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英語が苦手だった私が大学院留学して、外資系コンサルで働くまでの話③

前回までの話は以下からどうぞ

漠然とした不安と英語力への焦り

周りの就活生が忙しさのピークを迎える中、留学エージェントと月一くらいでコンタクトしながら必要書類や学校の絞り込みを続ける日々を過ごしていた。

志望校は将来やりたいこと、学びたいことから逆算し、マトリクスを作って定量評価し、大体5校ほどに絞りこんだ。

大学の成績もまぁ悪くないので、不安要素はほぼ英語力だけである。

この頃には留学エージェントはイギリスを専門とする1社(イギリス留学したい方であれば一度は聞くbeoである)に絞り込んでいた。
イギリスのNCUK(ブリックスクエアの一部)が運営しているエージェントなので、現地大学パイプラインもそれなりに太く、サポートも手厚かった。
そして、NCUKが主催する大学院留学準備コースもこのエージェントが主催していた。

このコースはIELTS 5.5以上であれば参加可能で、このコースを所定の成績以上で卒業できれば、NCUK加盟大学のどこかしらには入学できるものだった。
ただし、単なる英会話スクールではなく、diploma(準修士過程)に該当するため、講義というスタイルがとられ、それなりの学費もかかった。

ただ、英語力不足の不安からは解放されるセーフティネットにもなる、かつ大学院留学後にフォーカスしたコース内容でもあったので、投資の意味で入学することにした。

メンタル的には楽になったが、パートタイムで11ヶ月間通うことになったため、大学4年の夏前からダブルスクールとなった。

週一のゼミのために学部棟にいき、それ以外は図書館、そして土曜日丸一日と夜は準備コースに通った。
暗黒生活そのものである。

大学院留学準備コースの辛さ

パートタイムの大学院留学準備コースなので、メンバーは社会人の方が中心で全部で8人。たまたま1人だけ同い年の男子大学生がいたので、ちょっと一安心したのを覚えている。

最年少は僕と彼、最年長はNGO系で働かれていた女性の方で50歳代だったと思う。
それなりの個性的な面々で、11ヶ月学ぶのかと思いつつも、ここで踏ん張らないと留学はないと強く噛み締めた。

授業のスピードもさることながら、社会人の方たちのキャッチアップ能力や課題への取り組み姿勢はさすがだった。時間のない中でいかに量をこなすか、質を高めるかを心得ている。
そして人前で話すことに慣れている。
MBA取得のためにコースに参加していた方とは今もキャリア相談に乗ってもらうこともあり、非常にありがたい繋がりもできた。

大学では自分と同じ境遇の人がいなかったため、それなりの孤独感もあったが、このコースでは全員が同じ目的(大学院留学)を持っており、情報交換や悩み相談もできた。
そして社会人の方たちの時間の使い方を学生のうちにちゃんと見れたことも良かった。

年齢もバックグラウンドもバラバラなうえ、それぞれ目指している専攻も違うとなると、お互いにストレスの溜まる部分もあったかと思う。

勉強面については、単なる英会話ではなく、English for Academic Purpose(EAP)というのがコースで謳われている通り、論文の書き方、方法論、プレゼンテーション、キャッチアップの仕方等さまざまなことを叩き込まれた。かなり体系だって教えていただいたと思う。
留学後のレポート作成でもかなり役だった(後日談だが、このトピックのレポートでは、後に高評価を取ることができた。それくらい良い内容と講師だった)

そして海外大学に通った方ならわかるであろうレポートにおけるreferenceの大切さとplagiarism(剽窃:論文盗作)の危険性も理解した。これは日本の大学は緩々だったので、すごく大変だった。アカデミックはなんたるかを英語で教え込まれた。

コースで英語、そして英語で何かを学ぶということを主軸に置きつつ、IELTSの勉強も進めた。
スピーキングは慣れるしかないので、壁に向かってずっと話す練習をした。
人に見せられるものではない気持ち悪い光景だろう。大学に行っても友達もあまり通学していない時期だったりしたため、3日間とか誰にも合わず壁と話す日々が続くこともあった。

1人でいるのが寂しくない性格なのだが、多少の虚しさは考えつつ、早くIELTSのスコアが取れれば遊びに行ける!というメンタルのもと勉強を続けた。

やがて卒業論文も書く季節も近づいてきていたので、日々のスケジュールは卒論、IELTSの勉強、準備コースの予習と復讐、そして講義に行くという繰り返しになった。

コースの辛さはあったものの、優秀なネイティブ講師陣(TESOL保有)のもと、何かしらできるようになってきていることだけは実感していた。

この頃のスコアはIELTSのoverallが6.0であり、writingがいつも足を引っ張っていた。高校で勉強をちゃんとやらなかったつけが回ってきているんだなと思った。
なぜか得意なことはspeakingとlisteningだったので、机に向かって追い込むreadingとwritingだけがどうも苦手だった。

息抜きにクラウドワークスで内職をして、お金をため、オンラインのIELTS writing添削コースにも手を出した。

そんなこんなで大学も無事卒業を迎える

大学卒業、そして半年間のブランク生活

卒業論文も無事提出し、単位も取り切って晴れて大学卒業となった。
働きたくないねーとか笑い合う同級生たちを横目に、私は進路自体も決まっていなかったので、周りへの説明もそれなりにめんどくさかった。
イギリスの大学院留学に行くことだけは伝えられたが、いかんせん合格が確定している志望校はこの時点でなかった。

大学院留学準備コースのセーフティネットはあるものの、不安な日々は続いているのである。

就職浪人した友人がいたことで、たまに息抜きの話しはできたが、友達の99%は卒業した。

そして私から大学生という肩書きは消え、学卒新卒という就活の最上級シークレットパスは失われたのである。

卒業してから大学のキャンパスに行くのも嫌だったので、1ヶ月1万円くらいのプライベートオフィスを借りることにした。狭い一軒家に仕切りがあるだけのスペースだったが、司法書士、行政書士などの勉強に励む人が多い場所だった(テキストが見えただけ)

大学に行くことも推薦状を書いてくれたゼミの教授にたまに会いに行く必要があったくらいで、これまで以上に孤独な日々を送ることになった。

そして相変わらずIELTSが伸びなかった。

listeningやspeakingが7.0を超え出したにも関わらず、readingかwritingがものすごく足を引っ張ることが2回ほど続いた。

そして夏間際にもなり、もうIELTSのミニマムスコア取得が間に合いそうにない状況になってからは、大学院留学準備コース1本の勉強に絞った。

そこでの最終成績さえ良ければ、IELTSの要求スコアに届かずとも、志望校に入る道は見えてくる。
IELTSのスコアが要求水準に達していなくても、現地の学校に直接掛け合うと入学オッケーをもらえることもあるようだが、私の場合は受け入れられなかった。
この時点では既に何校かConditional offer(英語力以外は入学条件を満たしている)をもらっていたので、本当に英語力だけだった。

現地大学の入学時期まで3ヶ月を切ったが、ギリギリまで志望校が決まらない不安からかなり不安定な状態だった。

そして大学院留学準備コースの成績が返却され、ようやく進学先が決まった。
目指していた成績に一歩足りず、私は第二志望の大学院に進むことになった。

悔しさと安心感とこれからの生活への不安が一斉に襲ってきたが、そんな余韻に浸るまもなく、いろんな手続きをこなさなければならなかった。

そんなこんなで、University of LeedsのBusiness Schoolに進むことが決まった。

本当に色んな準備が重なり、渡英まで1週間を切るころにようやく4年半住んだ大学周りのアパートを解約、実家に3日間だけ滞在し、イギリスに旅立つことになった。

ようやく渡英当日

そして渡英当日。
成田空港に行ってパスポートと1年間有効な往復航空券を見せると、カウンターのお姉さんに絶望的なことを言われた。

お客さまの復路の航空券がパスポートの有効期限を超えているため、ご搭乗いただけません。

目の前が真っ白になった。どうしていいか分からずに、留学エージェント提携先で、航空券を手配してくれた旅行会社に電話をかけたが、日曜日のため繋がらないということがさらに不安を駆り立てた。

今日旅立つことは留学先の寮にも連絡しており、ピックアップサービスも頼んでいる。全部計画が崩れるという不安に襲われ、どうしていいか分からずとりあえず父親に電話をかけた。

渡英できないかもしれないと

当時、イギリスへ長期留学に行く際には往復航空券、もしくは復路航空券を買うだけの金銭的余裕がなければ、留学ビザが降りていても入管で弾かれるといったアクシデントがあることを聞いていた。

もうどうしようもないので、なんとか別航空券を発券してもらうしかないとなり、チェックインカウンターの横にいる偉そうなおじさん管理職ぽい人の腕を掴んで、助けてくださいと事情を説明した。

往復航空券のキャンセルは旅行会社ではないとできないらしく、航空会社では対応できないとのことだった。そして、一時的に別の復路用航空券を発行し、後からキャンセルすれば、とりあえず今日の便には乗れるとのことだった。

発券にはおよそ40分以上かかった。
そしてボーリング場で昔もらったスコア表のようなA4用紙5枚綴りのような航空券が発行された。

そしてようやくオランダ航空(KLM)に登場し、アムステルダム経由で、リーズまで飛び立てることになった。

初めての長期留学への緊張と不安から、前日は一睡も出来なかった上、搭乗トラブルで疲弊しきっていたが、飛行機が嫌いなので、全く寝れなかった。1人で海外も初めてだったので、なおさらだ。

アムステルダムのスキポール空港ではフラフラだったが、乗り過ごすわけには行かないので、根性で起きていた。

そんなこんなで無事にリーズブラッドフォード空港に無事到着した。
イギリスの9月の夜はものすごく冷えた。

半袖にジャケット1枚の中、気温は9度の寒さであったため、死ぬかと思った。
そして寮の誰かぎピックアップをしてくれると思っていたのだが、そんなものはなかった。

空港で待っていた担当者に自分でタクシーに乗って行けと言われた。
そして寮に着いたら、このSIMカード(5分の通話無料)を使って、セキュリティに電話をかけろと。
なんか思ってたのと違うと思いつつ、ほぼ2日寝てない私は反論する元気もなく、空港のタクシー乗り場で行き先を告げ、大学の寮に案内してもらうことにした。

Wi-Fiもないので、どこにいるかもわからない。
アラブ系の運ちゃんが流すヒップホップが虚しく車内に流れる中、ようやく街っぽい景色になってきた。この時点で現地時間の夜10時くらいである。
タクシーの運ちゃんも寮の正確な場所がわからず、とりあえず道行く学生っぽい人に道を聞いてくれ、ようやく辿り着いた。

ただ寮の入り口がわからない。
無機質なドアが2つあるだけで、セキュリティルーム的なものも見当たらない。そもそもどこが正面なのか分からず、電話をかけることにした。

街灯下でやっとSIMカードをセットし、電話をかける。

今日から寮に入るものなんだけど、どこから入ったらいい?迎えにきてくれない?

と片言の英語で伝える。

5分ほどして、寮管理担当の学生が迎えに来てくれた。
やっと部屋に入れてもらい、荷物を置いたところで彼女は生活楽しんでねーと去って行こうとしたが、慌てて引き留め部屋の仕組みとWi-Fi接続パスを教えてもらった。

布団等はあらかじめ注文しておいたので問題なかったが、いかんせん寒い。
35度から9度の世界に来たのだ。

そして部屋にある暖房器具はセントラルヒーティングといって、エアコンタイプではなく、金属プレートがじんわり暖かくなり、部屋を暖めるものだった。
そして室温15度くらいで切れてしまう。

寒すぎる。

とりあえずシャワーであったまろうとしたわけだが、ここもイギリスクオリティ?なのか寮クオリティなのか、温度調節があまり効かなかった。
めちゃくちゃ熱いお湯か、かなりぬるいお湯、もはや水しか出なかった。

寒さに耐え切れずめちゃくちゃ熱いお湯でシャワーを浴び、コートとトレーナーをキャリーバッグから引き摺り出し、1枚だけの布団にくるまって、眠ることにした。
喉も乾いていたが、もう眠さには勝てない。

飢餓状態だが50時間以上まともに寝ていなかった私は、震えながらその日の意識を手放した。

コンディションが最悪なことに加え、オランダ航空内でずっと鼻水と咳に苦しんでいたお姉さんの風邪ももらっていたようで、その後2週間にわたり風邪に苦しむことになるのだが、それはまた別の機会に。

そしてようやく、大学院生としての生活が始まったのだった。

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当時を思い出しながら書いていたら、思ったより長くなってきた。
ようやく大学院編に突入。

続く



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