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文系ですから、という言い訳。

世界の基準では学校での専攻に「文系」「理系」という区分はないらしいが、日本ではいまだに文系・理系という概念が根強い。

私自身は文系・理系という考え方は嫌いだし、自分を文系理系で紹介しないし、他人のこともそういう見方はしない。

とはいえ世間では自己紹介その他多くの場面で個人の特性の1つとして文系理系を使われているように思う。

私が文系理系の概念を嫌いなのは、特に「文系なので」の方。

「理系なので」はむしろ好きだ。

「文系なので」が嫌いな理由はそれが「計算や数学、算数が苦手な理由として使われている」から。

「文系」はもともと理数系の科目を専攻していないことを指していたはずだが、いつの間にか理数系が苦手なことを伝える方法として定着してしまっている。

文系でももちろん理数系が好きな人、得意な人はいる。文系だから計算ができない、というのは全く筋違いの言い訳である。

「文系なので」が嫌いな一方で「理系なので」が好きな理由は、その裏に「(データを含め)論理的に考える」ことを伝えているから。

もちろん計算や数字が好きなことも含むが、極端に言えば「いい加減な判断をしない。根拠や論理を重視する」という前向きな思考を感じるから。

「文系なので」に前向きな背景を感じることはほとんどない。

例えば「私文系なんで」という場面で、その言葉に「歴史を踏まえて判断するようにしている」とか「資料を隅々まで読み込んでそこに書かれていることから判断する」とか「昔と今の言葉の使われ方の違いを無視できない」といった、非理数系の科目を学んできたが故の思考パターンを想像することは、まず、ない。

要は、「文系なので」は単に「計算が嫌い」と言っているに過ぎない(ように感じる)。

もちろん文系科目、理系科目どちらが優れているとか専攻すべきといったことは問題ではない。どちらも学べきものがあるし、好みで学べばいい。

でも文系専攻であることを理数系ができない言い訳的に使う風潮は早くなくなればいいのにと思う。

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