からだと自然のしぜんな関係
去年の秋から年初まで、本当に本当に、雨が多かった。
お日様が出たのは、ほんの数日だったかと思い出す。
でも、この雨のおかげで、地下水面が上昇回復しているという。
これには、ホッとする。
近年、春から夏にかけて降雨量が極端に少なかったために、地下水はかなり枯渇していたのだ。
雨がたくさん降ったせいか、森の木の根元には、いつもよりもたくさんの落ち葉が積もっているように感じる。
雨に濡れて重くなった枯葉は、晩秋に吹く強い風にも、あまり飛び散らなかったのかもしれない。
こういう落ち葉が、じっくりと時間をかけて、やがては、豊かな腐葉土になるのだなと思いながら森を歩くと、ゆったりとした流れがわたしの中にうまれてくる。
そんな時、ちょうど読んでいた本に、こんな記述があって、目を見張った。
やっぱり。
そう思ったのは、お世話になっている自然療法士のお話がよみがえってきたから。
わたし達人間のからだはね、太古の昔と変わっていないのよ。
と。
◇
6年ほど前、わたしは、心とからだを崩した。
何もかもが怖くて不安で、夜は眠れなくなった。
理論立てて考えること、文章を書くこと、細かい作業などができなくなった。料理もできなかった。
まるで、人間を人間たらしめる精神・言語性、創造性といったものがなくなってしまったかのようだった。
腕や胴回りが、ピリピリしたり、ヒリヒリして、ますます不安になっていった。
そんな状態が、半年ほど続いた。
何とかしなければ、と生きる力が戻ってきたときに出会ったのが、前述の自然療法士の方だ。
正確には、クラニオセイクラル・セラピスト。
彼女は、わたしの頭部、首回りに施術して言った。
「首から肩にかけて、ものすごく硬いわ。
人間のからだはね、太古の昔と変わっていないのよ。
その昔、首が思うように回らないと、周囲から迫ってくる危険を察知しにくくかった。サッと振り向いて、状況判断ができないからよ。
だから、首が硬くて回らない状態だと、からだは、不安を感じてしまうの。
生命の危険を感じるといってもいいわ。
からだに大変なストレスがかかってしまう。
これは、現代でも同じこと。」
◇
大昔と変わっていないからだにとって、豊かな腐葉土の香りは、懐かしいものだろう。
その香りの刺激で分泌が促されるオキシトシンというホルモンは、
安らぎ
満足感
という感情をうみ出すというが、これは、昔の人々が、次のような体験をしてきたことに起因するのではないか。
木の実を採ったときには、森の落ち葉が朽ちていく匂いを嗅いだことだろう。時には、無意識だったかもしれないが、嗅覚はその匂いをとらえたはず。
食べられる植物をみつけたら、その根っこについた腐葉土にふれて、その匂いが鼻腔に届いたにちがいない。
食物を手にして、人々はよろこび、安心したことだろう。
生き延びることが約束されたのだから。
こうして、
腐葉土の香り
と
収穫時のよろこびの感情、安心感
は、強く紐づけられ、からだの深い所に刻み付けられたのではないか。
そんなことを思う。
人間のからだは、自然のなかにいるとき、
ここにいていいんだよ、と包み込まれるような
安らぎの原型とでもいうものを感じとっているのかもしれない。
自然には、人間をふくむ生き物に必要なものが、備えられているようにも感じられる。
だから、身近の小さな自然にふれて、からだに、太古の昔を感じとってもらいたい。
「わたし」が住まわせてもらっているからだを大事にすることは、
とりもなおさず、「わたし」を慈しむことだから。
Reiko
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