妻の顔

珍しく今夜は妻が先に眠ってしまった。
ついさっきまで隣で一緒にスマホで動画を見ていたのに、気付いたらすやすや寝ている。

彼女の寝顔は、いつ見ても間抜けだ。

普段は二重でくっきりとした顔立ちをしている。一言で言うと美人だ。そんな印象を損なわせない、はっきりとした性格。きっと妻の仕事先の人たちは、彼女のことを「仕事の出来る人」とか思っているに違いない。僕から言わせれば、彼女は毎日とてつもなく分厚い鎧を身に付けているだけだ。

実際の彼女は、そうだな、なんか抜けてる。
『あ、そこは危ないよ』と思うようなところで、きちんと躓く。
テレビゲームをやらせても、何回も同じところで同じように敵にやられる。
今日はローストビーフを作るよ!と意気込んでいたのに「お肉を買うのを忘れた」とか言う。

そんな彼女の寝顔もまた、抜けている。
口が半分開いていて、目もたまに半分あいている。もう本当に、間抜けとしか言えない。

でもそれが、なんとも愛おしいのだ。
こんなに気を抜いて僕の前に存在している彼女を、ちゃんと守ってやらないとと思う。

彼女の寝顔を見ていると、なんとも幸せな気持ちがこみあげてくる。
彼女の髪を撫でながら、僕も眠ろうとライトを消した。

・・・


隣で眠る妻の寝返りで、ほんのり目が覚めた。
まだ外は薄暗いが、新聞配達のバイクが走る気配はする。

時計を見ようと、妻が眠っている方へ目をやる。
彼女の寝顔はやっぱり今日も間抜け……


「?!?!?!?!」


声にならない声が出た。
そして同時に、逃げるようにしてベッドから離れた。


知らない人が、隣で眠っている。


薄暗い寝室の片隅からその女を凝視する。妻じゃない。誰なんだ。


僕の気配に女は目を覚まし、「どうしたの…?」と寝ぼけたように言う。

「誰だ…!」
声は、自分でも驚くくらい震えていた。


「何を言っているの?」
心配そうな顔をして、僕を見つめる。

お前、誰なんだよ!
頭が混乱する。妻が寝ているはずの所に、知らない顔が寝ていた。


どうしたの?何を言っているの?
そう言いながら、まったく見覚えのない顔が僕の元へやってくる。一気に心臓がドクドク言った。金縛りにでもあったかのように身体が硬直し、上手く動かない。肩を掴まれそうになり、必死に避けた。その反動で身体がよろけた。身体も頭もふらふらする。

「私の顔を、忘れちゃったの?あなたの奥さんだよ?」

だって顔が、全然違うじゃないか。見たこともない顔だ。この顔を、僕は知らない。


でも…。パジャマは昨日、確かに妻が着ていたものだった。声も、話し方も、確かに彼女だ。

顔だけがまったくの別人。
どういうことだ。昨日の夜は、確かに妻だった。妻の顔だった。寝ている間に顔だけが変わったというのか。

寝室の棚にある置き鏡が目に入った。それを手に持ち、彼女の前に差し出した。鏡を手渡された彼女は、僕の意図がまったく分からないといった表情を向けてから、鏡の中を見つめた。

「顔が…違うだろう…?」
僕は恐る恐る聞いた。彼女がどんな反応をするのか、見当がつかなかった。

鏡を見つめる彼女の表情が、怖がっているような、不安がっているような、今にも泣き出しそうな、何とも言えない表情に変わっていく。


「何も違わないよ…?」


彼女の言葉に、一気に血の気が引いた。頭が真っ白になった。
何を言っているのか、意味が分からない。お前なんか知らない。妻じゃない。誰なんだ、お前は。


僕の中には、恐怖心と、戸惑いと、そしてなぜだか怒りが込み上げてきた。
目の前にいる女の存在が腹立たしく感じた。そして、身体の奥から叫んだ。

「お前は誰なんだ!」

僕の苛立ちが含まれた、あまりに拒否的な言葉に、彼女はとうとうこらえきれずに涙を流した。どうしたの、忘れちゃったの、なんでなの。そう言いながら、彼女はわんわん泣いた。

「顔が違うんだよ。美奈はそんな顔じゃない」
「違わないよ。ずっとこの顔だよ」

僕は女の顔をスマホで写真に撮り、それを母にLINEで送ることにした。母と妻はとても仲が良かった。写真と、『これ、誰?』というメッセージを送った。

すぐに既読がつき、返信が来た。
『美奈ちゃんでしょ?』

「ほら。だから言ってるじゃない」
彼女は勝ち誇ったような顔でそう言った。
そうは言われても、顔が違うのだ。妻じゃないんだ。どういうことなんだ。


・・・

…っていう夢を、旦那さんが見たんだって。
「なんか妙に怖かった…」って、疲れていました。

今日の夜は、ゆっくり寝てね。

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