそれっぽいものができることはありますが、人間の意図したところでなければそれはコンクリートではありません。

じゃあ、人工のコンクリートはいつから存在したのでしょうか?

現在確認されているなかで最も古いものは今からなんと9000年前(新石器時代!)、イスラエルの「イフタフ遺跡」というところの住居床から発掘されたものです。
化学分析を行ったところ、このコンクリートは消石灰(水酸化カルシウム)をベースにしていたようで、現在のコンクリートに使われるセメントも、基本的にカルシウム質なので、化学組成も現在のものと似ています
(ほんとうは、石灰質とは硬化性状とかはけっこう違うんですが)

ガリラヤ湖(ティベリアス湖)の南のほうにあるそうです。お時間のある方はどうぞ。

ほかにも、中国の西安地方に発掘された遺跡でもコンクリート製の床が出土しており、これも5000年前のものといわれています。
その材料はどうやら、その地域で採れる「りょうきょう石」という鉱物を焼いてつくっていたようで、これは炭酸カルシウムと粘土分を含んでいたようです。
この炭酸カルシウムと粘土というのは、現代のセメントと同じ材料ですので、現代のセメントでつくられるコンクリートにかなり近かったようです。

放射性炭素年代測定の精度の問題で、実際にはそこまで古いものではないのかもしれませんが、とにかく、ローマよりも昔にも実はコンクリートはつくられていたのです。
これらのコンクリートを、古代の前という意味で、仮に原始コンクリートとでも呼びましょう。
しかしながら、これらの原始コンクリートは採掘数がきわめて少なく、どうやらその周辺地方まで広く普及したわけではなさそうです。
(もちろん、まだ出土していないだけで、どこかで原始コンクリートが眠っている可能性はありますが)

ローマン・コンクリートのおそるべきところは、第一に、その数・量です。
つまり、様々な構造物に広く使われ・普及しています。
これは、技術が体系化されて整備されたということと、それを普及させる力・権威や社会的要望が働いていた、ということです。
この、技術が確立されて工学技術として普及した人工材料である、という意味では、僕はローマン・コンクリートが最初の「コンクリート」であると考えています
そして後述するように、ローマン・コンクリートが普及した背景には、皇帝という公的権威が存在した、というところもポイントだと考えています。
これは現在、政府や自治体がインフラ整備事業を公のために行い、そこでコンクリートという材料が使用されている、という構図とまったく同じです。

ローマン・コンクリートのおそるべきところは、第二に、その耐久性です。

これは有名なポン・デュ・ガールという水道橋ですが、これも2000年近く前につくられたものです。
これらの水道橋は、壁や柱などの構造部分はレンガや石でつくっていますが、水路の床や目地(石をつなげる接着剤の部分)にコンクリートが使われています。
水路構造物が水漏れをしてはお話にならないので、水と反応して固まって穴埋めのできるコンクリートが大活躍した、というわけです。
(厳密には、コンクリートから大きな石を抜いた「モルタル」というものですが)。

なんにせよ、ローマ人はコンクリートという材料とその技術を確立し、さまざまな建築物や社会インフラをつくりました。
コンクリートを発明したのはローマ人である、と言ってもいいと思います
(ちなみにコンクリート技術は全部ヨーロッパ生まれで、コンクリートを発明したのがイタリア、ローマン・コンクリートを再発見して現代のセメントを発明したのがイギリス、鉄筋を入れることを考案したのがフランス、その鉄筋コンクリート工学を初めて本格的に整備したのがドイツ、といった感じです。)

それではこのローマン・コンクリートの何がすごいのか、そしてこの偉大な技術がどうして廃れていったのか、もう少し掘り下げていきましょう。

2.耐久性の秘密は火山灰?

そもそも、古代ローマ時代(紀元前後)のものが今も形を残しているのって、どれくらいすごいんでしょう?
現代のコンクリートに対して、「コンクリート構造物はどれくらい長持ちしますか?」と尋ねられたら、コンクリート技術者としては100年が基順だろう、と考えています。
単純計算でその20倍だから、現代のコンクリート技術者はローマ人の前ではタジタジです。
もちろん、後述するように、現代のコンクリートとローマのコンクリートは設計思想が違うので、この2つを比べること自体に僕はあまり意味がないと考えているけど、それでもコンクリート材料工学の観点から学べることは多いはずです。

ローマン・コンクリートに関して、日本語で最も詳しく紹介している書籍は、東京大学名誉教授である小林一輔先生の「コンクリートの文明誌」でしょう。この記事はこれをメインの参考文献にして書いています。

涙が出そうな値段だ!

さて、小林先生はローマン・コンクリートの耐久性のカギとして「ポッツォラーナ(pozzolana)」という材料を挙げています。
このポッツォラーナが何かというと、火山灰です。
上でコンクリートの材料として、セメントと水と砂と砂利(石)、そして時には混和材、と挙げましたが、この混和材に相当する材料です。
つまり火山灰は使用量は少ないけれど、コンクリートに耐久性を与える大事な材料となります。

これはナポリのヴェスヴィオ火山と呼ばれる火山の写真ですが、この周辺は火山灰土壌が豊富で、良質な火山灰を採取することができました。
ローマ人はどうやら、コンクリートをつくるときに火山灰を混ぜることで良いコンクリートができることを知っていたようです。

火山灰を入れると、入れない場合に比べて、じっくり・じわじわと強度を発現していきます。
現代でも、こういった性能をもつ混和材は広く普及しており、JISなどでも規定されています。
その代表的なものが「フライアッシュ」と呼ばれるもので、石炭火力発電所で採れる産業副産物のです。
火山灰もこの工業灰も、ざっくり見れば似た組成と役割を持っています。
このフライアッシュ、それ自体は水と反応しませんが、コンクリート中のアルカリ分とじわじわと反応することによって、長期的にコンクリートの強度を高めてくれます。
コンクリート工学の世界ではこの特性を「ポゾラン活性」と呼びますが、ポッツォラーナはその語源となっています。

また、日本で初めて大規模なコンクリート工事を行ったのは、小樽港築港に尽力した廣井勇先生です。

廣井先生が小樽港築港に着手する前、横浜港ではコンクリートブロックの亀裂・ひびわれが問題になっていました。
このような不良を予防し、耐海水性に優れるコンクリートをつくる方法として、廣井先生は当時ドイツで行われていた研究に注目して、北海道で採取できる火山灰を混ぜてコンクリートをつくりました。
その強度を確かめるために6万個の試験体がつくられ、100年以上の歳月をかけて、今でも実験を行っています。

3.11以降原発の止まった日本では、石炭火力発電由来のフライアッシュが多く流通しています。
天然の火山灰も有用なコンクリート資源として、ローマから2000年後の今でも注目を集めています。

ローマ人も廣井先生も、火山灰を入れるとどうしてコンクリートがつよくなるか、というメカニズムを完全に理解していたわけではありません。
ただ、現地で採取できる良質な材料を使用していいものをつくる、という精神は現代のコンクリート工学においても基本中の基本です。
ローマン・コンクリートの偉大さは、こういった当たり前のことをわれわれに教えてくれるところにもあります。

3.ローマン・コンクリートのつくりかた(材料編)

ここで、ローマン・コンクリートのつくりかたをおさらいしましょう。
といっても僕はローマ人じゃないしタイムマシンも持ってないので、古い文献をみてみましょう。

ローマ人というのは芸術や哲学に長けていたギリシャ人と比べて工学・エンジニアリングに対する感性に優れていることは、よくいわれる比較ですね。
古代ローマの建築については、ウィトルウィウスという技術者がアウグストス帝に献上した「建築論」という10巻の図書にまとまっています。
この時代の建築というのは政治と軍事の代表みたいなものでしたから、建築とは技術全体を指すような言葉でした。

火山灰のポッツォラーナについても、以下のように記述しています。

「自然のままで驚くべき効果を生じる一種の粉末がある。ポッツォラーナである。これは、バーイエ一帯およびヴェスヴィオ山の周辺にある町々の野に産する。これと石灰および割石との混合物は、建築工事に強さをもたらすだけでなく、突堤を海中に築く場合にも水中で固まる。」 ウィトルウィウス

この言葉によれば、火山灰と石灰および割石、そして水を混ぜたものがローマン・コンクリートですね。
ここで石灰はなにかというと、石灰石(CaCO3:炭酸カルシウム)を焼いてつくる消石灰(CaO:酸化カルシウム)のことです。
この工程は現代のセメントにもかなり似ていますが、固まり方などはちょっと違います。

ローマン・コンクリートと現代コンクリートのちがいを、おおざっぱに表にすると以下のような感じです。

こまかい部分は置いておいて、粉の種類と固まる理由、そしてスピード・はやさがちがうのがポイントかなと思います。
現代のコンクリートというのは、もっとすばやくかたまります
これはセメントの種類によって違うのですが、だいたい水とまぜて数時間で硬化します。
これによって、コンクリートをつくるときの入れ物(型枠)をすぐに取り外せて次の工程に移れるので、工事のスピードがはやくなります。
型枠を外すタイミングは、工事現場の温度によりますが3日くらいが普通です。

これに対してローマン・コンクリートでは、ウィトルウィウスの言葉を借りれば、「きわめて長年月にわたりそれ自身湿潤状態にとどめる」としており、相当長くコンクリートをケアしてあげなければいけないようです。
この、打ち込んだ後のコンクリートに対して温度や水分を調整してあげることをコンクリートの世界では「養生」と呼びますが、どうやら養生はかなり入念だったようです。

そんなに長く養生するなんて大変なんじゃないの、という声もあると思いますが、実はローマン・コンクリートをつくる際にはある工法でその問題をクリアーしています。
そちらについては次の節でお話しますが、いずれにせよ、現代のコンクリートよりも相当時間軸の長い材料であることは間違いなさそうです

4.ローマン・コンクリートのつくりかた(構造編)

上では、コンクリートそのものの作り方をお話しました。
粉と水と砂と石をまぜて、ドロドロのものができあがる仮定を想像してください。
その後は、このドロドロ(見たことないけど、たぶん)のコンクリートを型枠に流し込んで、建物をつくる必要があります。
このつくりかたを見ていきましょう。

ローマの前のギリシャ人との違いからお話します。
紀元前257年、ローマ人はギリシャ人を南イタリアから追い出しましたが、このとき、エンプレクトン工法という思わぬ戦勝品を獲得しました。
これを改良する形で、ローマ人はオプス・カイメンティキウム工法というものをつくりました。
小林先生の本を参考に絵を描くと、下のようなイメージです。

現代のコンクリートは材料をぜんぶ一度に混ぜてつくりますが、この時代はモルタル(コンクリートから石をぬいたもの)と石をべつべつに混ぜていたようです。
上の絵のように、ギリシャのやり方では先に石をつめて、その後にモルタルを流して、棒などで突いて固めることで構造物をつくっていました。
しかしながらこのやり方だと、石の下にどうしても隙間が入ってしまいがちです。
現代のコンクリートのように流動性の良いモルタルをつくるのは当時は難しかったでしょうから、モルタルをすみずみまでゆきわたらせるのは至難の業だったことでしょう。

これに対してローマ人は、先にモルタルを入れて、その後に石を入れることにしました。
こうすると、重いものを後から入れているわけですから、すきまのない、強度の強い構造物ができあがります。
こうすることで、非常に強い壁ができあがります。
この強固な壁はそのまま国防ラインにもなり、ローマ帝国発展の重要な技術になりました。

ギリシャでもローマでも、石や煉瓦で型枠をつくり、その間にコンクリートを流し込んでいます。
そしてコンクリートがかたまったあとも、石や煉瓦は取り外さず、そのまま表面部材として残っています。
つまり表に見えるのは煉瓦や石ですが、中身はコンクリートです。
これは、もちろん手間暇はかかりますが、煉瓦や石でも構造を支え、さらに内側のコンクリートが雨風に晒されるのを防ぎます
ちょっと専門的な言い方をすれば、永久型枠をつかって超長期の湿潤養生を可能にしていることになります。
この作り方も、ローマン・コンクリートの強さや耐久性の秘密かなと思います。

ローマ式でもギリシャ式でも、上のイメージで示した作業を繰り返して高い壁をつくることが可能です。
一枚の壁を一発でつくることができればいいのですが、一度に大量のコンクリートを流し込み、また底まで棒でつくことは実際には不可能なので、一層ごとにつくっていきます。
そうしてコンクリートを積み重ねていくと、層の間が弱点になってしまいます
下の層のコンクリートが完全に固まってしまうと、層の間が不連続になりますし、また表面のコンクリートは乾燥の影響を受けがちです。
現代ではこの施工不良を「コールドジョイント」と呼びますが、ローマ人にとっても悩みの種でした。

これに対してローマ人は、打ち込んだ層のコンクリートをレンガでフタをすることを考案しました。
こうすることで表面の乾燥を防ぎ、また2層目の構造を支える強い下地になります。

5.水硬性という革命

ローマン・コンクリートはローマ帝国に何を可能にしたかということを考えましょう。

実はローマよりも前にコンクリート(っぽいもの)が一部で使われていたことは上でも述べました。
ローマン・コンクリートも、もともとはギリシャ人からヒントを得たものでした。
ギリシャの人々も、コンクリートから石を抜いたモルタル(っぽいもの)を使って、石積みや煉瓦積みの目地材・接着剤に使っていました。
このモルタルは、石灰と海水と砂と混ぜて、これから水分が抜けて乾くことで固くなります。漆喰のようなものです。
これに対してローマン・コンクリートは、消石灰を水と混ぜることによって固くなります。
これらの性能は、前者を気硬性、後者を水硬性と呼びますが、個人的にはこの水硬性を得たことがローマン・コンクリートが起こした技術革新だと考えています

当時の科学技術はアリストテレスの四台元素説、つまり地・水・気・火が万物には必要だと考えられていました。
硬化に水が必要だという点は、おそらくこういったところからイメージしたのではと考えられています。

じゃあ、水硬性の何が便利かという話です。
まずは、硬化のスピードが気硬性よりは早いので、工事のスピードも早くすることができます。(それでも、現代とはくらべものになりませんが)

そして、水によって流動性を得ているので、好きな形の型枠に流すことで、好きな形のコンクリートを得ることができます

この材料の違いによって、ローマの前と後では建物の形(いわゆる建築様式みたいなもの)も変わってきます。
例のごとく、ギリシャの典型的な例がこちら。

ギリシャのパルテノン神殿は、円柱(タテの部材)と梁(ヨコの部材)の組み合わせによって、直線的な構造になっています。
これは、自然界からもってきた石を加工して積み重ねるので、どうしても単純な形状になりがちなためです。

対してローマのパンテオンは、天井がドーム状になっています。
このように、丸みをおびた曲線的な構造を可能にしたことは水硬性によるものが大きいと個人的には考えています。
構造力学をかじったことのある人ならおわかりでしょうが、円や球という曲線の形はすぐれた強度を発揮します。
特にコンクリートのように圧縮に対して強い材料では、外力を圧縮力に変えて受け流す曲線的な構造が適しています。
建築の言葉でいうと、ラーメン的な構造からアーチ・シェル的な構造が可能になったことは相当な技術革新だと思います。

6.社会インフラとしてのコンクリート

水硬性が建築様式へ工学的に影響したことは上でもお話しました。
もうひとつ、水硬性の大きなメリットとしては、施工が非常に容易であることだと思います。
要は練り混ぜて棒で突き固めればいいので工事が比較的単純で、奴隷や未熟な技術者でもそれなりのものがつくれる、といったところです。
材料を採取する人、運ぶ人、混ぜる人、流し込む人、突き固める人、足場を組む人…といったように、分業化がしやすいのもコンクリートの特徴です。
しかもコンクリートの材料はイタリアで豊潤な石灰や火山灰と、どこにでもある石や砂に海水を使えばいいわけですから、材料は容易には枯渇しなそうです。

こうした理由で、ローマン・コンクリートの使いやすさは工学だけでなく社会にも影響を与えました
簡単にいうと、大規模なインフラ整備を容易かつスピーディーに行うための材料として、ローマン・コンクリートが最も適していたのです。
これは領土拡大主義のローマ帝国において、必須の材料になりました。
経済や科学技術が未発達な当時において、軍事力と強力な国土が国家の権威に直結することは容易に想像できますね。

こうしてローマン・コンクリートはローマ帝国の国土形成に強烈な革命を起こしました。
コンクリートによる社会インフラの整備がはじまった、という意味でもローマン・コンクリートは現代に通じるところがあります。

7.ローマン・コンクリートのおわり

といっても、ローマン・コンクリートにもおわりがやってきます。
先に結論を出してしまいますが、ローマン・コンクリートが廃れた理由は老朽化です。
ローマン・コンクリートが現代のコンクリートよりも耐久性に優れるかもしれないことは否定しませんが、劣化しない材料なんてありえません。

上でお話したように領土拡大主義に乗じて急激に普及したローマン・コンクリートですが、修理や更新の時期がやってきます。
上で写真を見せた水道橋なども、二世紀頃には漏水が目立つようになってきました。
漏水がなくても、水分中のカルシウムが壁面にこびりついて水路が狭まってしまう問題も出てきました。

こうした社会インフラの更新費用がかさみ、ついには財政破綻に向かい始めます。
いまの日本と似ています
皇帝コンスタンティヌス一世は既存のインフラ更新をあきらめてコンスタンティノーブルに遷都を決定しましたが、少なくともいまのこの国には逃げ場所はありません。

こうして大部分のローマン・コンクリートは瓦礫の中に埋まっていきました。
ゲルマン民族の大移動などによるローマ帝国の滅亡については、世界史の教科書にゆずります。

ローマ人は滅ぼされましたが、ローマン・コンクリートはどこにいったのでしょう?
結論から言うと、コンクリートはローマ帝国の崩壊後、欧州から姿を消します。
つまり、ローマン・コンクリートの技術は後世に伝えられなかったのです

それではなぜ、ローマ人がギリシャ人からヒントを得たように、後世の人々はローマン・コンクリートを使用しなかったのでしょうか。
小林先生はそのひとつとして、建築様式の差を指摘しています。
後世において、ローマン・コンクリートに台頭するように普及したもののひとつに、キリスト教が挙げられます。
この教会建築に、ローマン・コンクリートはなじまなかったことがその理由かもしれません。
上で工法をお話したように、コンクリートで構造物をつくれば、その表面はレンガ造りになります。
これでは絢爛豪華な教会をつくることはできません。
つまりイタリアはその後、コンクリート造から石造の時代へと逆戻りします。

これはイタリアのブリストル大聖堂ですが、ローマン・コンクリートではつくれませんね。(現代ならたぶん可能)

もちろん、それだけが理由ではありません。
そもそもローマン・コンクリート自体がまだ未熟な技術であったため、工学的に完全に整理されていなかったのも見逃せないと考えています。
遺跡の中のローマン・コンクリートを採取して分析する研究は近代になって行われていますが、その材料構成や密度など、採取場所によってばらばらだったりします
つまり、どの材料をどれくらい混ぜてどんな工事でつくればいいか、といった技術伝承が、ローマ人の間でも完全にはされていなかったおそれがあります。

材料の品質規定も考えられます。
ローマン・コンクリートは火山灰がひとつのカギだとは上でもお話しましたが、それよりも重要なのは石灰です。
ローマ帝国の品質規定は非常に厳しく、白く・硬く・純度の高い良質な石灰はどこでも手に入るものではありません
このため後世では、ローマン・コンクリートの遺跡を掘り起こして材料を採取したくらいです。
16世紀にサン・ピエトロ大聖堂が建設される際、教皇パウルス三世は無制限の発掘許可証まで発布しています。

後世においてローマン・コンクリートは本当、踏んだり蹴ったりなのです。

8.ローマ・現代コンクリートの実際のところ

というのはあくまでローマ帝国のお話。
じゃあ実際、ローマン・コンクリートそのものはどれくらい強いのでしょうか。
コンクリートの世界では、コンクリートの強さは圧縮に対する抵抗能力で検査します。
円柱状のコンクリートをつくって、これを押しつぶすのに必要な力から圧縮強度を計算します。
現代のコンクリートは、設計強度がたとえば24N/mm2とかですが、これは缶コーヒー大(直径5cm)のコンクリートを押しつぶすのに、5t弱の力が必要な計算です。
(コンクリートは圧縮に対してめちゃくちゃに強い!)
ちなみに現在では400N/mm2くらいまでのコンクリートが製造可能です。

土木学会では、ソンマ・ヴェスヴィアーナ遺跡から出土したローマン・コンクリートを採取し、さまざまな試験や分析を行いました。
その結果、このローマン・コンクリートの強度は平均して5N/mm2程度、現代のコンクリートの五分の一程度の強度でした。

もちろん、限られたサンプルであるし試験精度の影響もあることに加えて、この遺跡のコンクリートだけが弱かったのかもしれません。
ほとんど地中に埋まってたとはいえ、2000年の間に強度が低下したことだって容易に考えられます。
それでも、現代まで形を残しているコンクリートは、とくべつ強いわけではないのです。

ローマン・コンクリートのおそるべき点は強さではなくむしろ耐久性にある、とは上でも述べました。
耐久性とは、モノを長持ちさせるときの性能を指します。
現代のコンクリートの寿命は100年くらいが基順、というのは冒頭での述べましたが、それでは現代のコンクリートのライフシナリオはどうなっているのでしょうか。

現代のコンクリートの多くは鉄筋を内部にもつ鉄筋コンクリート構造ですが、設計時には「中性化・炭酸化」という最期を予定しています
現代のコンクリートはセメント由来でアルカリ分に富み、phが12~13くらいです。
強アルカリ性のコンクリートは鉄筋周りに不動態皮膜をつくりサビから守る効果がありますが、表面からの二酸化炭素の侵入により、徐々にアルカリ性を失っていきます。
すると不動態皮膜が壊れて鉄筋がすぐにサビてしまい、腐食膨張圧でコンクリートを内側から破壊し、ひび割れからさらなる劣化因子の侵入が加速されます。
これが、鉄筋コンクリートが想定している終焉シナリオです。
この劣化機構が中性化と呼ばれるもので、その深さは以下のように時間の平方根で表せることが知られてます。

c=a√tc:中性化深さ
a:速度係数(≒コンクリートの品質)
t:時間

鉄筋位置が中性化の深さよりも奥にあれば健全で、浅いところにあればいつ腐食してもおかしくないという状況です。
この時間で計算できる式が、鉄筋コンクリート構造物における減価償却や供用年数を導く根拠です。

中性化を防ぐ対策はシンプルで、ひとつは鉄筋のかぶりを深くとることです。
上の式で速度係数を4.0とすると、30mmに達する時間は56年、40mmにすると100年になります。

ちょっと専門的な説明になりましたが、こうした理由で現代コンクリートの寿命が決定されます。

この記事を書いてる間にローマン・コンクリートのWikipediaを見たのですが、少し訂正したいところがあります。

「性能」という項目の冒頭で、「現代のポルトランドセメントはアルカリ性になる化学反応によって結合しているため、炭酸化によって表面から中性化することでしだいに強度を失っていく。」とあります。
大嘘です
コンクリート自体は、中性化や炭酸化によって強度を落とすことはありません。
炭酸カルシウムを生成するので、むしろ緻密になります。
中性化とは、内部の鉄筋の寿命です。コンクリートの寿命ではありません。

鉄筋はコンクリートにとって八門遁甲みたいなもので、使うとめちゃくちゃ強くなるけど寿命は縮まる方向にいきます。
それでも鉄筋によって強固な構造物を造ることを現代社会は選んだのです。

それでは、ローマン・コンクリートは中性化に対してどうなの?というお話。
上の土木学会の調査では、出土したローマン・コンクリートをX線で組成解析しています。
その結果、カルサイト(炭酸カルシウムの結晶のひとつ)という中性化生成物のピークが高いことを示しており、これは中性化が進行していたことを示しています。
時間がめちゃくちゃ経っているので当たり前ですし、そもそもローマン・コンクリートの硬化は炭酸化(中性化機構のひとつ)によるところが大きいです。
これは憶測の域を出ませんが、作製時のアルカリ分も現代のコンクリートよりも相当少ないだろうと思います。

なにが言いたいかというと、ローマン・コンクリートではおそらく、耐久性の弱い鉄筋コンクリートができあがります
コンクリートそのものは優れているのですが、鉄筋との相性はイマイチだろうと予想できます。

ローマン・コンクリートは驚くべき技術です。
上に挙げたようなニュース記事は定期的にリリースされますし、2000年前のコンクリートが今よりも強いかもしれない、なんて耳障りのフレーズはSNSでも容易にバズります。

でも、多くの人がこういった記事を読んでローマン・コンクリートに抱くイメージは、幻想です。
パンテオンのような例はきわめてまれですし、今残っているローマン・コンクリートは当時つくられてうちの比率で言えばごくわずか、強いものしか残っていないので強くみえる、という生存バイアスは絶対に無視できません(だいたい、重要なものはしっかりメンテンナンスされている)。

ローマン・コンクリートと現代コンクリートの差はよく、火山灰の存在だと指摘されます。
個人的には、それは些細なことで、設計思想が全く異なることの方が重要と捉えています。
端的に言えば、補強材料として鉄筋を使用しないことと、コンクリートの使用場所と作製場所が同じかどうか、の2点こそが現代との差かな、と。

現代のコンクリートの多くは内部の鉄筋により寿命が決まります。
ローマン・コンクリートがいくら耐久性に優れるとはいえ、鉄筋を入れていないローマン・コンクリートで現代の建築基準を満足する構造物を造ることは基本的に不可能ですし、そもそも鉄筋との相性も悪いのです。
現代とローマのコンクリートは、材料こそ似ていても構造的には大きく異なるので、寿命を直接比較するのはあまり意味がないかな、と僕は思います。

ローマン・コンクリートは、工事現場に材料を持ち込み、レンガで作った型枠のなかで骨材と粉体に水を足して突き固めることで作製します。
当時では相当な技術革新でしたが、現代でこんなことをやっていたら何日たっても家ができあがりません。

この解決策のひとつとして、現代のコンクリートは必ず「移動」を伴っています。
多くのコンクリートは生コン工場から専用車で出荷されるし、そうでなくてもポンプなどで圧送することにより所定の場所に送られます。
そのためコンクリートの流動性を保障するために水分という劣化因子を加える可能性もある上、施工のステップと作業者が増えるためにそれだけミスが起こる可能性も増えます。
国内においても、戦前の現場打ちコンクリートの方が戦後の生コン打ちより耐久性に優れる例は多く指摘されている、というのは前の記事でも書きました。

こういった事情で現代とローマのコンクリートは寿命が異なるかもしれないが、それはコンクリートという材料に対して人間が下した選択です
我々は制限がきわめて多いローマのコンクリートよりも、施工が容易で、材料の制限がきわめて低く、鉄筋の存在により無限の自由度を持ち、数十年スパンでの更新が可能な現代コンクリートを選んのです。
ローマン・コンクリートから2000年、少なくとも日本ではそういう未来を選択しました。

9.ローマン・コンクリートから何を学ぶか

それでもローマン・コンクリートは、本当に尊敬すべき技術です。
鉄筋コンクリートの中性化の説明は少ししましたが、もちろんこれ以外の要因でも現代のコンクリートは劣化していきます。
たとえば雨風にさらされて化学的に浸食を受けたりすることはあり、これは鉄筋ではなく純粋なコンクリートの耐久性で決まります。
鉄筋を入れていなくても、現代のコンクリートがパンテオンのように2000年後も残っているか、という問いに現代のコンクリート技術者は自信をもってイエスとは言えません(少なくとも僕は)。

ローマン・コンクリートは工学的に非常に魅力的な材料ですが、僕は個人的には、それを作り上げたローマ人に対する尊敬の念に堪えません。
ローマン・コンクリートは僕たちにいろいろなことを教えてくれます。

まずひとつは、その地域の材料を使うこと
ローマ人にとっての火山灰や石灰は、今の日本社会ではセメントの材料になる石灰石や、セメントの代わりに使用できるフライアッシュなどの産業副産物や廃棄物、そして自然由来の石や砂に水です。
コンクリートというのは、水の次に多く消費されるもので、日本人は一人当たり年間330kgのセメントを消費しています(コンクリートに換算すると2.5tくらい)。
こういった大量に使うものは、いくら品質がいいからって外から運んだり輸入したりしたらとんでもない輸送コストになります。
石や砂に関しては良質な自然資源は枯渇しつつあるので、人工物やリサイクル品を多用していく必要が今後はあります。

そして、丁寧な施工を怠らないこと
ローマ人はレンガの壁のなかにモルタルを流し込んで、人力で締め固めました。
いくら施工性の良いコンクリートという材料だからって、レンガを組んだり材料を運んだり締め固めたり、相当な労力です。
それでもそうやって作ったコンクリートは、いくらレンガの壁に守られてるとはいえ、現代にも形を残すほど長持ちしている。
何度もいいますが、これは本当にスゴイことです!

さいごに、メンテナンスを怠らないこと
ローマン・コンクリートほどかはわかりませんが、現代のコンクリートももちろん耐久性に優れるものがつくれます。
それでも社会インフラにおいてメンテナンスフリーという言葉は、僕はあってはいけないと思います。
どんなものでも必ず劣化していくし、ローマン・コンクリートのように耐久性に優れる材料をつくるのはその手段のひとつにすぎません。
そこを見失うと、大部分のローマン・コンクリートのように、瓦礫の下に埋まってしまうかもしれません。
個人的には、この教訓こそ大事にしたいと思っています。

ぜんぶ、すごく当たり前のことです。
上で書いたようなことは、建設を学んだ人間なら最初に教えられるような、基本中の基本です。
ローマン・コンクリートは、僕たちが教科書を読んで知った気になっていたようなことを、2000年という壮大なスケールを伴って、重みのある教訓として改めて教えてくれます

さて、長くなりました。
それではみなさん、ブラタモリを見ましょう!
(火曜日深夜に再放送!)

1/15追記
NHKオンデマンドでも見れるみたいです。
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2018093983SC000/?np_banID=top_sp0009_093983

【参考文献】
・小林一輔:コンクリートの文明誌(岩波書店),2004
・土木学会:コンクリートライブラリー 131 古代ローマコンクリート-ソンマ・ヴェスヴィアーナ遺跡から発掘されたコンクリートの調査と分析-,2009
【写真提供元】
・Pixabay
https://pixabay.com/ja/

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