巨人

この間の参観日は、1人ずつ作文を読む発表会だった。
みんな緊張しているようだったけど、はたから眺めている者からすると、上手に読めても、大失敗しても、大差なく思えた。
誰もそんな子はいなかったけど、たとえば意味の通じない文章を書いたり、派手に読み間違えたり、転んだりした方が、楽しくて生き生きしてて、良いような気がするほどだった。
すごく、どっちでもよかった。失敗とか成功とか、そんなものはないような、ほとんど同じに思えた。

巨人みたいな人がいたら、こんなふうに人間を眺めてるのかなと思った。巨人でなくても、当人でなければそうだなあ。わたしが今日の演奏はよかったとか悪かったとか苦しんだり喜んだりしている姿は、興味のない人には心底どうでもいいんだなあ、と、当たり前のことを思った。

巨人の視点とともに、もちろん、顕微鏡みたいに、小さな小さな、気をつけていないと見過ごすようなものを見ることも、とっても大切に感じる。
わたしは中間の視点をいちばん使うけど、巨人の視点と顕微鏡と、全部を使えていたら、この世はもっと、発見の連続で、たのしいことがもっともっと、いっぱいかもしれない。

はるの作文は、どれだけ先生に直されたんだ、むしろどこを自分で書いたんだと思うほど、はるらしくない文章で、まったく頭に入ってこなかった。書かされたんだなあ…という感想しかわかなかった。

面白くなかったなあ…あとではるに、先生に文章どれくらい直されたか聞こう、と思っていると、不意に先生が、「時間が余ったので保護者の方の感想を聞いてみましょうか」と言い、よせばいいのにはるが手を上げて、お母さんに感想を聞きたい、と言った。不意打ちをくらい、一瞬、正直な感想を言いそうになり、「いや!いやいやいや!!」と逃げて、事なきを得た。

あとで、はるに、「あれよかったよ。みんな笑ってた。」と言われた。
ひょこっとドアから顔だけ出して、またひょこっと消えたのよかった、って。

帰り道、いったい先生にどれくらい文章を直されたのかを聞くと、「いや、はーちゃんが書いたとこも、あるんだよ。でも先生がね、『もう我慢できないから』って、書いて、それを、書き写したの。」と教えてくれたから、笑った。

夜、わたしが感想を言えなかったことについて、「はーちゃんが手を上げてごめんね」「いや、こっちこそ…」と話してる時、
「ああいう時って、嘘つけんもんなんじゃね…、言えそうなもんじゃけどね…、よかったです、とは、どうしても言えんかったよ。」と言うと、はるは、「言えなくて、いいんだよ。」と言った。


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