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NPBで通算2,000本のヒットを打った中日ドラゴンズ大島洋平選手を見て

コブ山田です。

ようこそいらっしゃいました。

今回は、プロ野球中日ドラゴンズ、大島洋平選手について、記します。

2023年08月26日(土)バンテリンドームナゴヤでの横浜DeNA戦にて2,000本目のヒットを放った大島洋平。
享栄高校の柴垣旭延前監督、横浜DeNAを代表し京田陽太、そして中日を代表し高橋周平の各選手が花束を渡し、祝福ムードに包まれていました。

当然のこと大島本人の取り組みが大きな要素となってこの記録点を通過できたのですが(達成という表現だとこれで終わりのようにも感じるので控えます)、それによって他の方がどう感じるか、そして私はどう感じたかという点で思ったことを書いていきます。

1.NPB以外の野球団体への好影響

2,000本のヒットを放つとなると、高卒入団の選手に分があります。
そのひとつは、加齢とともに体力が落ちて出場機会が減りがちになる点です。特に、目は大きな問題になります。
わずかな時間でバットでボールをはじき返すアクションをとるにあたり、視力が落ちてくるとどうにもならなくなります。
そのため、早い段階からプロ野球選手としてのキャリアをスタートさせた方が有利になります。

55人目の記録点通過者が大島洋平となったのですが、大島含めて04人が24歳でのプロ入りです。
古田敦也、宮本慎也、和田一浩、そして大島洋平です。

いずれも大学生の時にはドラフト会議で名前を呼ばれませんでした。その中では特に古田の話はつらいものがあります。
(落合博満は25歳でプロ入りでしたが大学生の時にはドラフト会議の対象にならなかったのでそのカテゴリから除外しました)

しかし、それでも野球をやめることはなく社会人でプレーを続けた結果、プロ野球選手になることができました。
そこからもチャンスをつかめれば自分次第で記録を作ることはできる。

今回、大島もその中に加わりました。ロールモデルがまたひとりできました。
高校でプロ野球選手になれなくても大学がある。大学でプロ野球選手になれなくても社会人がある。独立リーグもできてきています。

NPBではないところでも夢に向かって進むことができる。大島の記録点通過は、そんなみなさまの大きな励みになるものと考えます。

2.ドラフト指名戦略の柔軟性向上

柔軟性向上という表現にしましたが、固定観念が薄まるとも言えます。

2009年10月29日(木)の夕方。既に日の入りを迎え、暗くなっている状態でした。
私は大学で所用を済ませたあとに携帯電話を見て複雑な表情をしていました。
中日が同日行われたドラフト会議にて、日本生命の大島洋平を5位指名したニュースが入っていたからです。

もともと私は大島洋平という名前は知っていました。2007年ごろに駒澤大学の副キャプテン大島洋平が中日に入団したらいいというコメントは見ていましたし、愛知県4強の享栄高校OBならなおのこと喜ばしいことだろうと。
その大島は日本生命行っていたんだ、よかった、という感じでした。

ただ、その一方で疑問、心配の感情も沸き上がってきました。近い生い立ちの選手が既に中日にいたからです。

ひとりは野本圭です。
2008年ドラフト1位で中日に入団したのですが、日本通運の前は駒澤大学でした。そう、大島の01学年上の先輩です。

加えて、大島と同じ左投げ左打ちの外野手。年も近い、似たタイプの選手がふたりもいる状態になります。
レギュラー野手の数も決まった形態でチーム組成してプレーするのに、バランスが偏ると思うのが自然です。

他に、愛知県(豊橋市)出身の藤井淳志とも重なりました。藤井と野本の要素が両方ある、それが私の大島の印象でした。

ところがそれから干支一巡したあと、藤井と野本は10年以上現役を続けることができましたが、大島が文句なしの成績を残しています。
むしろ競争が生まれ、ずっと緊張感にさらされた状態でも大島が伸びていった形となりました。

私はどちらかと言うと、似たタイプ・年齢の選手を何人も揃えることには懐疑的な立場でした。
自身のキャスティング論は、ポケモンから大きな影響を受けました。全員タイプバラバラでカバーし合うが理想的なチームだということです。

ただ、プロ野球においては私が知らないだけであり、近い世代で似たタイプの選手を複数人揃えても競争を生む、保険をかけるという意味では意義があるという考え方をする人もいることがわかりました。
そのひとりが落合博満元監督です。

落合は、

「表現はよくないが、たとえ大島が大成できなくても、新井や野本の尻に火を点けてくれればいい」

と発言していました。新井良太と野本の名前が挙がっていますが、他に藤井も含まれるのが自然です。

私が遊んでいたポケモン金は06枠。プロ野球の支配下枠はその10倍以上あります。一緒くたにはできないということです。

大島のほか、中日には別の例もあります。
2015年ドラフト3位で中日が指名したのはトヨタ自動車のキャッチャー木下拓哉でした。ただ、私はそれを見てびっくりしました。
それは、2013年ドラフト4位で桂依央利を指名して1軍起用が多々あったからです。

木下拓哉も桂も1991年度生まれ、右投げ右打ちのキャッチャーです。それより前に杉山翔大と加藤匠馬を指名しており、1990年度~1992年度にキャッチャーが04人もひしめく状態でした。

これも最後に入団した木下拓哉が2020年以降チャンスをつかみ、正捕手と言える活躍を見せます。

他に他球団ですと、横浜DeNAベイスターズ牧秀悟もそうです。
右投げ右打ちで長打力がある内野手という点で02学年上に伊藤裕季也がいるのに?と思っていました。
伊藤裕季也は東北楽天移籍後に成績を上げたとはいえ、牧の方が大活躍です。

話を戻しますと、大島洋平という大成功例があれば、チームにフィットし活躍できるかどうかという点がより重点的に見られるようになるのかな、似たタイプの選手同士で競争することは意義がある点を動機に指名されることも増えてくることが期待できると私は感じました。

3.学ばれ、学ぶ

現在は日本代表侍ジャパンの存在や合同自主トレも広まりそうとは言えないように変わってきたところもあるとは思いますが、弱いチームになると緊迫した場面を切り抜けるという経験も少なくなり、さらにはチームに緊張感も生まれにくくプロ野球選手として実力を高めようという機運にもなりにくくなります。
みなさまもひとりでまじめに勉強しようと決意しているとします。クラスメートがみんな静かに勉強していると邪魔せず自分も勉強しよう、となります。
ところが、クラスメートが関係ない話をしていたりするとそのスイッチが入りにくく結局勉強できない時間が過ぎる、と言うと経験がある方も多いと思います。

プロ野球の低迷期を迎えていたチームだとなおのこと発生しやすいエピソードです。
中日もBクラスが続き、勝てない試合が増えると意欲がそがれてしまうこともあって自然です。

でも、大島はチームが勝てない状況下でも高いモチベーションを保ちプレーしました。それがチームメイトにも波及しました。
2018年オフ、チームメイトの加藤匠馬は、大島洋平へ自主トレ参加をお願いする際、

「結果を出している人から何かを吸収したい。身近にすばらしい先輩がいるから大島さんにお願いした」

と発言していました。

負けが込み、楽しいという感情があまり芽生えにくい日々のはずです。それでも厳しく自分を律し、鍛錬に励むことができ、結果として成績も追随する。
後輩が自分を追いかけてきながらも簡単にスタメンを外れないのは、何と言っても大島本人も走り続けているからです。走っている、ではなく走り続けている。
走り続けられるために、感覚が取り残されないよう磨く作業も怠りません。

一方で、大島は実績積み上げてきた自分が偉いとは思っているように感じません。年下でも他球団でも、いいと思ったものはいいと認めている。
一例が、阪神の近本光司に対してです。

大島の方が年齢も(2023年時点の)通算成績も上ですが、近本に対して質問をすることもあるようです。

この人柄であれば、指導者の立場に立った時も選手と良好な関係で指導ができるものと私は感じました。

4.私はこれを強く言いたい、"ザベストパートナー"

具体的には、大島洋平の妻である真世さんのことです。良妻賢母という言葉がありますが、外から見る分には本当にしっくりきます。

そのことを強く思ったのは、2014年からバッテリーコーチを務めた達川光男が2022年08月、バンテリンドームナゴヤの巨人戦にて解説を務めていた時です。
その2014年当時のエピソードを話していました。

内容は、大島は試合終了後も居残り練習をしていたというものです。
達川は、大島に対し帰宅を促しました。理由は大島のお子さんのことを思ってです。幼稚園に通っていた年齢であり、親子のふれあいは大切なことだと。
しかし、大島はそのスタンスを変えなかったようで、練習を続けました。その努力の積み重ねがひとつとなり2,000本目のヒットを放つことができた。

2023年になっても大島の家庭不和の話は出てきていません(少なくとも表面上は)。幼い子供だと手を焼くこともあります。
一方で、大島がアスリートとして戦場に出ていけるよう、衣食住献身的に日々奮闘した。
大島は有名人です。ミスしてしまうことで怒りの声が届くこともあるはずです。それはお子さんもそう。妻の真世さんが直接聞くこともあるはずです。
それもうまいこと向き合ってきた。

真世さんは妻としても母親としても大変ご立派だと、私は現在も思っています。

記事の中にも、野球だけに専念させてくれる、という一節があります。

大島が主役となって通過できたポイントですが、大島家全員で走ってきたものだと私は思っています。

最後に

大島が入団してすぐに中日はセ・リーグ優勝を決め、日本シリーズにも出場できました。その次もクライマックスシリーズファイナルステージには出場でき、巨人と白熱した試合を展開しました。

しかし、2013年以降中日はBクラスの常連となってしまい、クライマックスシリーズにはファーストステージすら出場していません(2020年は3位でしたがクライマックスシリーズは開催されず)。
大島が記録点を通過し花束を受け取った試合も延長12回表に横浜DeNAに勝ち越しを許し、敗戦。勝って花を添えたかったところでしたが、勝てませんでした。
皮肉にも大島のプロ野球人生を表したかのような形になってしまいました。

思い描いていた年俸に届いていなくてムッとしたこともあったかと思います。加えて、手にしたFA権で外の世界を見てみたいと考えたこともあったと聞きます。
私個人としては移籍はいいことだと思っているので、大島に対して残ってくれて感謝、一筋にプレーしてくれてありがとうとは言いません。
その分、出ることができる人間がそれでも残る決断をしたというのは、他にない価値が出るものだと考えています。紛れもないミスタードラゴンズです。

自分の力ではどうにもならない、与えられた環境のせいにしがちな人間(私も他人のことは言えませんが)の背筋を正してくれる、大島洋平。
移籍して後悔なき人生を手繰り寄せた大野奨太と並べて、この場所と決めたところで静かに己を高め周囲の模範になる存在として、私の人生の添え木のひとつとし続けることができればと思います。

最後の最後に、Twitterにも書いたことをここにも同じように載せます。

私としては大島の2,000本を見て、自分も自分の目標に向けて頑張るかという人と仲良くなりたい

私の心にも大きく響いたできごとでした。

ありがとうございました。

サポートいただければ、本当に幸いです。創作活動に有効活用させていただきたいと存じます。