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旅の思い出②

先日テレビでモン・サン・ミッシェルの特集をやっていて思い出した。
かなり前の話になるが、一生の記念になるからと春休みを利用して家族で行った時のお話。

一定の勤続年数があると1回きりだが、1週間の特別休暇(年休とは別に)と、30万円の補助が出るという会社の福利制度を利用しての話だったが、当初はディズニーリゾート(千葉)あたりでのんびり過ごそうかと考えていた。

そこへ娘が突然“モン・サン・ミッシェル”に行ってみたいと言い出した。
恥ずかしながらその時までその“モンさん、なんたら”が何処にあるのか知らなかった。
訊くとフランスにあると言う。ずいぶん大雑把だな。
それはいいとして予算が全然足りんだろうと言うと、近ツリで安いツアーがあるというので調べてみた。

「パリ&モンサンミッシェル6日間の旅」
「朝・昼、食事付き、夜は到着日のみ」
「成田⇔シャルルドゴール直行便(エール・フランス)」
「出国から帰国まで日本人添乗員付き」
「費用はおひとり様 ¥165,000」

ね? 安いでしょ?
いや、子供が簡単に安いって言うな。4人分で¥660,000もかかるぞ・・・
と思いながら確かに安い。3月末はまだシーズンではないにしても、まるで飛行機代だけみたいなこの価格。会社から30万円の補助が出るから36万円か。
娘は春休みだからタイミングもいい。これで家族一緒の一生の思い出ができるなら確かに安いだろうと考え、ミッキーマウスのことはすっかり忘れて一気に話が進んでいった。
まぁ実際は夕食代やらお土産代やらで36万円で済むはずはないのだが。

ということで、いざ出発。


座席の前のモニターに映る飛行機の航路を眺めるだけでもテンションは上がる。
時差が東京と冬時間のパリで8時間もあるので、10時頃成田を飛び立って、シャルルドゴールに到着したのは現地の午後4時過ぎ。そこからパリ市内に入ってそのままホテルへ。
ホテルで夕食を食べて寝る頃には、日本では夜が明ける時間帯。時差ぼけとの戦いがスタートする。

翌日、目的地のモン・サン・ミッシェルへはツアー貸し切りのバスで向かう。
パリから280kmも離れているのでバスで半日の移動になる。
ちなみに「6日間の旅」と言っても移動で合計3日費やすので実質は3日間の観光だ。

この時はまだ家族誰一人として現地でトラブルに遭遇することなど想像もしていなかった。
バス移動中、同じツアーに参加していた大学生二人組男子(男子です)の一人が体調を崩し、とても苦しそうだったのは可哀想だった。

他には女子一人旅、女子三人組、祖母と孫娘の二人、そして我々家族という団体といっても小さなツアー、添乗員も女性だったので、男は大学生二人と私の計3人のみだった。

パリを出て途中休憩でシャルトルの大聖堂を見た後は、ずーっと長閑な牧草風景を眺めながら移動。暇と言えば暇だが眺めていて全然飽きない。

絵本に出てくるようなウサギ(ピーターラビット)が普通に牧草を走っていたのはちょっと感動。

日本を出るとき現地の天候は雨時々曇りの残念な予報だったが、強烈な晴れ女の娘のおかげで、朝霧が多くても日中は青空の見える良いツアーとなった。
お昼ごろ現地に到着。もう目の前にモン・サン・ミッシェルが見えている。

左の建物が宿泊したホテル


はやる気持ちを抑えながら、まずは有名なふわふわ玉子焼きで腹ごしらえ。

肉や魚はいいからここはもうちょっと玉子焼きのボリューム欲しかったな。



修道院と言うより要塞


江ノ島にはエスカーというエスカレータがあるが、世界遺産のモン・サン・ミッシェルには無い。

一番上まで登るにはかなりの体力が必要になるが、すべてが珍しくてゆっくり散策しながらなので、思ったほどつらくはなかった。


ちょうど干潮の時間で”海の中にそびえ立つ“という感じではなかったが、小さな島の上によくもこんな大きな聖堂を建てたものだなと思う。




夜はライトアップされて奇麗だから夕食後にまた来ると良いという説明を受けて、夕食後にまた来ることにした。

ツアーの他のメンバーは夕食の後すぐに出ていったが、我々は先にシャワーを浴びた。日本では考えられないが、海外の地方のホテルは良くお湯が出なくなるからだ。
実際、翌日に添乗員が確認していたが、戻ってきてからシャワーを浴びようとした人たち半数がお湯が出なかったと話していた。

で、実際にライトアップされたモン・サン・ミッシェルに行ってみたのだが・・・・


入り口付近は結構な人だかりだったが、いざ中に入ってみると奇麗と言うよりかなり不気味な感じ・・・。

昼間の人だかりが噓のよう


拷問部屋のあたりまで来てさすがに肝試しのような雰囲気になり、結局上までは行かずに途中で引き返した。

そしてここでトラブルに遭遇する。
真夜中11時、ホテルに入れない・・・

部屋の鍵を忘れたわけではない。
建物そのものが完全に施錠されていて中に入れないのだ。
おいおいどうする? 
3月と言っても夜の気温は氷点下。朝まで路上で過ごすのか?
周りは真っ暗、24時間営業の店など皆無だ。
フロントが22時で終了するというのは聞いていたが、建物全体が施錠されるとは聞いていない。どうする?
見渡しても真っ暗で人影も少ない。
もちろん日本人らしき人なんて全くいない。

途方に暮れていても仕方がないので、取り敢えず遠くに見える灯りのつい建物を目指した(まるで明かりに吸い寄せられる虫のように)。

そこは昼間にふわふわ玉子焼きを食べたレストランだった。
窓から中を窺がうと椅子をテーブルの上にあげて、一人の従業員が床にモップをかけていた。

扉をコンコンと叩くとすぐに出てきてくれたが、この怪しい東洋人のカタコトの英語に、奥へと引っ込んでしまった。暫くして店長らしき年配の男性が現れた。

フランス人は英語を嫌う。東洋人も大嫌いで現地で意地悪された、という話をよく聞くが、観光で食べている人たちは基本的に意地悪はしない。

「どこのホテル? そこの電話番号は知ってるか?」(と言ったと思う)。
幸いホテルのパンフレットを持っていたので渡した。
店長らしき人はそこへ電話をかけた。
誰か電話に出たらしく、流暢なフランス語(当り前)で暫く話していた。

「フロントの人がホテルに戻ってくるので、建物の前で待っていればよい」(といったと思う)。

間抜けな東洋人家族は何度も頭を下げ、お礼を言って(英語だが)レストランを出た。
ホテルの前で待っているとホテルの従業員らしき人がやってきて建物の鍵を開けてくれた。

鍵は暗証番号タイプになっていた。
「暗証番号は2013だよ、覚えておいてね」(と言ったと思う)。
多分もう使わないけど、間抜けな東洋人は何度も頭を下げて、無事部屋にたどり着いたのでした。

翌朝、添乗員にその話をしたら、
「あ、私、暗証番号教えてなかった?」

誰も聞いてません。
でも、他の同じツアー客はみな22時までに戻ってきており、締め出されたのは我々家族だけだったというオチでした。


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