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堂上直倫白濱裕太

コブ山田です。
ようこそいらっしゃいました。

今回は、プロ野球広島東洋カープ白濱裕太選手、中日ドラゴンズ堂上直倫選手について、記します。

私がnoteで書いた2022年07月30日(土)のMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島の中日戦。

実は、その次の日も広島で観ていました。Twitterには書きましたが青春18きっぷで東京に帰ったのは月曜日です。

31日(日)も中日が勝って見事同一カード3連勝を果たした(2012年04月以来)のですが、その試合で印象に残っていたことがあります。
広島ファンは選手の登場に拍手をしますが、その中でも大きめである選手がいて、私も思わず見てしまいました。
えっマジかよ、すごいラッキーだ、レアすぎんだろ!と思ったらその通り。2017年07月04日(火)以来のスタメンだったからです。

8番キャッチャーでスタメンの白濱裕太です。

白濱裕太

白濱裕太。2003年ドラフト1位指名で広陵高校から広島に入団します。
広陵高校でバッテリーを組んでいた西村健太朗は同じドラフトで巨人に入団します。

2004年にはウエスタンリーグで大阪近鉄バファローズと試合しているはずであり、レアな経験を持つ選手になります。

2007年夏の甲子園で広陵高校は準優勝しますが、その際のピッチャー野村祐輔は広島に入団しキャッチャー小林誠司は巨人に入団しますので、その逆です。

広島球団は長年広島県育ち→広島県の高校に通う高校生をドラフトで指名しなかったのですが、白濱は大阪府出身だからか対象にならず、広島に入団となります。
なお、小林も大阪府出身です。また、2017年に広島が1位指名したのは広島県育ちである広陵高校の中村奨成であり、暗黙の了解が変わったようです。

1985年10月生まれ。中日の大島洋平(1985年11月生まれ)と生きている時間はほとんど変わりません。
白濱が高卒、大島が大卒社会人であり06年の差はありますが、出場試合数を見るとびっくりです。

2021年終了時点で大島が1,572試合に対し、白濱は86試合です。
繰り返します。白濱は17年で86試合です。大島はルーキーイヤーで抜いてしまっていることになります。
それどころか、以前noteに書いた中日溝脇隼人は09年で89試合。どうか強く戦い抜いてほしいと願った選手よりも長く選手登録されながらも、出場試合数が少ないのです。

支配下登録のプロ野球選手の成績としては、正直かなり低いものです。
また、白濱がいることで70人の支配下枠のひとつが埋まります。若い選手がひとり試合に出れなくなります。

年俸は高くはありません(推定6,500,000円)。それでも、結果を出せていないのにどうしてプロ野球選手できているんだ、と憤る人がいてもおかしくはありません。
しかし、その白濱の登場に広島ファンは拍手したのでした。

容易に仮説が立ちます。

まずは、キャッチャーというポジションの特殊性です。
防具をつけてキャッチャーミットをはめてボールを受け続けるキャッチャーは、他のポジションから応急措置的に配置転換することが難しいです。
かつ、ピッチャーやベンチとの意思疎通もあり、日本でのコミュニケーション事情に適応できている人物であることも条件です。
オリックス監督の中嶋聡は、45歳まで北海道日本ハムで現役のキャッチャーを続けました。

いつ陽性反応者が出るかわからない中、ホームベース守って投げてプレーできる白濱は簡単にチームから出せないものと感じました。
試合が成り立たなくなります。

もうひとつ。
白濱は、試合に出るだけが価値じゃない、カープを多面的に支えていてファンから愛されている存在であるとも感じました。

広島に行くと感じるのは、広島愛が深いと感じる方をよく見かけます。
地元の広陵高校から入団して、移籍することなくチームに所属している。現在進行形のカープを深く知っているのは世界でも屈指でしょう。

また、白濱はキャッチャーです。若手のキャッチャーのみならずピッチャーの育成にも関わってきます。

純粋に試合に勝つためだけの戦力というだけであれば選手を続けていることはできないであろう成績なのに、広島ファンは拍手して応援する。
チームに必要な存在だということが伝わってきました。

その日の対戦相手である中日ドラゴンズだと、白濱裕太に相当する人物は誰になるか。即答です。

堂上直倫です。

堂上直倫

2006年の高校生ドラフト1位で地元の中日が当たりくじを引き、愛工大名電高校から入団した堂上直倫。
生まれも育ちも愛知県なので、白濱以上に地元どっぷりの選手です。
2010年は井端弘和の負傷をきっかけにセカンドで多く出場するも、同年日本シリーズ以降は井端にポジションを返しレギュラーに定着できません。
最多出場は2016年の131試合です。

その後、京田陽太、阿部寿樹といった年下の選手は安定した出場を続けるも、2022年シーズンの堂上直倫はほとんどが2軍です。
捕手と違い、内野手は緊急時の手当てが比較的容易です。困ったら他球団の選手や外国人を獲得して補強する方法があります。
そんな中で今年34歳、出場機会が減っている状況であり、厳しい目で見られてしまうのは仕方ありません。

ただ、人間性が評価されるエピソードがあります。

2020年10月27日(火)、阪神甲子園球場にて福敬登が打たれてしまうわ、自身もエラーするわで点とられて降板してしまいます。その悔しさから福はベンチ裏にあるロッカールームに隠れようとします。
ひとりになりたい気持ちはわからなくはない。ただ、自分が壊してしまった試合のあとを投げるピッチャーを応援しない行為は褒められたことではありません。

すると、素振りをしていた堂上直倫が福を探して見つけ、一緒に応援しようと言って自身の準備も中断して福に寄り添い、ふたりでベンチに戻って試合の様子を見始めたのです。

本人にとっては当たり前のことという感覚で、恩着せがましい対応はゼロでした。

白濱も堂上直倫も、しっかりした先輩という印象があります。
選手引退後も、球団からはコーチ・裏方どちらかの残留要請があってしかるべきでしょう。
そうして長くチームに所属するということができれば、地元高校の有力選手を1位指名した判断は大正解だったということになります。

最後に

実は、私は10年前の広島戦でも白濱を見たことがあります。
その際の印象は、石原慶幸からレギュラー奪えていない、後輩の會澤翼も出てきている。冴えないものでした。
同年優勝の巨人は、ピッチャーが充実していました。スコット鉄太朗の一角が高校でバッテリーを組んでいた西村でしたし、先発の内海哲也は2003年ドラフト1位相当(自由獲得枠)。白濱と同じです。

10年後の2022年、既に西村は引退しており、内海も埼玉西武で引退を表明します。もし、今年限りで白濱が引退するとしても内海より先にはなくなりました。
キャッチャーというポジションの特殊性も無関係ではありませんが、生き残っているという点で見ればすごいことだと考えます。

中日の白濱裕太は堂上直倫だと書きましたが、キャッチャーのポジションで言えば自動的に大野奨太になります。
堂上直倫も大野奨太も戦力としては2軍が多くても、若手選手のお手本になるわけであり、可能な限りチームに残ることを私は希望します(その役回りを引き受ける=年俸は低くなることも承知です)。

チームに選手として残るにはその直接の活躍だけでなく、陰で間接的に支援するエピソードがあること。
もちろん直接的な活躍が大前提ですが、それ以外の価値を出せてチーム全体の成果底上げにつなげることができる人材も軽視せずに評価することは大切だと、大野奨太、堂上直倫、そして白濱裕太を見て思ったのでした。

私は過去にもnoteで日本一と侍ジャパンを他球団で経験している大野奨太は中日にとって希少性があるといったことや、パ・リーグ、MLBにセ・リーグも経験しに行った秋山翔吾の決断を大絶賛するなど、所属チームの移籍は完全に肯定派です。

一方で、決して他のチームからも必要とされていないから仕方なくしがみついているというわけではなく、長くそのチームに必要とされて根付き、支えてくれる関係者から愛される存在という生き方も立派なものです。
少数派になりはしても、なくなりはしないはずです。

移籍肯定寄りになりがちな私の視点をニュートラルに近づけてくれる、それが中日ドラゴンズの堂上直倫であり、広島東洋カープの白濱裕太なのだと感じたできごとでした。

ありがとうございました。

サポートいただければ、本当に幸いです。創作活動に有効活用させていただきたいと存じます。