見出し画像

そこにあると感じられるだけで良い。

よく使う挿絵がある。
(挿絵はこの文の文末にて)

絵というのは、
コーチングと似ている。

答えを教えないから。

何を感じたか
何を考えたか
何に気づいたか

答えは、もらうものではなく
自ら出すものだと思う。

正解不正解を求めるから、
外に探してしまう。

でも、
いつだって

答えというなら

それは自分の中にあり、
もっといえば自分が決められる。


好奇心というもの


覗くな、と言われて覗きたくなった


その向こうで好奇心というアート展がされていたりして


絵画とか
音楽とか
文学だったり
芝居とか
ダンスとか
彫刻や建築、
もっと言えば土器や壁画だったり

とにかく
アートというのは

なんらかのメッセージがあったりして、

それをどう受け取るかは
相手に委ねられていて

それぞれの受け取り方が、
受け取る感性が、

その人の答えを見つける助けになる。

というわけで、
僕の場合の表現は

詩だったり、
イラストになったわけだけど。

この詩とか、
イラストは

コーチングとは関係のないところで
やがてそれとも繋がることとなった。

最初の頃から
コーチングをしたクライアントに
フィードバックのレポートを
送っている。

最初の頃は
本当に議事録的に

クライアントの話したことを
リマインドしてもらうため、

また、
コーチとして
クライアントの成長の評価を
伝えるためだった。

でも、今ここに
挿絵と一言メッセージが
加わることとなり、

それをどう受け取るかは
クライアントに委ね、

さらなる気づきのヒントに
なれば、という役割をすることになっている。
(なっているのかどうかは相手次第だけれど、
とにかく何らかを感じてもらったりしているよう)

そんな中、
よく使う挿絵で、

僕が好きなもの。


大切なものと書かれた箱

大切なものは
目に見えなくても
そこにあると感じられるだけでよい

というもの。


結局、人が得たいものは
その時どう感じたいかだ。

億万長者になったって、
海外を自由に飛び回る生活だって、
誰もが羨む美貌を手に入れることだって、

結局、
あなたが本当に手に入れたかったことは?

ということなんだ。

何を感じたかったのか?

僕自身がある時点で
そのことに気がつき、

何をそんなに求めていたのか?
ということ。

たった今、
何かを得ていないようでも、

その感情を得たいと
今、それを望んでいる、ということを

感じたいかどうか

もし、それを感じたいなら、
もうすでに今、それを得ているわけだ。

というように、
語ったところで

正確には伝わらないだろうから

何を受け取るかは
あなたに任せて

この絵を贈ります。

大切なもの
と書かれた箱に
あなたの大切なもの
それを見て何を感じるだろうか?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?