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わたしとJAZZ横丁の日々

隣同士の絆こそ、ジャムセッションだった


それはオフィスの引っ越しの日だった。わたしはプランナーとして何とかやっていた。それは優秀だからではなく、不服をいわず、来るもの拒まずでやってきたからだと自分でわかっていた。そんなことで引っ越した日から締め切りに追われていた。引っ越しの日はそのまま徹夜した。その朝、空腹に耐えかねてモーニングを食べに行き、同じフロアの音楽事務所の人たちと顔見知りになった。この建物の1階の喫茶店、「ピッピ」がある。ここには録音スタジオはあるし、ジャズやポップスの音楽事務所、脚本家のオフィス、デザイナー、CM制作スタジオなどがあるとママ。この建物は関西でもまずまず知られる広告代理店の本社ビルだった。当初はエントランスもエレベーターも、各事務所も黒を基調にしたデザインで、デスクと本棚は真っ赤に統一したお洒落なビルだったとか。広告代理店はりっぱな自社ビルに引っ越したが、このビルは若いクリエーターやミュージシャンを支援するため、格安で貸し出している。仕事が入ったらすぐに仕事を発注するため、クリエーターやミュージシャン、音響エンジニアに部屋を貸して影響力を行使している。ママさんは親切で話してくれたと思うが、聞いている間に徹夜の疲れで眠くなった。

コーヒー、たこ焼きの差し入れ、ご近所さんはジャズな人たち

音楽事務所のお隣さんは夜食を差し入れたり、たこ焼きをお返ししたりで、すっかり仲良くなった。驚いたことに、このフロアーはジャズの関係者が集まっていた。うちの向かいの部屋は、名門ジャズグループのオフィスで、電話番のアルバイトはジャズボーカル勉強中の身だ。下のフロアーには録音スタジオがあり、たまに有名人が録音に来る。そんなときは朝から中高生の女子が大勢押し寄せ、ビルの入り口を二重、三重に取り巻く騒ぎもある。上のフロアーにはCM制作のオフィスや、絵コンテの会社もある。テレビコマーシャルを受注した場合は、ここのクリエーターが連携してチームで制作仕事をすることもある。

突然、大音量のジャズ、ずっこけそうになるのは、お隣の音楽事務所がスポンサーに用の提案書に音源を用意しているのだ。それでもこの音楽横丁のような環境に日ごろのストレスが吸収されるのを感じた。所属ミュージシャンがライブハウスに出演するときは招待してくれたり。わたしの仕事にも有益で、得難い環境だと思い始めていた。

電子ピアノの新製品発表会は、センセーショナルなライブツアー

うちの一番の得意先はあの家電最大手で、つい最近、新たに電子楽器開発事業部を立ち上げたばかりだ。以前、京都で音楽マネージャーをしていたので、この開発チームに誘われた。それもわたしが来るもの拒まずで、しかも音楽の世界に人脈があると踏んでのことだ。開発事業は大学の音響工学の専門家やエンジニアを招いて時間をかけて開発し、商品はすでに完成しており、まもなく発表する運びとなり、そのプランをわたしが担当することになった。最初に発売する商品は、電子ピアノである。すそ野を広げて普及を目指し、クラシック音楽のピアニストよりも、ポップスやジャズのリズム、商品の音色にポイントを置いて訴求する、電子ピアノの質の高さに絞った展開の企画を提案した。電子楽器の発表はテクニカルな部分を含め、プレゼンテーションと実際の音色をジャスやフュージョンのミュージシャン、バイオリニスト、チェリストのセッションを起用した。家電会社はこれが気に入り、わたしは新製品発表会のディレクターとして雇われた。ミュージシャンのブッキングは隣の音楽事務所が担当する。発表は全国10か所で、いずれも家電会社の電子ピアノ開発事業部支部があるロケーションだ。ホテルや音楽ホール、ライブハウスなどは、音楽事務所がブッキングした。発表会はテレビ、新聞、雑誌に家電会社の広報課がプレスリリースを流したが、これもわたしが準備した。また、並行してジャズのミニコミ誌「ジャムセッション」を発行した。ツアーの移動時間を利用して出演者やゲストにインタビューし、撮影は宣伝のため、ライブハウスやホテルの会場を選んだ。こうしてツアーはテイクオフとなった。

ジャズ横丁のつながりから、ミニコミ誌とFM番組が生まれた

わたしとジャズ横丁的なつながりが、家電会社の大きな仕事を受注し、結果的にそれまで考えたことのなかったプロデュースをしたのだった。しかも、家電会社はミニコミ誌「ジャムセッション」がいたく気に入り、毎回テーマを決めて電子楽器のジャムセッションを企画し、取り上げた。そして中心的なミュージシャンのインタビューを掲載したが、彼らも徐々に署名記事を書くようになり、それがきっかけで電子楽器が次々に開発された。出演していたジャズトランペット奏者は、新しくできたFM局に自分の番組を提案し、そのパートナーにわたしを選んだ。わたしたちの番組「ジャムセッション」のスポンサーは家電会社の電子ピアノ開発事業部であることはいうまでもない。

わたしたちは隣同士の気安さから、一緒に家電会社にプレゼンテーションして新商品発表会のプロジェクトを共同開発した。そして移動中とライブ会場でインタビューや撮影をしたおかげで、新製品発表会らしい記事を掲載し、ミニコミ誌「ジャムセッション」を月刊誌として発行できる道筋を見つけた。また都合よく、事務所の近くにFM局が新設され、ジャズの番組「ジャムセッション」を提案し、わたしとミュージシャンはパーソナリティとしてこの後、3年の間、一緒に活動した。あのオフィスに引っ越して、たまたま仲良くなり、活動の場を広げたが、数年後、ますます忙しくなった本業に力を入れるため、もっと広い場所が必要になり、近くのビルに引っ越した。それとともに、わたしたちの絆は希薄になり、やがてミニコミ誌「ジャムセッション」や、FM局の番組「ジャムセッション」を続ける意志力を失っていった。











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