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晩夏と伊野尾慧

夏の思い出でも書こうか。

本格的な夏が始まった頃、私は小学校の教室にいました。

その日は夏休みを前にした授業参観と保護者懇親会で、仕事を休んだ私は、蒸した空気をそのまま保存箱に充填したみたいな学校にいたのでした。

子供は暑い教室で髪の毛をペタリとさせながら、道徳の教科書を読み、文字を書き、求められれば発言をしている。

私は子の背中を非現実的なものを観察するように眺めながら、教室の時計は一分を刻む音が大きいな、などとぼんやりして参観を終えた。

長針が動くと裁断ばさみが布を切るようなジャキ、という音がしていた。

その後は自分の子の席に着席して保護者懇親会が始まるのを待つ。
子どもたちは一旦どこかの部屋に集められているようだがよくわからない。

小さな机に小さな椅子。私のお尻全部は椅子の座面に収まらなくて、輪郭が溢れる。
 
まるでカッティングボードのような、小さな板だけがのっている椅子だ。

周囲の母親たちは(この日の親は全員母親だった)幼稚園が一緒だったり上の子供が同学年だったりするのだろう知り合い同士でおしゃべりをしたり、廊下や教室内に貼られている子の絵や文字やらの作品をスマホカメラで撮っていたり、またはその両方をしていたりと和やかに過ごしているようだった。

そんななか、私は小さな椅子に座って小さな机に向かって、伊野尾慧のいいところを書き出していた。

これから始まる懇親会で読み上げられるであろう、一学期の振り返りや、夏休みの過ごし方、宿題などについて書かれているプリントの裏面に、私はどうして伊野尾慧が好きで、彼のどこがどれだけ素晴らしいのかをアウトプットしていた。
 
 
◎歌もダンスも得意ではないと公言し、他者からも手を抜いていると言われることもあるが、それは見せ方であって、実はちゃんとうまいし、努力をしているところ。

◎とはいえ歌もダンスも不得手であるのは事実のようで、しかしその苦手分野の活かし方を見つけているところ。

◎手を抜いてそうに見える脱力しなやかフェミニンダンスは、実はセルフプロデュースで体に染み込ませたのだろうと思われるところ。

◎おそらくはもともとは普通のガサツで元気な男の子だったであろうに、指先までフェミニンな所作をキャラのために体に染み込ませたのだろうか。それって舞妓さん芸妓さんレベルじゃないか。プロい。

◎努力は見せないし見せたいとも思わない、と言い切るところ。

◎プライベートを開示しているようで開示しないミステリアスなところ。

◎つかみどころがないところ。絡みにくそうなところ。独特の空気感と間合い。

◎一歩引いて控えめそうなのに「新しいものに挑戦するのが好きだから、誰も手を挙げないときは先陣切りますね」というところ。自分自分と出しゃばるのではなく、必要な時にイニシアティブを発揮するところ。

◎頭の回転がはやくて会話の瞬発力や語彙力が別格。そして物怖じせずに発言するところ。

◎簡単に優劣をつけずに多様性を尊重するところ。インスタライブ中にコメントでインライ上手と褒められても、「上手い下手ってあるのインスタライブで。下手なインスタライブって何?どういう?逆に」と早口で問い詰めるところ。とっさにこういう詰め寄り方するということは常にこの感覚でいるということなんだよな?

◎生放送のラジオでも「すべてのことを好きと嫌いで片づけられるわけじゃない」と発言。とっさの早いレスポンスに彼のスタンスが見える。

◎行動力があるところ。フットワークが軽いところ。でもそう見えなくてステルスアクティブなところ。

◎年齢とともに保守的になり、好きなことや得意なことばかりするようになるけれど、新しいことに挑戦していかないといけない、と意識しているところ。

◎新しいことへの挑戦のひとつで、有言実行バイクの免許を取得したところ。

◎リスト作成好きなところ。やりたいことをリストアップして達成していくところ。

◎時間は有限、と意識しているところ。

◎みんな所詮、大きな仕事の歯車のひとつだよ、なんていうところ。

◎通常はタイムマネジメントや効率を重視しつつ、「マジで死ぬかも」くらいの全力を出さないといけないときもある、という効率省エネとストイックのバランスがいいところ。

◎追い詰められたなかでしか出会えない感情・感覚というものもある、という仕事への向き合い方。

◎努力が全部報われるわけじゃないけど、数打ってれば一つくらいは当たるでしょ、という考え方。報われなかったたくさんの隠れた努力があって、それを見せたい・ひけらかしたい・努力したことそのもの評価されたい、という考えはないところ。

◎15周年コンサートのラストを「サンダーソニア」にしたいと有岡大貴が主張したことに対して周囲は反対していたけど、「反対が多いってことはすごく新しいことなんだ」と思って賛成したというところ。「反対が多いことは、裏を返せばそれはすごく新しいことなんだ」と思えるマインド。

◎「社会には絶対の正解はない、だからただ周りに流されるんじゃなくて自分のなかで良い・悪いは持っておかないといけないと思う。もちろん、自分が自分がってなりすぎるのもよくないから、良い評価・悪い評価はそれぞれ受け止めて、でもあくまでそれは他人の意見。最後に決めるのは自分。その晩ランスのなかでやっていかないといけない」という発言。強い。

◎むかーしのアイドル誌での発言で、万城目学氏をもって「カミソリのごとき伊野尾慧」と言わしめた。切れ味・切り口がスパイシー&シャープなところ。

◎いつも人と違うことをやるところ。人と違う見方をするところ。おそらく斜に構えた性格というのもあるだろうけど、計算もあるだろう。ニッチを攻める爪痕の残し方がクレバー。

◎辛口の一方、人の懐に入っていくコミュ力の高さと柔和な物腰。コミュニケーションの大切さは大学の研究の一環で被災地への訪問をした経験や、恩師の姿を見て後天的に、意識的に身につけたものであるというのが社会人として尊敬する。

◎ラジオやロケで専門家から話を聞くときの聞き上手さがお手本のよう。ちゃんと話を聞く→要旨を視聴者やリスナーにもわかりやように自分の言葉に言い換えたり、イメージしやすい例えをする→的確な質問をしてお話を引き出す。知識の引き出しが豊富で、ちゃんとお相手に興味をもって向き合ってないとできないことなんじゃないだろうか。

◎好奇心と知識欲が衰えないところ。狩猟免許取りたいとか、教養をもっと身につけたいとか、学生の勉強を振り返ってテストしてみたいとか、ラジオでの発言はいつも知的好奇心に満ちていて、その姿勢が教養の本質だ、と思わされる。

◎だけどたまに口悪いし、座り方足広げすぎだし、お行儀が悪いお兄ちゃんなのがギャップ。

◎過去のカレンダー付録での100問100答がイズム溢れてて啓蒙書レベルである。
  Q 人生で最後に食べたいものは?
  A 「誰と食べるかが重要」
  
  Q ファンに勘違いされている!と思うことは?
  A みなさん思っていることはバラバラだと思うし、別に好きに思って    
くれていいです。僕自身は、どう思われても別に構わないと思える人なれるように頑張ります。
 
  Q 仕事で心がけていることは?
  A 媒体の特色を読み解くこと。
 
  Q 元気の源は?
  A  ずっと元気でいないこと。自分の体調に逆らわない。疲れたときは、疲れたぁって感じをポジティブな方にもっていく。  etc.

◎インタビューで女心について聞かれて、「女性心理も男性心理も、他人のことは僕にはわからないです」と答えるところ。一歩引いて俯瞰して、小憎らしいくらい斜に構えているのに、私もそういうふうに考えたいと思う。

◎でも中学生みたいにはしゃぐところもあるし。

◎めざましテレビでは東日本大震災の復興について話しながら泣いちゃうし熊本地震のときもラジオで被災した方からのお便り読みながら泣いてるし、心が優しいよ。

◎メンバーにも全然怒らない人って言われている。

◎群青ランナウェイや#502、アルバムのコンセプトや演出など発想と実現力が敏腕プロデューサーすぎるところ。マーケット感覚が才と努力の双方で優れている人なのだろうなあ。これまでのCD発売の流れを変えて、CDと一緒に体験を買ってもらえるようにした、って発想!

◎運がいい方か悪い方かと聞かれて「運はいいほうだと思っていたい」と答えるところ。Hey!Say!Jumpに入れたのは運がよかったというところ。

◎ノーラン映画が大好きなこだわり深読み男子っぽいところ。

◎15年以上もグループ活動を継続しているところ。

◎人の気持ちて流動的だからいつ熱が冷めるかまで計算できない。もどかしい気持ちですがその不確かな”好き”でいてくれる気持ちを大事にします、というところ。



こういうことを書いてました。
一年二組の教室で小さな机と椅子で。一心不乱に。

なんで私こんなにこの人のこと気になるんだろ?
これまでジャニーズはおろかアイドルのことは全然知らなかったのに、急にアイドルという存在のことをたくさん考え始めて、注目する対象が急に変わった、その自分の気持ちの変化に自分が戸惑って、脳内に収めておいたら爆発しそうで、たくさんペンを動かした。

 色褪せて薄汚れた長いカーテンはだらしなく窓にぶら下がり、机からは懐かしい木の匂いがした。濡れた時に強くなる「学校の机の木の匂い」だった。
 時計の長針は相変わらず切れのよいジャキ、という音を鳴らしていたはずだったけど、伊野尾慧のことを書いていたら全然聞こえなかった。

 書き出してみた伊野尾慧の好きなところ、はつまり、私を吸引するところ、ってことになる。

 なぜ魅かれるのか。

 これまでだって彼の顔も名前も知っていて、整った愛らしい顔立ちをした青年だということは認識してはいたけれど、「すきぃ!!」という感情になることは一切なかった。

ラーメンとビールのほうがまだキュンとしたり、グッときたり、一緒にいたいと思う対象だったもん。
 これまでは脂質以下の吸引力だったということだ。
 
 じゃあ、なんで今さら私は中堅アイドルに吸引されるのか?ってことを考えて、書き出した「伊野尾さんの好きなところリスト」の抽象度を上げてみた。共通するのはなに?なぜ?どうして?


 そしたらたぶん、伊野尾さんが33歳になって、Hey!Say!Jumpが16年目で、そして私もいい歳になったからだって思い至った。

 長期間積み上げてきたことの難しさ、貴重さ、重さは本当にすごいと思うし、

伊野尾さん(の私に見えていて私が脳内で作り上げている姿)は、今の私がこんな風になりたい、こんな風な考え方をしたい、という目標に近いものなんだって理解に落ち着いた。
 
 私は努力や日頃の苦労をわかってもらいたいし評価されたいと思ってしまう。私はすぐイライラするし、特に子供には怒ってばかりで、怒りをコントロールできてない。私は被災地のことを思ってもどこか他人事で涙はでない。私は「多様性」なんて言ってみたってやっぱり異質なものに引いたり否定してるところがある。私は、意見ややり方の違う人を否定することがある。私は新しいことに挑戦するのが苦手だ。私は私のものさしていいと悪いを決めつけていることがある、きっと。私は聞くより話してないだろうか。私は人の評価を気にしていないだろうか。私には私の軸を持って、それと共存して他人を尊重する気持ちも持てるだろうか。私はストイックとテキトーのバランスを取るのが下手だ。気を遣ったコミュニケーションをしがちで疲れるから自分の空気感のままでいられる人がうらやましい。………等々

 私の直したいところ、成長させたいところが具体化した姿が、私の見ている伊野尾さんなんじゃないかなって思った。私、伊野尾さんみたいになりたいんだ。っていうか、伊野尾さんって結局のところシゴデキ人間じゃないか!

 私は、私が見ている、というか、各媒体で切り取られ、いろんな人の着目点で照射されて、その結果私の前に立ち現れた像としての伊野尾慧に、あこがれを抱いて、見習って、取り込みたいと思っているようだ。どうやら。

 独特の雰囲気とセンスを持ち、でも人を刺すとんがり方はしない、という在り方に憧れる。寛容と頑固、継続と挑戦、そのどちらも抱えながら中心軸は固く守る姿に、憧れているんだ。
 
 なんで年下の独身男性に憧れる???

 私は考える。
 子供のころから特殊な環境に身を置いて、一般的な子供なら経験せずに済んだことを経験し、一般的な子供なら経験してきたであろうことを経験せずに大人になったんだろう、どれだけのことを我慢してきたんだろう、耐えてきたんだろうって想像すると胸が痛くなる。
 そのかわりに得たもの、見えてるものってどんな感触なんだろうって考える。

 きっと力を持たなかった子供のころは、大人たちに物理的にも精神的にも搾取されてきて、その道のりをメンバーと守り守られあってきたんだろうな。
 メンバーとの関係を想像すると、戦時のパーティにすら見えてきて、なのにJumpはあんなに普通の気さくでかっこいいお兄ちゃんたちの雰囲気であってくれて、それも奇跡的で…。

 ・・・ということは。
 伊野尾さんって、社会人20年選手くらいになるから、一般人よりキャリア10年くらい前倒しってことに。かつ、残酷な「アイドル」としての市場価値や経験値を踏まえたら、つまり、30代に入ったばかりの現時点で一般的社会人の40歳と重なる部分があるのでは?40歳の壁。プレーヤーかマネージャーか、そのハイブリットか。そいういうキャリアの迷い時期。
 ご本人もセカンドキャリアに言及していたり、プロデュース方面にも注力していることから、いろいろ模索中なのかなってことがわかる。

 ああ、私の今の状況と重なるではないか。
 伊野尾さんの社会人キャリアと私の社会人キャリアがだいたい同じくらいだし、きっと特殊な環境にいたら精神がハイスピードで老成しそうだから、精神の一部分は私と同じくらいの年齢なんじゃないかな。
 見た目はキラキラしているけど、精神とキャリアは40代中堅世代と同質なところがあるんじゃないかなあ(若い男性としての体力や健全な欲や落ち着きのなさ、はまた別の話)。
 だから私は共感したり、私にないものをたくさん持っている彼を見て、こんなふうになりたいって、ちょうどいい刺激をもらえるんじゃないだろうか。
 伊野尾さんのいいな、と思うところは、男性として好き!惚れる!というより、人間として刺激を与えてくれる。私にとっての自己啓発アイドルってことだ。

 ひととおり書き出したメモをみて、私は一人合点する。
 そうか、そうか、伊野尾慧をお手本にして、思考癖なんかを取り込んでみたらいいんだ。

 いうまでもないことだけど、これは私が得ただけの情報をもとに私だけが脳内で作り上げた「伊野尾慧」という偶像を私が尊敬しているということであって、あなたが見ている伊野尾慧と私が見ている伊野尾慧は違う。クオリア問題以前に、対象が人間なんだからそういうものです。私が見ている彼が絶対と思うのは超怖いことです。
 公式非公式ともに恐ろしいほどのコンテンツが溢れるアイドルで、私はすべてを網羅しているわけではないし、私が得た情報がすべてではないし、一次情報かそうでないかによって情報の質も変わる。同じ情報に触れた人でも思うことは違う。
 いわゆる伊野尾担というものになってからの歴も濃度も人それぞれ違う。見ているものも違えば、たとえ同じものを見たって、見たものから考えることも受け手によって違う。
 
 だから、何かの巡り合わせで私のこの意見を目にした人が「なんもわかってない!」「いのちゃんはそうじゃない!」「あんたみたいなにわかに何がわかるのさ」って思ったり、逆にアンチの方が、は?って思うのも当然で、当然だからこそ、それらの感想も反応も意見も、私が伊野尾慧に啓発されるということとは何ら相関しないの。

 考え方が好きになったら顔も好ましく思うから、最近ではヴィジュアルのほうにも夢中です。
 ジャニーズWEBもいつでもJUMPもいいよね、ミタゾノも楽しみだし、秋のアイドル誌表紙3連単も楽しみ。仙台の解体キングダムは海の方かな?いつ放送かな?JUMPちゃんみんな大好きだな~眼福眼福。
 


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