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『観』「観想の目」―こころの内観—

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雚に見ると書いて観。雚は鸛(こうのとり)のことで神聖な鳥とされる。雚を使って鳥占いをし、神意を察すること。それが観。朝、禅定の後、想起したことを綴る。自分に対する内省的な見立てで… もっと読む
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記事一覧

『数字の象形』《おとぎばなし》「13」最終話(777文字)

「13」これから、どうなっていくかじゃと? そうじゃのう。 世の中は、平和に向かっていくはずじゃろう。 いまは社会情勢が、とても不穏になっておるがの。 人々の意識は今、大きく変わろうとしておる。 「13」は、不吉な数と言われとった。 ときに、ある宗教の教義においてな。 じゃが、この数の本質的な意味を知れば、それが、吉の前兆、「吉兆」を示す数字であることが分かるはずじゃ。 教義によって大衆を畏れさせ、この数を人々から遠ざけ忌み嫌う数として封印してきたのじゃ。 それ

『数字の象形』《おとぎばなし》「12」(1386文字)

前回「11」で語ったように、双対であることを意識できる次元が、十の位の「1」じゃった。 「12」は、一の位に「2」があることによって、「我」と「汝 」の関係性が最終段階を示す象形であることがわかるのじゃ。 「2」のときにも語ったように、「2」は、もともと二元の始まりを示す意じゃった。 そこに十の位の「1」、つまり双対であることを認識する次元が顕れることによって、「12」により本質的に四つの常態が在ることが察知できるようになるのじゃ。 すなわち、「我」に対しての「他」と

『数字の象形』《おとぎばなし》「11」(836文字)

「11」前回の「10」でも触れたが、二桁となることは、それ相応の意識変化を伴うのじゃ。 つまり、まったく異なる意識への誘いじゃ。 わしらは未だこの意識には及んではおらんがの。 「1」と「1」の組み合わせは、単なる「1」+「1」のことではない。 はじめの「1」は「自分」じゃが、それは「我」じゃ。つまり自分だけを見つめている「我」の段階なのじゃ。 自我のみが意識されておる。 いままでのおはなしの通り、わしらは「2」から「3」の段階で躓いておるのじゃ。 わしらの意識次元

『数字の象形』《おとぎばなし》「10」(541文字)

「10」この「10」の段階をもって、まったく異なる認識のもとに、わしらが持つ意識は、新たな領域にたどり着くのじゃ。 「0」は自らの位置を示しておる。 「1」は我を汝と知っている状態じゃった。この「1」が次の次元に到達することで、我と汝が本当の意味で双対であることが認識できるようになるのじゃ。 これが「10」の持つ意味じゃ。 より広く深い意識をもっており、何事にも囚われず、そこにあるものを見通すことができるようになる。 そう、それは、あの世へ旅立った魂。肉体を離れ霊の

『数字の象形』《おとぎばなし》「9」(555文字)

「9」いよいよ誕生の瞬間が近づいたのじゃ。 この世に生を受け、それを全うする。 この再び顕われた勾玉の容が、霊を纏った似姿であると神さまは申された。 個としての生命の仕組みを「8」で受け、自らの視点を以てこの世界に対峙する萌芽をわしらにお与えになったのじゃ。 神なる存在は、大いなる自然の意志を受け、個々の存在の個々の視点を重視するように、大いなる自然を据える位置を私たちにお与えになったのじゃ。 まさに、これが霊化へ向けた第一歩じゃ。 人間から人へ。 その準備のため

『数字の象形』《おとぎばなし》「8」

「8」 数字の「8」の切り込みは、捻じれを意味しておる。そしてまた、中心の場が二つあることも意味する。 「8」つの方向が生まれるのじゃ。 幾何学的には、立方体の面と頂点の関係とにておる。ほんらい「6」だったものが「8」になる。その2つの顕れとは、完全なる自己と他者の存在自体じゃ。 この双対により個体のシステムが出来上がるのじゃ。よいか、この段階ではじめて自然の声を聞き味わうことができる。 この二つがつながるのじゃ。この二つのつながりにより、すべてのものに意味が生まれ

『数字の象形』《おとぎばなし》「7」

「7」 さて、また空間を見直すときがきたようじゃ。 直線は空間を意識し、その領域を確認するサインじゃ。 「4」の次に、直線のみで構成されておるのは「7」じゃ。 「7」も空間を見る。空間との遊びじゃ。 空間は常に開かれておる。 わしらの中におるもう一人の自分にじゃ。 数とは、あらかじめ定められた、双子の片割れなのじゃ。 常にもう一人を探しておる。 その姿は似たもの同士じゃから、なかなかみつけられないがの。 そうじゃ、ちょうど鏡映しのようになっておる。 数には順

『数字の象形』《おとぎばなし》「6」

「6」今宵も月は出るかのう。 月は自我の映し身じゃ。 明日はちょうど半月。片割れの自分と出会うには、ちょうど良い日だのぅ。 漢字では月へんが付くのを肉月というて、体に関係する語彙につかう。 この「6」の形がまさに勾玉の如く胎児の「象」をしておるのじゃ。 終に自覚の種が蒔かれたのじゃ。 ただその記憶は「8」で再び消されてしまうのじゃがな……だがそれは、必要があって仕組まれたことじゃ。 だからこそわしらは我が身を深く知ることもできるのじゃ。 「6」は三つの面をもつ

『数字の象形』《おとぎばなし》「5」

「5」世の中には、見えるものと見えないものがある。 自分の身体も同じと考えると不思議なことに気付くのじゃが、体が見えたり見えなかったりするなんて、考えたことがあるかのぅ。 むろん、目を閉じれば自身の体は見えなくなる。じゃが、目を開けているときでも、自身の体が見えたり見えなかったりする。なぞなぞのようじゃの。 それは…そうじゃ、自身の顔じゃ。その周辺は自分では見えない。これがあたりまえじゃ。 はじめは、周囲に映るモノ全ては他者であると認識する。そして「4」の中心に「5」

『数字の象形』《おとぎばなし》「4」

「4」 、、直線はのぅ、空間のなかに現れる「視線」を確認する象なのじゃ。 「1」もそうであったように「4」も他者の視線の交わりを確認していく過程を示すのじゃ。 天地創造で神様が、いちいち「これでよし」と仰ったようにの。 「4」に与えられたお役目は、他者の視線の交わりを確認し、それが整っておるかを見ることじゃ。 「4」の象は「1」を含んでおるが、それは「10」や「11」などと異なっておって、今までの話しで言えば「2」のように、数字の象形の中に直線の部分があることじゃ。

『数字の象形』《おとぎばなし》「3」

「3」話をしている間に、白鳥はどこかへ飛んで行ってしまったかのう…じゃがな、わしの中にその情景が、まだはっきりと残っておる。 「3」は他者視点の認識といってよかろう。 はじめから、何度も他者たしゃ云々と呼ばわっておるが、その「タシャ」とは一体何者ぞ、という声あるから、ここで、少しばかり説明しておこうかのぅ。 「0」から「9」に至るまでに、わしらは基本的な他者と触れ合うのじゃ。 これは分かりやすくいえば「先祖」といってもよかろう。つまり自分自身のルーツじゃ。ずーと続くそ

『数字の象形』《おとぎばなし》「2」(466文字)

「2」 「2」の象りは、曲線部に視点、底辺は境界を示しておる。境界に鏡を置いて「2」の姿を見てみるとよい。ちょうど白鳥が水辺で休んどる姿を想うとよかろう。 水面に映る白鳥の姿があるはずじゃ。この象りが「3」に繋がっていくのじゃ。 話を戻すが、「1」は鏡に映す対象がなかった。だから鏡の役割は果たしておらん。だが、直線が空間の把握と視線を表すとすれば、「1」の視線は、平面的な「|」の中に相手の視点を含んでおることになる。 わしらは、その他者の存在に未だ気付いておらんがの。

『数字の象形』《おとぎばなし》「1」(742文字)

「1」 「1」は数えられる数というモノを表す最初の道具じゃ。そして、「1」はモノを現すから空間が必要になる。そこに物があるからのう。当然空間が必要になる。 そして「1」は直線じゃ。直線は視線を意味する。線は境界も示す。「1」は縦の境界。はじめの視線にまつわる。 わしらは、生まれてから一人ぼっちだと考えておるが、これは錯覚じゃ。本当は、身鏡としてもう一人、自分の中に我の汝が居ることを忘れとるのじゃ。 それは「3」より示されるのじゃが、わしらの意識は、今においてもなお次な

『数字の象形』《おとぎばなし》「0」(490文字)

「0」 数字の象には、幾つか基本的な法則があるから、それから話すことにしよう。 さよう、数の大元は「0」じゃ。「0」は数えられない「無」じゃ。しかしここには永遠の持続という意図が隠されておる。視点といってもよかろう。 ちょうど丸い穴から覗くと何かが見えるように、その奥に無限が拡がっておる。じゃが、これは空間の広がりというより、時間の源じゃ。 永遠というものは、もともと時間を表す言葉じゃからのう。 そしてここには、これからお話しする「1」から「9」までの意図が全て入っ