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体罰が悪いこととは言わないけど安易な体罰は暴力になる。

『お父さんはそう言いますけど、よくがんばってますよ』

 息子の担任から言われた言葉。
 ボクが夏休み明けの『生活ノート』の保護者欄に、毎日、リビングのソファーに寝そべり、ダラダラしながらゲームかYouTubeばかりだった息子に、ユーモアを交えながら少しだけ苦言を呈した言葉を書いたら、秋の保護者面談の時にかみさんがこんなことを先生から言われたらしい。

 ボクの認識が正しければ通常は生活態度などを先生が苦言を呈し、親がフォローするという図式なのだけど、今回は逆だった。
 なんだかおもしろいのだけど、息子はいい先生に巡り合ったのだなと実感している。
 保護者面談の時に、親が苦言を呈しているところを『そんなことない』と言って、良い所に注目してくれる先生などなかなかいないと思う。
 実にありがたい話である。

 よく考えてみるとボクが学生時代に出会った先生方にもいろんな先生がいた。

 いい先生もいれば、未だに納得のできないような指導をしてきた先生もいる。
 まあ、先生も完璧ではないのだ。
 だから仕方ないことではあるとは思う。

 時代もあってか……
 ボクが子供の頃は普通に体罰があった。
 宿題を忘れたら先生から太ももを3回叩かれる。
 それはもう痛くて仕方ない。あの頃は当たり前のように思っていたが、これには実は納得できていない。

 ボクは48歳だが、ボクらの世代は当たり前のようにこういった体罰があった。
 そのすべてに対して文句があるわけではない。
 もちろん叩かれるというのは痛いし、嫌である。でも嫌だからこそ違反は犯さないように注意するという側面もある。
 体罰であっても正しく行われるのであれば、それは効果があると思う。

 しかし意味のない体罰は嫌な思い出でしかない。

 そもそも宿題とは誰のために行うものなのか……。
 それはあくまで自分の為である。やらなければ自分が困るだけなのだ。
 宿題を忘れたらその分、成績は下がる。
 成績が下がれば当然、将来への選択肢は少なくなる。
 その場で怒られなくても、じわじわと自分の首を絞めていくのだ。

 もちろん、そうならないように心を鬼にして先生は怒るのだろう。
 だから納得できていないものの、先生の職責を考えれば怒るのはやむなしというところだとは思う。

 では、この場合、体罰をする必要があるのか?

 体罰をした先生ではない別の先生は、漢字テストで悪い点数だったボクと友人数名に居残りで漢字テストの復習をするように伝えたことがある。
 実はこの居残り勉強は実に楽しかった。
 友人と協力して時には国語辞典を調べて、漢字を覚えた。

 おかげで次の漢字テストはいい点がとれた。

 宿題を忘れた生徒に体罰を行うというのは何の意味もない。
 正直、いい思い出はないし、余計に勉強が嫌いになった。
 それに太ももを叩かれるぐらいですまされるなら、放課後の貴重な遊び時間を削ってまで宿題をやらなくても、当座の痛みだけ我慢すればいいや、とさえ思ったのだ。
 これでは体罰ではなく、ただ単に暴力でしかないだろう。
 何の効果もないのだから。

 宿題を忘れたということで罰を受けるのなら、忘れた宿題を居残りでちゃんと理解できるまでやるという罰の方がためになるのではないかと思う。

 安易に体罰に頼るとなんの意味もないただの暴力に成り下がってしまうのだ。

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