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ずれ

わたしは結構器の小さなところがあって、ついつい目先のことに囚われて、大切なことを見失いそうになるときがある。

仕事をしていく上で、ふと「(ふと我に返って)わたし浮いてないかな」「意見をはっきり言いすぎて生意気だと思われてないかな」「わたしは周りに迷惑かけてないだろうか」「指導医からはちゃんとヤバレジ(※使えない研修医の愛称)認定されてないだろうか」「指導医にデキレジと思われたかな(※使える研修医の愛称)」「患者さんに信頼してもらってるだろうか」「同期に比べて手技がまだ下手くそなんじゃないか」ってことが頭をよぎる。一喜一憂する。

だけど、帰りの電車にのって、病院からどんどん離れていくにつれ、正気が戻ってハッとする。

「いや、そこじゃないやん?」

さっきの思いつき達は、全部とも言わないまで、ほとんどピントがずれてる。

大事なことは、患者さんの健康と幸せだ。
そしてそれを支えるための医術が向上したかどうかだ。

どうも、意識が自分とか他人に向いてるのはよろしくない。

患者さんに向き合うとしても、2.5人称くらいの立ち位置でその関係性を俯瞰してたいし、その病の本質的課題とかで頭をいっぱいにしてたい。

自分がどうとか、他人がどうとか考えてる時点で、まだまだ当事者意識が芽生えてないんだなと思う。

目の前の患者さんにとって、その命を助けられるのが自分一人だけだとしたら、そんなこと考えてる余裕はなくなるもんね。

患者さんを診ずに、自分や他人で頭をいっぱいにしてたら、”うまくやれる”奴にはなれても、本当にその人の治癒に関われる者としては不充分なんじゃないかな。

そんなことを反省しつつ、以下のお話を思い出していた。

https://note.com/narumi/n/n1aeb76bbbe4e
目の前の生命としずかに向き合えるような心持ちで、集中力をもって、明日から臨みたい。

thank you as always for coming here!:)