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そういうことではない〜ライトワーカーの呟き(前編)

 日毎、この世界・地球で「一般人として」生きることに息苦しさを覚えている。自分はそもそも本来『この星の住人』ではない…氣すらしている。和多志の住む故郷(ほし)は誰もが相互に愛をベースに「想いが通じる」「言葉が通じる」「行動に(思考・言動との)一貫性がある」生命体の集まりだったような氣がしている。地球、それも三次元しか見えない人々の多くは上記をほぼ満たしていない生命体で溢れかえっているようである。あまりにも醜く、酷いものだ。

 此処は、あまりにも自分や自分の身近な人々さえ良ければそれで良い…という思考に凝り固まっている。三次元の地球は…である。和多志が政治家の不正を言語化すれば、「選挙に行けば良い」はたまた「政治家になれば良い」と来る。「戦争は軍需ビジネスであって、(その存在が)許されるべきものではない」と伝えれば「俺は家族を守るために必要と思えば戦争に行く覚悟がある」とさもそのことが「英雄」かのような陶酔感でもって応える。極めて頓珍漢である。

 そもそも論として、政治家が不正を行うこと自体があるまじき行為であり、それを指摘する一般庶民が単に「じゃぁ、口先だけではなく自分が政治活動に加われば良い」という短絡的な問題ではない。初めから政治家を目指す者は、国をより良く統治する「民のための政」というものに情熱と志をもつはずである。それが彼らのデフォルトでなくてはならない。なのに、長期間にわたる世襲政治家たちの氾濫繁栄で、最も崇高な政治家としてのデフォルトが最早失われている。
 
 だからといって、異論のある一般庶民が外野でやんや言うだけでなく、自分自身が政治家を目指して今や巨大化した権力構造に堂々と立ち向かえば良い…と進言するのは単なる無責任な「暴論」でしかない。しかもそれが一般庶民同士間で取り交わされる議論なら全くもって「不毛」であり、それどころか現在も長らく脈々と君臨する上層部の権力者たちから見れば「願ったり叶ったり」の下界における分離闘争、即ち単なる一般庶民間の「自爆、共倒れ」しか生み出さない。

 また、機能不全の「国連」が戦争を停める役どころはおろか、当事国が加盟国からの戦闘武器調達をしている状況を達観・黙認しているような世の中である。所詮かつての戦勝国らが「平和平等」の名の下に、それを利用価値の高い隠れ蓑として多くの地上の国民たちを欺き悪どい利益を得ていることにそろそろ当人である和多志たちが気づいてもよかろうに…。そう、これまでの国連は欺瞞の塊組織に他ならないのである。いい加減氣づけよ。「権威主義」の愚者たちよ…。

 一般庶民が「自分たちが戦場に行くのがが当たり前」と思う前提自体が狂っている。「土地を侵略されれば俺は戦いに行く」って、その土地(国)って一体そもそも究極は誰のもの? 誰が長年所有し莫大な富を独占している? 一般庶民がこれほどまでにいいように扱われている事実に目を醒さなくてはならない。和多志たちが自分たちを本氣で大切に思うのならば、「戦いには決して行かない」という一択しかないのである。自分の命をろくでもない輩たちのために粗末にするな。

 地上のライトワーカーとして、和多志にできることは子どもたちに「教育」で伝えていくことであって、政治家になることではない。それぞれに生まれもった「使命」があるし、政治家になる者たちは元々その崇高な「使命」をもち、謙虚さと愛をもって粛々とその任務を果たさなければならないのである。兎にも角にも和多志は腐りきった政治家たちと戦う戦士になるために生まれてきたのではない。だからといって政治に異論を述べてはいけない立場でもないと断言できる。

 清らかで未来輝く子どもたちに、いま何が伝えられるか…。せめて、腐った人間にならないための「神の本質」の教えと腐った人間に操られないための「神の処世術」を織り交ぜて上手に心地よく彼らの純粋な魂に落とし込んでいく…というよりも、彼らの繊細で美しい魂がこれ以上濁らないように「浄化」法をまずは伝え広めていかなくては…と思う。誰とも競争比較しなくていい、でも…生きとし生けるものの世界と完全調和するために何よりも自他を尊重することが大前提。

 結局、生きることはシンプルなのだ…争いはいらない。愛は必須。それだけのこと。ただしその「愛」の捉え方が先で述べたような「自分本位の愚者」が多すぎて今もやるせない日々ではある。豊かで愛あふれるものを等閑にしてこんなにも汚いもの(私利私欲)ばかりをこのまま毎日見せつけられ続けるのであるならば、今すぐにでも和多志の星に還りたい。本気でそう思う。ただ今はほんの少し希望の光が差しこんでいるようにも思えて…心静かに密かに祈る日々である🙏。

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