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Back to the world_022/隣家の流星、集団宿泊、ラブリーと子犬

 朝 家を出た純は自転車に跨ったまま、隣の家の流星の絵を眺めていた。庭
木にくくりつけられた夥しい数のキャンバス群ーー。

ーー金属的な、空気の震えるような甲高い音がした。
二階建ての屋根に白い閃光が斜めに突き刺さるのが見えた。純の好きな瑠璃色の瓦の一枚が、『がぼん』という音をたててわずかに持ち上がったように見えた。
力が小さな一点に集中して穴を開けた時のくぐもった音ーー。しかしそれきり静かになったので、今見たものは勘違いだったのかもしれないとも思った。

 文句ばかりを吐く隣家の老人は今、二階の部屋の中で立ったまま流星の欠片によって胸を斜めに貫かれた。まさに何千万分の1よりも少ない確率で。

大きく開いた胸の孔は煙をあげ、それに気づいた義理の娘は恐怖におののき声も出なかったーー。

 ーー純は流星の絵を眺めながら、自分が不思議な映画の主人公になっているところを空想している。(そうだ、老人がいつものように小言を言って、義理の娘はそれに耐えながら足下で洗濯物を畳んでいたんだ!見上げた娘の顔が老人の胸の大きな孔から見えるっていうのはどうだ?やっぱりピンポン玉ぐらいの流星の欠片に対してサッカーボールぐらいの孔になるんだろうか…?)

 ーー現実のこの家には地味な中年男とその母親が住んでいるのだが、純は増えて行く流星の絵を見て勝手にここに合う住人を想像していた。気難しくて文句ばかりをぶちまけている老人が描いた絵だと面白い。まるで自分の不満を浄化するように、あるいは救いを求めるように流星を描き続けているーー。
絵の持つ無垢で崇高な雰囲気とは裏腹に、在宅で家事をする息子の嫁に当たり散らしている老人。

その息子は仕事が忙しくて家を空けがち、そしてお嫁さんはそうだ、悲しそうではあるものの、何を考えてるのかわからないほど従順なタイプがいいーー漫画で描くなら、シマリスのように真っ黒な目だ!ーー純は妄想を巡らせていた。

今日は金属的な空気の震える音と、『がぼん』という擬音、それから自分が白い閃光を勘違いかもしれないと思う描写が気に入った。ほくそえんでいると隣家から中年男が出て来たので純は会釈した。お互いの存在は認識していたものの、まともに目を合わせたのは初めてだった。
男は『おっ』と口をすぼめ、それからいい事に出くわした時のような顔でニコッとした。ジーンズにトレーナーというシンプルな服装は純がそれまで思っていたよりセンスよく見えた。佐内の父親のような、人好きする笑顔だった。

純も笑い返して、自転車を走らせた。空想とはまったく違う隣人の自然な態度は良い印象を与えた。(男の職業は何だろう?あの笑顔は人生を愉快に生きる術を追求している表情ではないだろうか?意外に元スポーツ選手だったら面白いな。怪我で引退を余儀なくされ、絶望から立ち上がってあの笑顔を手に入れた。すなわち一周まわった価値のある笑顔なのだーー)純は新しい妄想を膨らませながら学校へ急いだ。

 校庭には1年生が集合していた。2泊3日の集団宿泊を前に、気合いを入れてパーマをかけて来た者もちらほらいるが、特に注意や指導は受けていないようだった。

井田という小男が流行りの『サイドバック』という髪型でやって来た。前髪をデップという糊のような整髪料でボリュームをつけて持ち上げ、その流れた毛先を額に被せている。髪型はよいのだが、ただでさえ大きな頭にボリュームをつけすぎて前頭部が盛り上がって見えた。
佐内が早速『ブラキオサウルス』にちなんで『ブラキオ』と名付けた。
隣のクラスの高堀が井田の髪型をめざとく見つけ、
「オイ『安全地帯』!オマエ、髪型まるで『安全地帯』じゃねーか」と、井田の頭を小突いたので、純は嫌な気持ちになった。

「つまんないヤツだねー、アイツ」
佐内が耳打ちする。人気バンドの髪型だからといって、そのままで呼ぶ安易な感覚が気に食わないらしい。
「はは。自分より目立つヤツが許せないんだよ、出た杭をチェックして歩いてんだ。ごくろうさん」
相馬が笑って返したが、目が笑っていない。その事が高堀を十二分に貶めていたので純は愉快になった。

「アイツのリーゼント、カブト(虫)の幼虫載せてるみたいじゃん」
高校入学と同時に坊主から髪を伸ばした高堀のリーゼントの『ひさし』は無理やり作られていてまだ小さな塊だった。
「ははは!すげー気持ち悪いね」

佐内は純同様、相馬特有の比喩が気に入ったようだった。
「腐葉土でセットしてあるとか?」
「また!ショーグンは悪いなあ!ははは…」

「さなーい!」
演劇部の女子が女子エリアから駆けて来たので、あたりの男子生徒たちは平静を装いつつも自身、それまでの空気が乱れて広がっていくのを感じた。
(女子から気軽に声をかけられているコイツは何者だ?)佐内に対して露骨にそういう目線を向ける者もいた。

女子はまったく意に介さずに続ける。
「打ち合わせするからさー、レクリエーションの前、ちょっとロビーに来てね」「ロビー?何?」
「あんたしおり見てないの?旅のしおり」
「旅じゃない、集団宿泊だろ」
「ハイハイそのしおりにね、レクリエーションの前に自由時間あるって書いてあるからさ、ロビーでざっと打ち合わせるの」

「ええ?ああ…」
先ほどから佐内は明らかに『普段から女に声をかけられる魅力的な男』らしくふるまっている。
「偉そうだなー、いいから来てよね!」
おおよそこの場の皆がイメージした文化部らしさとは違う小気味良い口調に小さな笑いが起きた。佐内が軽く扱われた事で男子生徒たちの心のざわめきが収まった。

「災難でしたね、佐内選手」
「うるさいよ、ショーグン!」

「ほーいほい、注目!ちょっと静かに。楽しいねェ。喋りたいだろうとは思いますが今は、シィーッ!」
ショーグンが余計なひと言を言った言ったところで学年主任の桑ジイが朝礼台に上り、軽い訓示を行った。
その後生徒たちは駐車場へ移動してバスに乗り込んで行く。
出席番号順の並びで純の席は平田の隣になっていた。この小男は年頃にも関わらず、髪型を決めて来るなどという流れとは一線を画している。今日も坊主頭が乱雑に伸びたままで数箇所の寝癖を作っていた。
「おー」
純が軽く手を挙げて目が合うと、平田は
「寝ます!」
と言うが早いかいきなり突っ伏した。ドラマに出て来る間抜けなチンピラの子分にしか見えない。本当に眠いのか人見知りによる寝たふりなのかもわからなかった。

純が失笑した時にバスが坂道へハンドルを切ったので、回転した窓の景色には遅刻して来た上級生たちの姿が入って来た。
「こらー!急がんか!」
バスの中から今田が怒鳴ってもどこ吹く風で、彼らは悠々とした態度で道端に座っていた。

真ん中にはラブリー、しかもよく見ると汚れた子犬を抱えてなにか食べさせていたので純は笑ってしまった。
「ハッ!なんじゃい。バカタレがまったく…」
今田が最前列のシートに座りながら悪態をついたが、その口調には子犬のせいで若干好意的なニュアンスが含まれていた。

「おいおい、『お正月』だよアレ。犬抱いてたの」
幼馴染を『お正月』と呼ぶことに若干の罪悪感を感じながら通路を挟んだ席にいるショーグンと佐内をつつく。ショーグンはすでに気づいていてうなずいた。
「あの犬昨日からウロウロしてるやつだよ」
「へえー、あはは、雨降ってくりゃいいのにな」
「あ、不良が子犬を懐に入れて…ブー美が『キュンッ♡』とする、ですかね?」
「そう!それ!ははは」
「もういいよ2人とも。やめてくれそれ」
「すみません、ゴメンね」

傍目には不良たちがたわむれに子犬とじゃれているように見えたのだが、ラブリーだけはそういう体を取りながら本心は違うことが純にはよくわかった。
「やばい、俺泣きそうだ」
「えー?」
純と佐内は前席に掴まり立ったまま話していたので今田に咎められた。
「こらー、座らんか!」
「あ、はーい」
「すんません」
席へ座ると平田が突っ伏したまま片目でこちらを見ている。
純が驚くと、さっと固く目を閉じたので笑いをこらえるのが大変だった。
(なんという!…なんという面白いやつだらけなんだ!)
純は横を向いてショーグンたちに昨日の幼馴染との出来事を話して聞かせた。◾️

とにかくやらないので、何でもいいから雑多に積んで行こうじゃないかと決めました。天赦日に。