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ありがたかったこと〜こんな私を気にかけてくれて〜

前回の記事から、なぜか記録しておきたい感謝を書くことにした私

しばらくInstagram投稿(お料理・リミックス)をお休みしていた…そうしたところ「Bennie®︎ちゃん、体調大丈夫?」とDM、もらった…うれしかった&ありがたいと思った!

Instagramの活動を休止したのは独断
SNSで真剣にマーケティングしている先生らしき人の投稿で「日記投稿、あれ絶対しちゃあかんやつ」みたいなのを見て「あ”〜、私の投稿も趣味だから、しちゃあかんやつに限りなく近いわー!」と思ってしばし、休んでみようと思っただけ。

5年前に不本意ながらもOLを辞めることになって、起業家の世界もいろいろ見せてもらっている中、私が思ったことは「この世にはいろんな人がいて、いろんな活動をしている人がいる。傍目、何なの?と思うようなこともあるけれど、本人が真剣に取り組んでいる活動に対し、決して『あかん!』とは言えないよな!」もちろん、それに関わりたい/関わりたくはないの選択はこちらの自由なんだけども。だから私のInstagramが日記投稿になったとしても赤の他人に「絶対しちゃあかんやつ!」とか言われたくないわ!

最近、私が考えていることは「もう、成功を追いかけるのやめようか!?」ってこと。OLしてた頃の私は、ずーっとお金に追い立てられるように必死に働いて、それでも親の要求には全く応えることができず、それはとても辛い経験やった…その後、50歳にして生まれて初めての一人暮らしでは苦痛を伴ったけれど、母と別れ、愛車と別れ(愛車と別れるのが一番、辛かったな…)そんなプロセスを経て、やっと自分の心の中にある大きな穴があることに気づいた。

多くの場合、心にぽっかり穴が空いたら、家族とかパートナーとかそういう近い人との関わりの中で満たしていくのが筋なのかもしれない。けど、私のお父さんもパパ(叔父)もそうだったんだけど、家族と縁が薄い、そういう人生を生きる人もいる。私もそうやと思う。お父さんは父親に会ったことがなく(祖父は父が生まれる前に亡くなったからね)、おばあちゃんとも赤ちゃんの頃に一回、別れてる。パパは妹を病気で亡くして、高校から親元を離れ、頑張って大人になって幸せな家族を作ったんだけど、それでもおねえちゃま(パパの娘)が病気でパパより先に亡くなった。家族と縁が薄い人生と言えば、確かにさみしい&悲しい風が吹く。でも、そんな人生になってしまったのは彼らのせいじゃない。私は子どもの頃からお父さんとパパを見てきて、努力が足りないどころか平均的な努力の10倍は軽く超えてたと思う。おかげで子ども時代の私はとても幸せだった。

今、私自身も家族と縁が薄い人生を生きている。こんなところまでお父さんたちに似たいとは思わなかった。けど、私の場合、家族ときっぱりお別れする経験が必要だった。自分の心の中に空いた穴に気づくためには。これからそれを埋めるように生きていきたいと思った時、何で埋めたいか?

「何で埋めたいか?」それは今とこれからを生きてみないと分からないなー!これから奇跡が起こって彼氏ができるのかもしれないし、もっと言えば誰かと結婚することになるのかもしれない…けど、今の私は「彼氏」も「結婚」も望んでいない。それより、今日、お友だちが連絡してくれたように「え?こんなことが?」と思うほどさりげないことに優しさや思いやりを感じて、心がホワっと柔らかくなるような出来事がこれからもずーっと延々と続いて起こったらいいなぁ、と思う。


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