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名前は自分が決めている。と、いう話し。

この前、そう教えてくれた人がいる。
「名前は、自分が決めて産まれて来るんだよ。」
Twitterの仲良しさんで、いろいろ分かり合える人です。

その話しに妙にしっくりきて、なるほどって感心した。

実を言えば、長男の名前を決めたとき、その子の運命のようなものが分かった気がしていた。その名前は、産まれる10年前からいいなぁと思っていたもので、子供が欲しくて考えてあったとかではなかった名前だった。長男がその名前になるとは思ってもいなかった。そして彼は、異常に名前にこだわっていて、3歳くらいの頃にあだ名を付けて呼ぶと、『〇〇じゃない❗️💢』ってよく怒っていた(笑)それでも、そう呼んでいたら一時諦めたような時期もあったけど、やっぱり時々怒っていた(笑)でも、それが妙に可愛くてついつい呼んでしまうのだった。

彼が産まれてくるとき、本当は立ち会える予定だったけど、病院の都合で設備の違う分娩室になったとかどうとかで、立ち合いが出来なくなった、だから俺は、無事を祈って別室にいたんだ。そして、目を閉じて待っていると、瞼にパーっと光が差し込んで、産まれてきたって直感した。数分後に、看護師さんが「産まれましたよ。」と見せにきてくれた。長男とは、魂が繋がっているなと思ったのを今でも鮮明に覚えている。

次男が産まれる前は、夢に現れた。その話しは別なnoteに書いてあります。これもとても不思議な話です。

どうやら、俺と息子たち(長男・次男)は、全員が魂の繋がりがあるようだ。

次男も製造前(笑)に夢に出たというだけでなく、不思議なことがあって、彼のボディには2人の魂が入っているようなのです。そのためか、普通に赤ん坊だったり、大人のように妙に落ち着いていたり、産まれて間もない頃から、視線、反応、行動が不思議な感じだった。いずれ統合して、最終的には能力が上がるらしい。どうも最近の子供が能力が高い話を聞くが、これなのではないだろうかと、思ったりする。新しい魂と、古い魂が、同時に入って産まれてくる。そんな感じなのではないだろうか。

夢の現れもあって、製造前から男だと分かっていたし、その通りになった。だから次男の名前は、やっぱり決定済みだった。彼もまた、来るべくして、その名前を自分で決めてやってきたのだろうと思っている。

自分の名前のことだけど、小学生くらいになって親父が考えていたであろうメモが、名付け本に幾つか書いてあるのを発見した。それを話題にすると、それらは名前の候補だったと言った。正直、どれもあんまり好きな名前では無かった。そして不思議なことは、今の自分の名前は、その本にメモが無かった。つまり候補のメモの中に自分の名前はなかったのだ。これも自分が決めて来るんだということに頷く要因だった。

親父、俺、息子達と男だけを並べると、こうなるのだけど、誰も一字も受け継いだとかないのである(笑)
全員、全く関連性も脈略も由緒も、何もない。それも不思議ではある。もっと言えば、俺の爺さんとその兄弟まで入れても、全員、何一つ名前に関連性はない。

それも少し、不思議といえば不思議である。