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果てのない寂しさとともに最果てを行け:前編

こんにちは。
津軽山野です。

随分かっこつけたタイトルにしちゃいましたが、
だらりと記した下北半島の旅行記です。

下北半島、ご存知でしょうか?

知らない方は、InstagramやTwitterで、#下北で検索してみて下さい。きっと下北沢の画像などがたくさんヒットすると思います。
もちろんその下北ではなくて、そこから北へおよそ800キロ。青森県のマサカリの刃の部分。本州最北の地。

大手旅行会社のパンフレットや雑誌では、悲しいかなそこまで取り上げられない地域ですが、とんでもない魅力と、生涯忘れられない風景を見れる最果ての地です。

原風景を探して

あなたの原風景はなんですか?
(津軽山野、大学一年の春。ある講義にて教授の問い)

それは例えば、昔住んでいた実家近くの河原だったり、古びた駄菓子屋がある商店街だったり、岩場だらけの海岸だったりするでしょう。
雪国育ちの人なら、真っ白に染まった田園かもしれないし、南国育ちの人ならヤシの木が揺れる海沿いのハイウェイかも。
ただ、誰しもが原風景をひとつでも持っているのです。
そして、この原風景の面白いところは、自分が実際に行ったことのない場所でも、なんとなく懐かしさを感じる場所。それすらも原風景なのだという。

不在の原風景。

それはテキサスの農場の夕暮れ。
もしくは南フランスの葡萄畑の朝靄。

ある作家は、生まれ故郷を荒野と呼びました。

不在の原風景、荒野

鬼才寺山修司を追って

寺山修司は青森県三沢市出身の作家、詩人、劇作家、競馬ライター、座長。多くの肩書きを持った偉大な人物です。

彼はまるで木枯らしのようなカラッと鋭い文体で、故郷青森を色々な形で書き残しています。

そして、彼は田園や荒野、列車という言葉を好んで使用しました。俺は汽車の中で生まれたから故郷を持たないなんて嘯いたのは有名な話で。

そんな寺山修司が見た青森とは、荒野とは?
鬼才が見つめた地には一体何があるのか。そこは確かに、果て、だったのか。

それを自分の目で確かめたくて、
もう肌寒い10月も終わり、下北半島へ車を走らせました。

尻屋崎灯台の馬と海

物語に登場するような灯台。

国道をひたすら走って4時間ほど。
下北半島へ行くには、高速道路はあまり役に立ちません。下道をゆっくりと進みます。下北縦貫道路なんてこれまたエモーショナルな道も。

太平洋沿いを行くか、津軽湾側を行くかはあなたの自由です。私はというと、行きは太平洋側の道を選び、おいらせ町や六ヶ所村の風車を横目に目的地へ向かいました。

出発は朝9時頃だったのに、そこに着く頃には午後1時をとうに過ぎていました。

秋特有の、晴れているのにしんとした気配。

人気のない鬱蒼とした森の中の県道、
ところどころ遠くに見え隠れする海、
突如現れる巨大な鉱業所を通り過ぎると、スバルのCMに出てきそうな感じの、海を臨むゆったりとしたカーブの道が続きます。

なんとも言い表せないような風景を進むと、
あ、馬だ。

ガラスの反射で筆者が写ってしまってます。

馬だ。
しかも結構でかいし、なんか毛が長い。

この馬たちは寒立馬。
尻屋崎がある東通村周辺の寒さが厳しい土地では、南部藩時代、農耕馬として多くの家庭で飼育されていました。厳寒や粗食に耐える強靭さから、幾年月、地域の人々の暮らしを助けましたが、時代の流れとともにその頭数は激減。今は保護活動などにより、なんとか個体数を維持されています。

そんな美しくも儚い馬たちに目を奪われながら、
さらに進むと、白亜の灯台が現れます。

群青の海。風は強く、波は高い。

ここが、下北半島最東端。
尻屋崎。

抜けるような空の青と、黒みがかった海の深い青。
そこに浮き上がるように現れる灯台は、尻屋崎灯台と呼ばれ、およそ120年の歴史を誇ります。
外壁はレンガで作られ、レンズは国内最大級のものを使用。今でも津軽海峡を照らし、荒波を超える船乗りを助けています。

入り口で入場料を払えば、実際に中の階段を登り、地上から30メートルほどの展望台へ行くことができます。


明治9年。廃刀令が発布された年。


終わりが見えないような螺旋状の階段。
ところどころにある窓から、自分がどれくらいの高さまで来たのか窺うことができます。

厚いガラスの向こう。地上は遠い。

かなり高いけど、まだ着かない。
高所恐怖症には辛い道です。

響くのは自分の足音と遠くに聞こえる波の音だけ。息を切らしながら、静謐な灯台の胎内を進みます。

あなたが壁に手をついてひと呼吸おく頃、
突如、巨大な天板のようなものが現れるはず。

昼下がりの光に照らされて、影さえも美しい。

これが日本最大級のレンズ。
津軽の海を守っている光です。
なんという張り詰めた美しさ。

レンズを満遍なく眺めたいところですが、
ふと外から流れ込む冷たい風に気付きます。 

外だ。

地上の星よ。

空の青とは絶対に混じり合わない、荒々しく強い海。
秋らしく、芝生が乾いたような黄金色になって、より荒涼とした雰囲気の尻屋崎を一望できます。

手すりに掴まってしばし茫然とその美しさに見惚れます。が、地球からほんの少し浮いただけなのに、風は容赦なく吹き付けます。人間がここに立つことを許さないように。

100年も前、ここに初めて着任した灯台守は一体どんな人だったんだろう。きっと、夜になるとここは漆黒の闇に包まれて、風と波の音しか聞こえない。嵐の日にこの場所に立って、荒波に今にも消えそうな船を必死の形相で照らし続けたこともあったのでしょうか。

(昔読んでいた児童書に少しだけ灯台守が登場したことを思い出します。とても切ないお話でした。今だとA24制作のlighthouseという映画が話題ですね。余談でした)

さて、風で指先がかじかんでくるので、地上に戻ります。が、かなり怖い。行きはよいよい、帰りは......とかいうやつですね。

雪のような白さ。触るときっと冷たい。

下から見ても圧巻。凛とした佇まい。本当に真っ白。
いつまでも眺めていたいけれど、目的地はまだまだあるので。さらば、下北の海を照らす光よ。

尻屋崎表記のバス停。

ちなみに、バスも通っているようで。
1日に4本ほど。むつ市との間を繋ぎます。
車の運転が得意じゃない方やあまり時間を気にせず旅行できる方はバスの旅も良いのでは。
車掌さんの「次は尻屋崎ー、尻屋崎でございます、お降りの方は......」なんてアナウンス、すごくぐっとくるんじゃないかな。

日本三大霊場の峰

遠くに見えるのは地蔵菩薩。

日本三大霊場と聞いて、全て答えられますか?
私はここへ来るために調べる中で初めて知りました。

滋賀県の比叡山、和歌山県の高野山。
そして青森県の恐山。
恐山は特に、イタコさんがいることで有名ですね。

そんな恐山。
下北半島、斧の刃の部分のど真ん中。
本当にこんなところにお寺が?ってくらいの鬱蒼とした山道をひたすら上って下って。紅葉シーズンは綺麗だけど、冬はこの道どうなるんだろう。
(調べたところ11月末から冬季閉鎖とのこと)

車を走らせていると、
突如、恐山と大きく書かれた巨大な古びた門が。
ようやく恐山入山です。

しかしまだまだ山道。
こころなしか硫黄の匂いがする。

宇曽利湖。どこか寂しい。

急な坂道を越えて少し走ると、
ぱっと視界が開けて、しんとした湖が現れます。
宇曽利湖です。
水深23mのカルデラ湖。
恐山周辺の恐山山地と呼ばれている一帯はかつて昔に噴火していて、未だに活発な火山活動が確認されているとか。

ちなみに恐山は略称。
仏教の曹洞宗のお寺で、寺名は恐山菩提寺。
ご本尊は地蔵菩薩。
開山は今からおよそ1200年前とされています。

名前のおどろおどろしい様子から観光としてはあまりチョイスしないかもしれませんね。アクセスも良いとは言えません。

「人は死んだらお空に行くんだよ」なんて幼少期に親がそんな風に話すのを聞いた経験は誰しもあるかと思います。
この下北半島では少し違うようで「人は死んだらお山さ行く」のだとか。
お山というのは、ここ恐山。
開山からおよそ千年、この周辺に住む人々の心の拠り所として多くの信仰を集めています。また、その信仰は下北半島だけに止まらず、東北をはじめ、多くの方が肉親の菩提を弔いに訪れるほど。

そんな恐山、硫黄の匂いが立ち込める中、歩いて行きましょう。

寺門。

広い駐車場に車を止めます。恐山の標識を付けたバスが停まっていました。
さて、駐車場からすぐの荘厳な木造の門を潜ります。
硫黄の匂いがかなり濃い。火山ガスによるものです。
場内を進むと岩場のあちこちから湯気が出ているのに気づくでしょう。

菩提寺を見下ろしてみる。

中はかなり広く、じっくり見るには小一時間は必要です。10分くらいで、なんてラフな気持ちで行くと後悔することになるかもしれません。

場内には本尊を祀る地蔵堂をはじめ、多くの建物があります。宿坊もあり、泊まることもできるそう。要予約らしいですが。受付で入山料を払う時、パンフレットを頂けるので、照らし合わせて巡るのが良いですね。

本尊へしっかりお参りをし、お堂をひと通り巡ります。かなりの砂利道。来る時は歩きやすい靴にしましょう。

湯気が立ち、浮世離れした少し怖さを感じるような風景。
ちらほらと看板が。

おどろおどろしい看板。

無間地獄。
それ以外、何の説明書きもありません。

仏教の世界では地獄は八つほどあり、その中でも無間地獄は最下層。落ちた先で待ち受ける痛みは地獄の中でも最も壮絶だと言われています。殺生、邪淫、盗みなど様々な悪行をした人が落ちるとか。

そんな本物の無間地獄よりは幾分マイルドかもしれませんが、それでもひりつくような雰囲気です。やましいことがないように日々生きていきたい。

さて、賽の河原や血の池地獄、修羅王地獄など、ダンテの地獄巡りよろしく、さらに場内を進みます。

慈覚大師の像。かなり大きい。

恐山を開いた慈覚大師、が泣いている。
慈悲の涙でしょうか。

下界を見守る地蔵菩薩。

これまた余談ですが、ここ恐山のご本尊である地蔵菩薩はお釈迦様の入滅後、次の如来が現れるまで、この世もあの世も地獄にいる者も含めて全ての衆生を救おうと奮闘されている存在です。
まさに大慈悲の方ですね。

さて、地獄を抜けるとそこは、

宇曽利湖沿いを歩く。

極楽浜。
先ほどの硫黄立ち込める恐ろしい雰囲気から一変、まさに極楽のような情景が現れます。
エメラルドグリーンの湖。
先ほど来る途中に通った宇曽利湖です。そして白砂の浜辺。水子の供養のためか、あちこちで色鮮やかな風車が回っています。
思わず、水面に触れたくなりますが、ストップ。
実はこの宇曽利湖はpH3.5の強い酸性を示すカルデラ湖。ウグイを除く生物は強酸のため生息することができません。

最近、東日本大震災の供養塔も建てられました。鎮魂の鐘を鳴らします。三陸の海から遠く離れたこの地でも祈りは絶えません。

さて、場内を一巡り。御守りを買って帰ります。菩提寺なので、金運御守りなどは販売していません。悪しからず。

まさに荒野といった風景でした。
寺山修司著「田園に死す」にも登場する恐山。
京極夏彦の百鬼夜行シリーズでお馴染み京極堂も確か幼少期に恐山の麓で暮らしていたという設定だったような。恐山が登場する作品を調べてみるのも面白いかも。

津軽湾。とおくに見えるのは津軽地方か。

さて、秋の夜はあっという間にやってきます。
広い下北半島を満喫するには1日では足りません。
ので、続きはまた他日。後編へ。

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