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畏れの呪術と慈悲の祈りの狭間でもがく ー 「古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティアカン」と「法隆寺宝物館」 ー

2023年7月20日、上野の東京国立博物館特別展「古代メキシコ マヤ、アステカ、テオティワカン」へ。直後にインスタやFB上げた文章を推敲してnoteに投稿します。(展示は現在大阪の国立国際美術館で開催中 2024年2月6日(火)– 5月6日)

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展示のサブタイトルは「祈り、畏れ、捧げた」。展示を追うにつれ、これは「畏れ、捧げ、祈り、戦い、滅んだ」だよなとずっしり重たい気分がつのっていく。現在進行形の戦争や世界情勢が自分の物の見方を変化させていることは確かだ。少し前までは、小さな紛争はあっても世界的な大戦争を人類はもう起こさない(起こせない)と漠然と思っていたが…結局人の根源は変わらないのかYO! 

死、病、飢え、老いへの畏れ。圧倒的な力と永遠への憧れ。時にユーモラスにも見える造形の中にも畏れが通底しているように感じてしまう。以前ならもっと「物」そのものの造形や素材を楽しめたのだが、今はそれだけに集中することが出来なくなっている。

この「やるか、さもなくばやられるか」という畏れのループから人は何千何万年経っても逃れられないのか。今ここで生きてる自分も、ご先祖さん達が殺し殺されつつも生き延びてきた側の人間なのである。

そんなこんなでグッズを見たり買ったりする気分にならず、ミュージアムショップはスルーし、ヨレヨレしながら法隆寺宝物館へ。

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弱肉強食、群雄割拠の世に現れた仏教というのは一筋の救いの光に見えたのだろうなあとこんな実感を持って見たのははじめてかもしれない。暗い部屋にずらりと並ぶ観音菩薩像の間を歩いているうちに心が少し鎮まる。静かに佇む飛鳥の時代の仏像の世界に少しホッとつつ、環境の影響をいとも簡単に受ける自分も可笑しい。裂の展示は相変わらず人も殆ど人もいなくて錦や綾、纐纈などじっくり堪能出来て幸せだった。

何千年経っても仏教で世界は救われていないし、仏教それ自体が政治性を帯び、権威として利用され続けてきた。自分はそもそも仏教徒でもない。しかし生贄必須、弱肉強食ルール絶対の世界はハード過ぎる。法隆寺宝物館で、なんにせよこれがある世界と地続きでよかったなと少しホッとした私なのだった。


下の二つの写真、マヤの赤い女王のマスクと法隆寺の阿弥陀三尊。どちらも同じ紀元7世紀頃、地球のあっち側とこっち側で作られたもの。

赤の女王のマスク・首飾り等
マヤ文明 ・7世紀後半(アルベルト・ルス・ルイリエ・パレンケ遺跡博物館)


阿弥陀三尊および僧形像
飛鳥時代・7世紀(東京国立博物館 法隆寺宝物館)





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