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【連載小説】冬の朝顔⑦

軽音楽部に戻った結花は、ギターの練習を再開した。
 
龍一たち、他のメンバーはそれなりに個人練習を進めていて、時々音合わせもやっていた。
 
結花はボーカル担当と言われたこともあって、普段から持ち歩いているiPodで歌だけはしっかり聴いていた。
 
こっそり一人カラオケに行って、試しに歌ってみたりもした。
 
歌ってみると結構、世界にのめり込める。
 
でも、みんなの演奏で本当にCDで聞いたような音に仕上がるのかな。
 
バンドを知らない結花には少し不思議な感覚だった。
 
その日はみんなで部室の防音室に集まった。
 
結花を入れての初めての音合わせだった。
 
と言っても結花のギターはないから、結花にとっては声合わせだ。
 
「結花ちゃん、大丈夫? いけそう?」
 
「とりあえず歌だけに専念します(汗)」
 
「まずはホテル・カリフォルニアからいきますか」
 
春香も正純もスタンバイした。
 
龍一が正純に合図を送るようにして曲がスタートした。
 
正純のベースに乗せて、龍一の12弦ギターの音が響く。
 
CDで聴き馴れたイントロが今、目の前で奏でられている。
 
やがて、大輔のリードが入ってくる。
 
ジェット機の音?
 
シンセサイザーで葉月が効果音を重ねる。
 
結花にとっては、それは初めての大きな感動だった。
 
防音室の中が、カリフォルニアに変わっていく。
 
結花は目を閉じて、CDのジャケットの写真を思い浮かべた。
 
春香のバスドラムが入る。
 
????
 
あれ、歌は?
 
そう思った瞬間、演奏が止まる。
 
一瞬呆気にとられた結花だったが、大輔の声にハッとする。
 
「結花ちゃん、歌、ボーカル!」
 
あ……(^▽^;)
 
みんなの演奏に聴き入ってしまい、思わず自分の存在を忘れてしまった結花。
 
春香のバスドラの直後から歌いださないといけないのに。
 
「あ、あははは、うっかり聴き入っちゃった」
 
初めての音合わせだから、経験のある正純や春香にとっては、まだちぐはぐな演奏にしか感じられない。
 
でも、今までたった独り孤独なグラウンドでの戦いを強いられてきた結花にとっては、みんなで音やリズムを合わせて一つになる世界はあまりにも新鮮に映った。
 
「じゃぁ、もう一回最初からね」
 
葉月が声をかける。
 
再び龍一と正純のイントロがスタートする。
 
大輔のリードが入り、葉月のシンセが重なり、春香のバスドラムが2発。
 
 
♪On a dark desert highway,
♪Cool wind in my hair,
 
♪Warm smell of “colitas”
♪Rising up through the air,
 
 
結花の歌声が重なる。
 
覚えたての英語の歌詞。
 
それでも、なじんでいく歌声。
 
気持ちいい!
 
なんて気持ちいい!
 
カラオケで歌う時とは違う気持ちよさがそこにはあった。
 
楽器を奏でるみんなの鼓動。
 
それを肌で感じながら歌える喜び。
 
♪Welcome to the Hotel California,
♪Such a lovely place,
♪Such a lovely face
♪Plenty of room at the Hotel California,
♪Any time of year,
♪You can find it here
……………………
………………
…………
 
 
歌が終わると最後に見せ場のリードギターが入る。
 
過去に経験があるとはいえ、大輔のリードはまだまだ練習不足だった。
 
一通り演奏が終わったあとで、正純が春香に突っ込む。
 
「お前、リズムむちゃくちゃ!」
 
「うっさいなぁ、まだこれからだよ!」
 
春香が正純を睨むと
 
「俺もまだ合わせられるような状態じゃないな」
 
大輔も苦笑する。
 
「正純のベースはもう仕上がってるね」
 
葉月がふわふわの笑顔を正純に向けると、正純は少し恥ずかしそうに、調弦を始めた。
 
「ふんっ 照れちゃって!」
 
と春香がニヤつく。
 
凄い!
 
凄い、凄い、凄い、凄いっ!
 
キラキラの瞳で結花はみんなの会話を聞いていた。
 
そもそも楽器が全くできない結花にとっては、楽器をそれなりの形で奏でるみんなの姿そのものが珍しく映る。
 
そこに、自分の声を載せて歌うのだから、そこは全くの新しい世界への入り口にも見えた。
 
「結花の声、とってもよく通って聴きやすかったよ」
 
いきなりふられた結花は、自分の声をそんなふうに言われたことはなかったから、リアクションに困った。
 
「……え? あ、いや、その…」
 
「ほんとほんと。アンプから出てくる楽器の音に全然負けてない。結構イケてるよ」
 
大輔も結花の歌声が気にいったようだった。
 
「あはは。そう言っていただけると光栄です」
 
自分でも面白くないリアクションだなぁと思いながらの返事。
 
「もしかして、天国の方ももう覚えたの?」
 
「はい。毎日聴いてたんで、ほぼ歌えると思います」
 
「凄いね、もう歌詞全部覚えちゃったんだ」
 
「楽器出来ないから、せめてそれくらいは(;´∀`)」
 
初めての音合わせでもこんなに感動したんだから、ステージで思いっきり盛り上がったらどんなに楽しい世界が広がるんだろう。
 
陸上で先頭を思いっきり走り切っても喜べなくなった結花にとって、ここは新しい喜びを与えてくれる場所になりそうだった。
 
それにしても不思議な歌詞だ。
 
日本語訳を見てもさっぱりわからない。
 
ただなんとなく感じたのは、後ろ向きになって入り込んだ世界からはもう逃げられない、そんな場所へ行くのかと問いかけられているように感じた。
 
陸上から離れることが後ろ向きなのか、前向きなのか、今の自分にはわからない。
 
みんなと楽しい時間が作れたらそれだけでいい、そう考えることがいけないこと?
 
自問自答してみても解答なんか出るはずもない。
 
なんとなくの気まぐれで入部した軽音だったが、結花の気持ちを紛らすには十分な場所になりそうだった。
 
それにしても、龍一も正純もほとんど表情変えずに淡々と演奏していた。
 
春香、大輔はそれなりに楽しそうだったのに、よくよく冷静になって見ると、なんなの?この2人、って感じ。
 
そういえば二人が笑う顔ってまだ見たことがない。
 
部活対抗リレーの時も、一生懸命な顔は見たけど楽しそうに笑うところは見てない。
 
結花は、地下のスタジオで楽しそうにトランペットを吹く龍一の姿が忘れられなかった。
 
あの笑顔が本当の龍一の姿だったとしたら、今ここにいる龍一は嘘の龍一?
 
私はたった一回の音合わせでもこんなに楽しかった
 
龍一は楽しくなかったのかな
 
『もうあそこでトランペットを吹く資格はない』
 
龍一は吹奏楽部に入部させようとしている優子にそう言っていた。
 
資格があるとかないとか、まるで自分を責めているような言い方だ。
 
結花は龍一の心の中にあるもの、それが何なのか、少しずつ気にし始めている自分にまだ気付いていなかった。
 
 
 *******
 
 
吹奏楽部では大編成の大会に出るメンバーは夏休みの合宿の前に発表される。
 
6月中には入部していないと間に合わない。
 
優子は龍一を何としても吹奏楽部に入れたかった。
 
単に約束だけの問題じゃない。
 
地下のスタジオで、まるでみんなから隠れるようにしてこっそりトランペットを吹いている龍一を、どうしてもステージに戻してやりたかった。
 
吹きたいからこそこうやって誰も知らない場所で吹いている。
 
それもあんなに楽しそうに。
 
問題は、和泉をどうやって説得するかだ。
 
「こんにちは」
 
振り向くと、結花が立っていた。
 
そういえば、結花も時々このスタジオのミキサー室に顔を出すようになった。
 
本人には内緒だと言ってる。
 
確か、同じ軽音楽のメンバーだった。
 
優子は軽音楽部での龍一の様子を尋ねた。
 
「龍一は…楽しそう?」
 
「はい?」
 
質問の意味を測りかねている結花に、優子はもう一度訊ねた。
 
「龍一は、今あそこでトランペットを吹いているような顔で、ギターも弾いてる?」
 
結花は、優子が何を言いたいのかすぐに察した。
 
結花は静かに首を横に振った。
 
「そう……」
 
優子はそう返事をすると、一つ大きなため息をついた。
 
結花は昔、龍一に何があったかは知らないけれど、やっぱり今ここでトランペットを吹いている龍一の顔が本当の龍一なんだろうなと思った。
 
軽音楽部でギターを弾いてる時の龍一は、やっぱり本当の龍一の姿じゃない。
 
「どうしたらいいと思う?」
 
「……?」
 
「どうしたら二人を説得できるのかしら……」
 
「2人?」
 
「あ、ごめんなさい。あなたには何もまだ話してなかったよね」
 
「……」
 
優子は少し躊躇しているようだったが、中学時代の約束のことについて少しだけ話した。
 
「私と龍一、そして宗司と和泉、中学の時に、みんなで全国大会に行こうって約束したの。
 
駄目だったときは、この高校に入ってみんなで全国目指そうって。
 
でも、大会直前に宗司が事故で亡くなって。
 
結局、全国には行けなかった。
 
宗司はいないけど、せめて3人だけでも一緒に全国に行きたい。
 
私は天国の宗司にそれを届けたいの。
 
でもね、和泉がそれを拒否してるの。
 
龍一が宗司を追い込んで殺したんだと。
 
和泉と宗司は付き合っていたのよ。
 
あれは事故だったのに…。」
 
そこまで話すと、優子はそっと涙を拭った。
 
龍一は、もうあそこでトランペットを吹く資格はないと言っていた。
 
“あそこ”とは、大会のステージの上のことだろう。
 
「龍一は…自分がそのお友達を殺したと信じてるの?」
 
結花はそう尋ねずにはいられなかった。
 
「分からない。そう思ってるのかもしれないし、和泉に気を遣っているだけなのかもしれない」
 
「そんな……」
 
いくら気を遣っても、昔のように戻ることが出来なければ意味がない。
 
確かに、みんなから隠れるようにこうして一人でトランペット吹いている姿がいいとは思わない。
 
こんなに楽しそうに吹いているのに…
 

 
そうだ!
 
「ねぇ」
 
結花はたった今思いついたことを優子に話してみた。
 
「その人、和泉さん? に、今ここでトランペットを吹いている龍一の姿を見せたらどう?」
 
「……」
 
「もしかしたら、龍一が今いる場所はここじゃないって思ってもらえるかもしれない」
 
少し驚いた表情の優子だったが、
 
「それは…いけるかも」
 
と呟いた。
 
和泉だって、本当は気付いてるはず。
 
何かのきっかけがないと、一度とった態度はなかなか変えられないものだ。
 
本当は吹きたいのに我慢している龍一の姿を見せれば少しは和泉の考えも変わるかもしれない。
 
とにかく、今の状態を変える何かのきっかけがあればいいのだ。
 
あとは自分の説得次第。
 
優子は龍一には内緒で、次の練習日に和泉をここに連れて来て龍一の姿を見せようと決めた。
 
結花は、もし龍一が吹奏楽部に入ったら、今始めたばかりのバンドはどうなるのかな…と思ったが、龍一のためにはその方がいいのだろうと思った。
 
 
***
 
「こんな場所にいったい何の用?」
 
優子に引っ張られて和泉が地下スタジオに現れた。
 
結花も来ていた。
 
「私はまだ諦めていないの。龍一は吹きたがっているのよ」
 
優子の視線のその先にある窓の向こう側。
 
和泉の表情がみるみる変わっていった。
 
「どういうつもり?」
 
結花の眼から見ても、それは怒りをあらわにした顔だった。
 
「ちゃんと見なさいよ。あれが龍一の本当の顔。学校で見せている顔とは別人でしょ?」
 
「だから何? だから許せってこと? ふざけないでよ」
 
「いい加減にして! こんなこと、いつまで続けるつもり?」
 
「こんなこと? 帰る!」
 
「待って」
 
聞く耳持たず帰ろうとする和泉を引き留めたのは結花だった。
 
「ごめんなさい。あなたをここに呼んだのは、優子さんじゃなくて私なの。事情は知らないけれど、龍一がトランペットを吹く場所はここじゃないって」
 
その瞬間、結花は和泉に平手打ちをくらっていた。
 
「他人の傷に土足で入ってこないで!」
 
和泉はキッと結花を睨んだ。
 
2回目だ、こうやってひっぱたかれるのは。
 
私、いったい何してるんだろう・・・
 
結花は、最近何をしても空回りする自分が悲しくなった。
 
ミキサー室の異変に気付いたメンバーの一人が、龍一に様子を見てくるように伝えた。
 
部屋を出て行く和泉の姿をみつけて、龍一は驚いたがすぐに後を追った。
 
「ちょっと待ちなさい! 結花さん、ごめん」
 
そう言って優子も、部屋を出ていった和泉の後を追った。
 
結花も鞄を持ち、重い足取りで外へ続く階段を上って行った。
 
階段を昇り切ったすぐ外では、和泉と優子の言い争う声。
 
「まるで私が龍一にいやがらせでもしているみたいに言わないで!」
 
「誰もそんなこと言ってない! 私はただ、宗司との約束を果たしたいだけなの」
 
「約束? 宗司はもういないの! 誰のせいだと思ってるの!」
 
「その話はやめてって言ってるでしょ? 何度言ったら分かるの? あれは事故だって警察もそう言ってたじゃないの!」
 
結花が外に出て来ても二人の言い争いは止まらなかった。
 
龍一はトランペットを片手に握ったまま、そんな二人を少し離れたところで見つめていた。
 
「龍一! あなたが宗司を追い詰めたのよ! だから宗司は!」
 
突然、和泉は龍一にそう叫ぶと、スマホを出して画面を操作し始めた。
 
そしてある画面を見つけると、
 
「見なさいよ!」
 
そう言って、画面を龍一の方に向けた。
 
画面を見た龍一の顔がやがて苦渋に満ちた表情へと変わっていった。
 
「貸して!」
 
優子が泉からそのスマホを奪い取った。
 
画面を見た優子の顔もみるみる蒼白になって行った。
 
 
『いずみ   助けてくれ』
 
 
LINEの画面には、宗司が恋人の和泉に送った最期のメッセージが遺されていた。
 
送信時刻は、18:30
 
宗司がホームに落下する20分前に送ってきたメッセージだった。
 
 
「これで分かったでしょ? いい気なものね。親友を殺しておいて、こんな場所に隠れて楽しそうに! 返して!」
 
和泉が優子の手からスマホを取り戻そうとしたその瞬間。
 
「何するのっ!」
 
結花の叫び声に、和泉と優子が振り向いた。
 
 
ガツッ!
 
鈍い音がした。
 
 
龍一が手に握っていたトランペットを地面に叩きつけようとした瞬間だった。
 
結花がトランペットを守るように龍一の足もとに飛び込んでいた。
 
トランペットは地面に叩きつけられる寸前で結花の額にあたった。
 
結花の頭に弾かれたトランペットは道路へと転がり出た。
 
固まる龍一。
 
「……っ痛…、なに……してんの……」
 
 
結花がゆっくり立ち上がると、何か温かいものが額から頬を伝って流れ落ちてきた。
 
手で拭うとそれは真っ赤な血だった。
 
「お前たち何してるんだ!」
 
龍一の戻りが遅いので、下からバンドのメンバーが様子を見に上がってきたところだった。
 
「その子、怪我してるじゃないか! 龍一君、何があったんだ! 病院だ、病院に行くぞ! 早く!」
 
優子も和泉も、顔中血だらけになった結花を凝視したまま何もできずにただ、その声を聞いていた。
 
流血している当の本人、結花は真っ赤な血を見ても悲鳴を上げるでもなく、まるで他人事のようにキョトンとしていた。
 
「君、早く。俺の車で行こう。龍一君も来て!」
 
 バンドメンバーのその人はハンカチを出して結花の顔の血を拭うと、結花と龍一を連れて再びビルの中へ入って行った。
 
結花の額にあたってそのまま弾かれるように車道に転がって行ったトランペットは、たまたま通過したバイクに潰されてしまった。
 
優子は潰れたトランペットをそっと拾い上げた。
 
「だからって……だからって、
 
 いつまでも親友を責め続けるだけの、
 
 そんな恋人の姿を、宗司が・・・
 
 喜ぶとでも思ってるの?」
 
 
和泉は力なくその場に蹲った。
 
ぽつりぽつりと降り出した雨が、二人を濡らし始めた。
 
やがて和泉のすすり泣く声が優子の耳にも聞こえてきた。
 
「……ってるよ。そんなこと……
 
 分かってるよ
 
 どんどんいやな自分になっていく
 
 自分でも
 
  どうしていいか
 
 分かっているのに
 
 止められないの
 
 嫌われたくない
 
 こんな姿
 
 見られたくない
 
 
 怖い
 
 怖いよ
 
 
 なのに
 
 止められないの
 
 
 助けて
 
 
 お願い
 
 誰か 助けてよ……
 
 
 いやだよ
 
 もう嫌だ
 
 
 宗司
 
 
 どうして
 
 
 どうして
 
 私を置いて、
 
 一人で逝っちゃったの?
 
 ひどいよ……」
 
それは和泉が初めて見せた心の叫びだった。
 
 
和泉自身、いやというほど分かっていた。
 
誰のせいでもない。
 
宗司が逝ってしまったのは誰のせいでもないことを。
 
苦しみをぶつける場所がなくて、分かっていて龍一にそれをぶつけていたということ。
 
怒りや憎しみが、傷ついた心を癒したり、苦しみを乗り越える力になるはずがないってこと。
 
それは和泉が一番よく分かっていた。
 
そこから抜け出す術を持たないまま、結局龍一からトランペットを奪うことになってしまった。
 
優子は、蹲ったまますすり泣く和泉を後ろからそっと抱きしめた。
 
そして、和泉と一緒に泣いた。
 
 
「宗司……もう……いいでしょ?」
 
あの日、龍一の放った言葉が宗司をそこまで追い詰めていたなんて、優子も気付かなかった。
 
あの日の宗司は確かに変だった。
 
龍一もかなりいらついていたのは知っていた。
 
あの蒸し暑い夏の終わり……
 
宗司が逝った日……
…………
……
 
 
県大会をぎりぎりの成績で突破したものの、龍一たちの中学は今年も全国へは行けないだろうというのが前評判だった。
 
龍一たちが1年の頃までは全国の常連校。
 
それが、2年連続で行けないとの評価。
 
龍一や宗司が焦るのも無理はなかった。
 
なかなかイメージが纏まらない宗司に対して、部員の中から不満の声が出始めた。
 
「そこ、何度言ったら分かる! もう一回!」
 
神経質に指揮棒を譜面台にパンパンとたたきつける宗司。
 
それがさらにメンバーをいらつかせる。
 
「違うって言ってるだろ! そこはアルトサックス、もっと押さえて! ユーフォはもっと出す!」
 
「ちっ、昨日と言ってることが違うだろ!」
 
「なんだと!」
 
「毎回毎回言うことがコロコロ変わるとやってられねーんだよ!」
 
「ちょっとやめてよ!」
 
こんな状態で全体練習を続けても意味がない。
 
龍一は少し時間がかかっても今は宗司の焦りを鎮めることが優先だと判断した。
 
「宗司、今の状態じゃ全体練習やっても無駄だ。1週間、時間をやるから出直してこい。お前の中で曲のイメージが完成するまで指揮台に乗るな」
 
「くっ……!」
 
歯ぎしりしながら、宗司は指揮棒を二つにへし折ると、部室から出て行った。
 
「宗司!」
 
「来るな!」
 
和泉が宗司を追いかけようとしたが、宗司はそれを拒否した。
 
龍一のすぐ隣に位置していた優子がささやいた。
 
「何もみんなの前であんな言い方しなくても……」
 
「あれくらい言わないと、あいつは自分で作った檻から出られない」
 
「…………」
 
………………
…………
……
 
 
宗司がホームに落ちて亡くなったのは、それから数時間後のことだった。
 
警察は、自殺、事故、事件の3方面からの捜査を行った。
 
ホームに入ってくる電車の前にふらふらと向かって行ったという目撃者。
 
立ちくらみしたように倒れ、ホームに落ちたところに運悪く電車が入ってきたと言う目撃者。
 
少なくとも後ろから誰かに押されてホームに落ちたという目撃証言は出なかった。
 
自殺か、事故か……
 
崩れるように落下していることや、スマホに遺された内容などから、警察は最終的に事故と判断した。
 
大会直前に大切なメンバーを失ったメンバーのショックは大き過ぎた。
 
和泉は食事も喉を通らなくなり、1か月以上学校を欠席せざるをえない状態にまでなってしまった。
 
その年は、県大会こそ何とか通過したものの、全国をかけた東関東大会は散々な結果に終わった。
 
全国常連校が、2年連続で地方大会敗退。
 
優子たちの夢は無残に打ち砕かれた。
 
和泉は、恋人を失ったショックから立ち直れず、学校に来れるようになってからも龍一を避け続けた。
 
龍一も、そんな和泉に気を遣い、東関東大会以降は部活にも出ることはなくなった。
 
秋の文化祭にも参加しなかった。
 
やがて受験に打ち込むことになったが、優子は和泉も龍一も志望校を変えていないことに一縷の望みをつないだ。
 
3人同じ高校に行けば、宗司はいなくなってしまったけど、夢はまだ叶えられると。
 
けれど、宗司が和泉に送った最期のLINEを見せられて、ショックは隠せなかった。
 
宗司は、龍一の言葉に追い詰められ、本当に死のうとしたのか…
 
少なくとも事故の直前、恋人の和泉に助けを求めていたことは事実だ。
 
 
『宗司? 大丈夫?』
 
『今どこにいるの?』
 
『そこにいて』
 
『すぐに行くから』
 
『龍一の言ったことなんか気にしちゃダメ』
 
『ねぇ、今どこ?』
 
『私がついてるよ』
 
『宗司』
 
『返事してよ』
 
 
宗司の最期のメッセージの後に、立て続けに和泉が送信したメッセージには既読がついていなかった。
 
そして、彼から返信が届くことはなかった。
 
もう返事が来ることはない、放置されてしまったメッセージ。
 
 
それでも優子は、龍一の言葉が本当に宗司を追い込んで死なせたとは思えなかった。
 
いや、思いたくなかった。
 
大切なトランペットを固いコンクリートの上に叩きつけようとした龍一。
 
結花が咄嗟に守ろうとしたけれども、結局壊れてしまった。
 
仮に壊れなかったとしても、龍一自身、もう吹けないかもしれない。
 
宗司の最期のメッセージはあまりにも苦しすぎる。
 
いや、それよりもむしろ空しく放置されてしまった和泉のメッセージの方が龍一をはるかに追い詰めてしまったに違いない。
 
あのトランペットは人見知りで友達の輪に入っていけない自分を変えてくれた、龍一にとっては大切な相棒だ。
 
そんな友達以上に大切な楽器を地面に叩きつけようとするなんて……
 
和泉を背中から抱きしめながら、優子は後から後から溢れ出る涙をどうしても止めることが出来なかった。


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