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19歳の白昼夢

白昼夢を紹介する前に、前提となるお話を2つ書かせて貰います。

一つは、人間として生きるということの本質についてです。
人間としてこの世界を生きるということの意味はなんでしょう。それは欲望の世界に生きるということではないかと推察しています。この世界では、すべての望みというものが人間の欲望であるからです。
食べたい。寝たい。楽しみたい。洋服が欲しい。彼氏彼女が欲しい。セックスしたい。子供が欲しい。宝石が欲しい。家が欲しい。ペットが欲しい。懲らしめたい。苦しめたい。殺したい。生きたい。死にたい。悟りたい。瞑想をしたい。旅行したい。車が欲しい。良い世界にしたい。数え切れないほど「〇〇したい。」があるでしょう。
それらは、良くも悪くも何もかも人間の欲望です。生物の中でも人間がダントツに欲望の数が多いでしょう。人助けをしたいなどでも何らかの意味合いを持つ欲望です。
そして、悪性か良性かも見方によって反転してしまいます。よく言われるように、全ての物事は表裏一体で紙一重と言えるでしょう。

欲望というと、悪いことのように思えるかもしれませんが、それは違います。先に述べたように、欲望のない人間などいないのです。
お経を唱えることも、唱えたい欲望があってやっているのです。

人間は〔 欲望は、儚いことだ。〕と、知るために生まれてきたのでしょうか。
そして、行き着いた時には愛に目覚める修行の場であると気付くのでしょうか。


二つ目は、白昼夢の概念についてです。
“白昼夢“としていますが、夢遊病などとは違います。ここでいう白昼夢は、もっと霊性の高い事象です。もしかしたら白昼夢という表現が間違いなのかもしれません。
0秒間の間に起こった、幽体離脱的な現象になります。時間の概念すら何であるのか疑わしいと思える経験でした。

19歳の時に見た白昼夢が、長い間自分自身に疑問を投げかけ続けました。自分に理解出来ないものだった間は、単なる不可思議なことでしかありません。説明してもおもしろおかしい不可思議なことという程度になってしまいます。
だから今まで詳細を書くことはありませんでした。ある程度は、解釈が進んだと思えて書くこととしました。

それは、こんな内容でした。


机に向かって、とある資格試験の受験をしている最中に突然起こります。もう終了時間が気になるほどの状況で、腕時計を確認しながら解いています。時間との勝負になり、時間、分、秒針まで目に入ります。
次の瞬間、目の前がグラグラと揺れブラックアウトしていきます。自分では、もしや貧血か?と考えていました。これまでほとんどなったことのない貧血が、よりによってこのタイミングで起こるとは、運が悪すぎると思いました。

視界は真っ暗で何も見えません。しかし意識はあります。どうにか戻って試験を続けたかったのですが、ブラックアウトしたまま事態は改善しませんでした。

そしてしばらくすると、何やらぼんやり遠くの方に見えるものがあります。それはゆっくりとこちらに近づいてきます。ある程度近づきそれが何であるか解りました。それは、垂缨冠を付けた写真(拾い画失礼🙏)のような姿の男でした。帯刀しているように見えましたが定かではありません。

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輪郭部分が光っているのか、暗闇の中でこの男の上半身くらいは見えます。
そして、言葉は言わないのですが、表情から“着いて来なさい。“という意志を感じました。振り向くように背を向けて進み始めます。それを追うように着いて行きました。一体何者なのか、ここはどこなのか、もしや自分はそのまま死んでしまったのかなど、様々な疑問が頭をよぎりました。まぁ、この男が見えた時に覚悟も決めていたので動揺はしませんでした。どちらかと言えば、試験を終えて資格取得出来ないことが無念だと思っていたくらいです。
ブラックアウトしてから自分の身体は、感じられませんでした。なので、意識で追っているような感覚です。この男の姿は見えるのに、自分の身体がないというのが不思議でしたが、覚悟の上では何もかもどうでもよかったです。
幾度か曲がりながらしばらく歩き(感覚的に)、男が振り返りました。
(曲がる必要はあるのだろうか?ワープ?)
どうやら、到着したようです。促されるまま男を横目に通り過ぎました。

次の瞬間!!

視界が開けるようにどこかの世界に出たようです。
自分は、その世界では飛んでいるというか浮いています。蓮の池がどこまでもどこまでも続いていて蓮の池の水平線と言うべきか地平線というべきかが見えるほどです。空は、曇りのようでありながらとても明るくホワイトグレーのフィルターがかかっているように見えます。周囲を見回してもその空間がただただ広がっていて、他には何もありません。

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自分と同じように漂う人もいないし、家や車、お金も何もない、女性もいない(笑)、そんな不思議な光景に驚きつつ、その空間が何であるか解釈をしようとしましたが、すぐにどうでも良くなり、ふとあることに気が付きました。

自分が生きてきたまだ19年という短い人生で感じていた欲望への変化です。
 ・車が大好きで、欲しい車がたくさんある。
 ・たくさんの女性と出会っていろんな経験をしたい。
 ・世界中を旅行したい。
 ・お金持ちになりたい。
 ・会社を作って社長になりたい。
など、たくさんの欲望がありました。これらがどのように変化したのか。

一切不要

何も欲望としてイメージ出来ない。というよりも、漂っているだけであまりの心地良さに何もかもどうでも良くなります。

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もはや、漂っていることが全てなのです。人間の抱く欲望なんて、実にちっぽけだと思い知ります。この空間でこうしていることがどれほど心地よく素晴らしいことか、こんな体験をしては人間界などどうでも良いと思えました。
この世界は、人間界とは対照的な無欲の世界でした。それに空腹になる気配もなく、争いが起こりそうにもなく、ただ安息だけがあるのです。とてもとてもとても居心地が良くて、どのように表現するべきか困るほどです。

しばらく漂って平和で欲望のない居心地の良い世界を堪能しました。
そして、頭の中に“ある考え“がよぎります。その瞬間でした。
まさに一瞬で現実へと引き戻されたのです。

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そして、試験中そのままの状態へと戻るのでした。見ていた時計の時間も分も秒針も、全て元のままで、自分が貧血で運ばれたということもありません。
全部、元通りで1秒も進んでいませんでした。

自分は、何を思って引き戻されたでしょうか。その答えが分かりますか?
“ある考え“とは、_________。という欲求です。伏せておきます。小さい子供なら分かるかもしれない。とても普通のことです。

この不思議な体験を通して、考え続けたことは、
1、欲望は儚いものだ。もっと素晴らしいことがある。
2、人間界は欲望の世界(ステージ)である。
3、その欲望を叶えることは悪いことではない。
4、欲望を満たせば、見える世界があるのではないか。

欲望を抑え込めば、何かを成就出来るのか?
きっと、逆なのではないでしょうか。そして、人それぞれに欲望の達成域は異なります。達成すれば死を待つだけになるのか、何かを掴めるのか分かりません。このことが何を意味しているのか、はっきりとした正論を知ることは出来ないでしょう。でも、ある程度の解釈は出来る様になったと思っています。

簡潔にまとめると、
・人間界は、欲望の世界。
・あの世?天国?は、無欲の世界。
・恐らく天国?のような世界は存在する。
・人間として生きるということは欲望があって当然である。
・なぜ人間をするのかと言えば、欲望を叶えるためである。
・聖職者は、それをしたいという欲望で行なっている。

つまり、人間である以上は、欲望と常に向き合うということではないでしょうか。やりたくないことをやっているというのが、いかに無駄なことか分かりました。法律や常識は、安全に暮らす上で最低限必要なのでどのような欲望も叶うわけではないでしょう。ですが、やりたいことをやるというのが自身が人間界に来た理由と考えることは良いのではないでしょうか。嫌な経験も糧となりますし、欲望のためであったりもします。それらの経験から、欲望は変化し人間として成熟するのではないでしょうか。

良いことだけを経験しても、それが良いことだとは分からないでしょう。
悪いことだけを経験しても、それが悪いことだとは分からないでしょう。

数々の不思議体験をしたおかげで、考え方がいわゆる普通とは違っていて、これまで自由に生きてきました。そして分かったことがあるのです。
この白昼夢は、自由に生きることを選択させるために見せられたのではないか?そして、無欲の世界の心地良さを体験することで、悪しきをさせないため?
これまでの人生を思い返すと、この体験には考えに対しての推進と抑制の効果があったように感じます。

これが、19歳で見た白昼夢の全貌です(笑)

雑言
他でも書きましたが、この時も神を見ていません。らしき人は登場しますが、不明です。なので、会ったこともない神を信じていると断言は出来ません。星に願い事は幼少からしています。見えていましたから(笑)
そして、こんなような体験を幾つかしているため、人間が作ったしきたりを鵜呑みにしたりしません。信心深くないとか、礼儀がなっていないとか、まぁあらゆることを注意されて生きてきましたが、自分は自分の体験を通じた考えを信じているからです。
「常識や礼儀作法って、いつ誰が考えたものですか?」そこを考えたこともなく、教わった常識や礼儀なるものを押し付けられても困るのです。
だからと言って、無法者ではありませんが(汗