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からだと自然のしぜんな関係

去年の秋から年初まで、本当に本当に、雨が多かった。
お日様が出たのは、ほんの数日だったかと思い出す。

でも、この雨のおかげで、地下水面が上昇回復しているという。
これには、ホッとする。
近年、春から夏にかけて降雨量が極端に少なかったために、地下水はかなり枯渇していたのだ。

雨がたくさん降ったせいか、森の木の根元には、いつもよりもたくさんの落ち葉が積もっているように感じる。



雨に濡れて重くなった枯葉は、晩秋に吹く強い風にも、あまり飛び散らなかったのかもしれない。


こういう落ち葉が、じっくりと時間をかけて、やがては、豊かな腐葉土になるのだなと思いながら森を歩くと、ゆったりとした流れがわたしの中にうまれてくる。


そんな時、ちょうど読んでいた本に、こんな記述があって、目を見張った。

近年の研究で、腐葉土の匂いが人間に、ある生理作用をもたらすことがわかった。マザー・アースの香りを吸い込むと、オキシトシンというホルモンの分泌を刺激するのである。

『植物と叡知の守り人』 ロビン・ウォール・キマラー著


やっぱり。


そう思ったのは、お世話になっている自然療法士のお話がよみがえってきたから。

わたし達人間のからだはね、太古の昔と変わっていないのよ。

と。


6年ほど前、わたしは、心とからだを崩した。
何もかもが怖くて不安で、夜は眠れなくなった。

理論立てて考えること、文章を書くこと、細かい作業などができなくなった。料理もできなかった。

まるで、人間を人間たらしめる精神・言語性、創造性といったものがなくなってしまったかのようだった。

腕や胴回りが、ピリピリしたり、ヒリヒリして、ますます不安になっていった。

そんな状態が、半年ほど続いた。

何とかしなければ、と生きる力が戻ってきたときに出会ったのが、前述の自然療法士の方だ。
正確には、クラニオセイクラル・セラピスト。



彼女は、わたしの頭部、首回りに施術して言った。


「首から肩にかけて、ものすごく硬いわ。

人間のからだはね、太古の昔と変わっていないのよ。

その昔、首が思うように回らないと、周囲から迫ってくる危険を察知しにくくかった。サッと振り向いて、状況判断ができないからよ。

だから、首が硬くて回らない状態だと、からだは、不安を感じてしまうの。
生命の危険を感じるといってもいいわ。
からだに大変なストレスがかかってしまう。

これは、現代でも同じこと。」


大昔と変わっていないからだにとって、豊かな腐葉土の香りは、懐かしいものだろう。

その香りの刺激で分泌が促されるオキシトシンというホルモンは、

安らぎ
満足感

という感情をうみ出すというが、これは、昔の人々が、次のような体験をしてきたことに起因するのではないか。




木の実を採ったときには、森の落ち葉が朽ちていく匂いを嗅いだことだろう。時には、無意識だったかもしれないが、嗅覚はその匂いをとらえたはず。


食べられる植物をみつけたら、その根っこについた腐葉土にふれて、その匂いが鼻腔に届いたにちがいない。


食物を手にして、人々はよろこび、安心したことだろう。
生き延びることが約束されたのだから。


こうして、

腐葉土の香り

収穫時のよろこびの感情、安心感

は、強く紐づけられ、からだの深い所に刻み付けられたのではないか。

そんなことを思う。


人間のからだは、自然のなかにいるとき、

ここにいていいんだよ、と包み込まれるような

安らぎの原型とでもいうものを感じとっているのかもしれない。


自然には、人間をふくむ生き物に必要なものが、備えられているようにも感じられる。

だから、身近の小さな自然にふれて、からだに、太古の昔を感じとってもらいたい。

「わたし」が住まわせてもらっているからだを大事にすることは、
とりもなおさず、「わたし」を慈しむことだから。


Reiko






















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