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コーチでいる、ということ。

コーチングセッション

コーチと2人
共同創造というべきアートだ。

知り得なかった他人の2人

その限られた時間で
心を通わせ
互いに響かせる時間

そこで創造されたものは
今そこにあり

時間や空間を超越し、
もうすでにそこに存在する。

誰であろうと
どんな出会いであろうと

それは愛そのもので、

その人に受け取る準備ができたら
愛は顕現する。

愛を信じているか

愛はそこにある。
それを信じられるか

それに気づいたら
やがて、そもそもの愛そのものが出てくる。

何かを手に入れようとか
何かがなければダメだとか

そんなことからとうとう離れて
愛そのものの輝きを放ち始める。

しかし、コーチは単なるきっかけで、
その信じたことを信念にするのは、

その当人で、

コーチがいなければ
たちまち元に戻ってしまうようでは
何の役にも立っていない。

だから、
できることは限られているけれど、
それでも
その人が変わるきっかけになる縁だと思って、

その時その時の
自分にできる役割をするだけだ。

コーチは何もしない。

その人が
愛そのものを思い出し、

愛そのものとして生きるだけだ。

でも、結局それが
その人そのものを生きるということを
取り戻すことになるのだろうと思う。

コーチがいたことで
何かを得たとか
何かが変わったとか

そんな見返りを求めず
ただただ
その人が
愛そのものでいること

それがコーチの役割
愛が届きますように。

そんなコーチでいたい。

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(あとがき)

コーチングセッションの前に心がけること
コーチングセッションの後に振り返ること

そこに愛はあるんか?

という自分への問いかけ




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