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果てのない寂しさとともに最果てを行け:後編

こんにちは。津軽山野です。
先日投稿した「最果て、とは:前編」に引き続き、
下北半島の旅の記録を綴ります。

下北半島最東端の尻屋崎、霊場恐山。
最果てを目指して向かった旅の先には、
まだ見ぬ美しい風景がありました。

生きて辿り着ける彼岸、仏ヶ浦

干潮なのか海岸線が遠い。真っ白い奇岩が並ぶ。

真っ白な奇岩。どこまでも透明な海。
今は無いアトランティス。風は凪いでいる。
なにやら甲高い鳥の声が遠くに聴こえるが、その姿は見えない。全てが幻だと言われても、そうかもしれないと思ってしまうほどの美しさ。そして生命の息を感じられない寂寥とした地。

人はここに彼岸を見た。

仏ヶ浦、下北半島の誇る絶景。
マサカリの刃先の真ん中あたり。
日本一美しい村と呼ばれる下北郡佐井村にあります。

巨岩の間を抜けると、そこは海であった。

日本の秘境百選にも選ばれているこの場所は、むつ市から車でおよそ1時間半ほど。佐井村から遊覧船に乗り、海から向かうことも可能です。およそ2kmにわたって緑白色の奇岩がずらっと立ち並ぶ姿は遊覧船から一望できます。

極楽浄土に来たかのようなこの風景。
私はむつ市から車で海沿いの道を来ましたが、10月終わり、下北半島の紅葉も終盤、途中、崖にたむろするニホンザルの団体を横目に、下北半島の陸側の絶景も堪能しました。
余談ですが、最近はサルによる農作物被害が増えているとか。管理されない山と徐々に人がいなくなる里と、その境目が曖昧になったからでしょうか。

光り輝く紅葉。

仏ヶ浦へ向かう途中には何箇所か小さな駐車場と休憩所があり、車を降りると外は冷たい秋の空気に満ちていました。日差しは柔らかく黄金色で、山々は静かに、そしてゆっくりと眠る準備をしていて、木々のため息のような空っ風が時折強く車を揺らします。

ふと、カツラの枯葉の甘い香りが。
あと数ヶ月後にはここは白銀に染まり、東北の長く厳しい冬へ、季節は留まることなく移ろいます。

さて、仏ヶ浦までの道はけして楽ではありません。紅葉に見惚れている暇がないほどの峠や、落ちたら命がないような高さのハイウェイにきっと手汗を滲ませながら向かうことになるでしょう。(ちゃんと舗装されている上にガードレールもありますが、気を引き締めて行きましょう。時間を気にしない旅なら途中休憩しながら景色を楽しむのが良いですね。旅の醍醐味)

仏ヶ浦は山を越え、坂を下り、また峠を登った先にようやく姿を表します。が、そこへ降り立つには、まず指定の駐車場に車を停めて、急な山道と階段を自分の足で降りなければなりません。

海は眼下に見えるのになかなか着かない。

風は冷たいが、海は凪いでいる。

ところどころに熊出没注意の看板が。
できるだけ大きな声で話しながら、下へ下へ。

木製の階段を降りると、ようやく仏ヶ浦その場所に。

鏡面に映る空。

首が痛くなるほど見上げる高さの乳白色の巨大な岩々が、真っ青な空に聳え立ち、足元には、青空と奇岩が鏡のように砂浜へ浮かび上がります。塩の満ち引き、時期や天気にもよりますが、薄く海水が張ったその場所を歩くにはスニーカーはNG。長靴とまでは言いませんが、ブーツのような撥水性あるものをおすすめします。

岩壁に沿って遊歩道も続きます。
海に迫り出すような道が。

無人の停泊場。

きっと遊覧船が停まるのでしょう。

映画エボリューションの海岸を思わせる。

東北の海とは思えないほどのエメラルドグリーン。
そしてその透明度!

宝石のような輝き。



夏だったら飛び込んでたね(注:調べたところ遊泳はできないそうです。残念)と友人と冗談混じりに話しながら散策していると、遠くに何やらスーツ姿の団体が。ジオパークとしても貴重な景観の仏ヶ浦。多くの視察が訪れるようです。

仏ヶ浦のこの奇妙な風景は、数百万年前なんて途方もない昔に海底火山の噴火と地層の隆起でできたそう。岩は凝灰岩で長い年月、風雨や波に浸食されて今の形になったとか。

五百羅漢や如来の首など、岩にはそれぞれ名前も付けられているそう。仏ヶ浦の観光HPがあるので、そちらで予習してから行くと、より深く観光できるのではなかろうか。(下記参照)

https://hotokegaura.jp

ちなみにこの仏ヶ浦、天気が良いと極楽浄土ですが、悪天候や海が荒れている日はその様子は一変します。

大荒れの津軽湾。

お分かりいただけるでしょうか?
遊覧船が停泊する遊歩道は高波に呑まれています。
仏ヶ浦へ下りる階段ですら、一番下までは行けません。轟音と共に沖から打ち寄せる大波は、自然の恐ろしさを我々に突きつけ、人間がいかにちっぽけな存在かを教えてくれます。
荒々しい一面を見たい方はぜひ。
ただくれぐれも安全に気をつけて。

此処から先に道はない、大間崎。

仏ヶ浦からさらに北上した先にあるのは、マグロで有名なあの場所。

最果てに惹かれるのが人の常。

本州最北の地、大間崎。
ここから北への陸路はありません。
まさに最果て。これより先に道はない。

天気が良ければ、津軽海峡の向こうに北海道函館市が見えるはず。大間崎から函館まで直線距離でおよそ17キロほど。

夕陽が沈む海峡。

10月末、晴れ。午後4時半。
大間崎は日没となります。
沖の方で、局地的に雨が降っているようでした。
夕日に照らされた雨は真紅に染まるなんて、今まで誰も教えてくれなかった。

赤く染まる雨。

この美しい日の入りを見るためか、割と人は多めでした。観光と思われるご夫婦やカップル、大きなカメラを持った男の人も数名。
皆、なぜだろう、話すこともなく、ただひたすら海峡に沈む夕日を睨みつけるように見つめていました。
時たま、誰かのため息と、乾いたシャッター音だけが響きます。

午後5時くらいだったでしょうか。
近所の魚屋さんなのか、女性がバケツいっぱいの魚の切り身を持って現れました。
「来た来た!」
と写真を撮っていた男性の嬉しそうな声。

女性ら慣れた様子で切り身を海に投げ込むと、
鴎?ウミネコ?
多くの鳥が群がって夕飯の奪い合いを始めます。

ようやく人々の顔に笑顔が。
笑いながら写真を撮る人々を尻目に、空腹を満たした鳥たちは、一羽また一羽と海峡へ飛び立ちます

自由とは強さなのかもしれない。
孤独を覚悟した強さ。
過去や日々の営みから抜け出して、
抜け出した先に安定を求めず、ただ1人行く。

さらば読者よ、命あればまた他日。
元気で行こう。絶望するな。
(太宰治著、津軽の最後の一文)

夕食中の鳥たち。


果てを臨むこの地で生きる人々の強さは美しかった。
近くのお店を冷やかしながら、冬の彼女彼らを思います。雪と氷に包まれたこの海岸沿いで、あなたたちはどう生き、あの冬を越えているのか。
お土産を買って、あっという間に通り去ってしまう我々旅人をどう思っているのだろう。

どこから来て、何を見るためにここへ?

私も「最果て」を見たいがために、この下北半島まで来ましたが、最果てだと思っていた地にも生活というものは息づいていて、ただ旅人だけが根付いていない町だという漠然とした寂しさを感じました。

21世紀。人が行けない場所なんて、もう無いのかもしれない。極寒の北極や赤道直下の灼熱の国も、アマゾンも行き尽くしてしまって、この世に未開の地なんてものはもう無いのかもしれない。どこまで行っても、そこで暮らしている人々はいて、コミュニティがあって、我々が通り過ぎる町を羨ましげに見ても、その中に入ってゆくことは難しい。

ただ、美しさというものと寂しさというものはどこか重なる部分があって、もしかすると、だからこそ人はそれを郷愁なんて呼ぶのかもしれません。

不在の原風景を思う時、きっとそこでは暮らせないという悲しい諦観が、あなたをずっと惹きつけるのでしょう。

また、どこにもない果てを目指して、
時たま悲しくなりながら旅の記録を続けます。

では、命あればまた他日。

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