Reiko

人が、心の傷を癒しながら、自分自身としっかりつながり、その人なりの個性を磨いていくプロ…

Reiko

人が、心の傷を癒しながら、自分自身としっかりつながり、その人なりの個性を磨いていくプロセスにとても惹かれます。自分の物語を作って生きていきたい ! そんな方々のお話にやさしさや勇気をいただいています。ドイツの田舎暮しを楽しんで、自然や色彩とのふれあいによろこびを感じています。

マガジン

  • 季節のなかで

    身近な自然のうつりかわりをつづります。

  • わたしの中の二人の小さな子どもたち

    自分であることが苦しくて、自分に向かい合ったころの心の旅日記のようなものです。

最近の記事

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わたしがどう感じるか、を感じる。

20数年前、アムステルダムでゴッホの絵を観たことがあった(はず)。 ゴッホの絵は、確かに自分の網膜に映ったはずなのだが、どんな絵だったのか、これっぽっちも覚えていない自分をみつけた。 つい最近、原田マハの著作『たゆたえども沈まず』を読んだ時のことだ。 今年の初め、隣町の美術館に表現主義の絵画を観に行った時、自分の目の向け方や感じ方が、それ以前と何か違うようにおもえた。 春になって、木々が芽吹くようになり、花が咲き始めて、またおもった。 春色の感じ方が、去年とは違う、と。

    • 春の気配

      季節が移り変わるときの雰囲気や気配が好きです。 からだ全体が受け皿のようになって、 空気感や風のやわらかさ、日の光、鳥のさえずり、なにかの匂い などを、その中に取り込んではじめて、気配という目に見えないものを、感じられるのではと思います。 この日は、夜中に降った雨も上がり、朝から 春の気配 が漂っていました。 スノードロップの花も、日の光の中でかすかに開き始めました。 数日前は、曇り日だったこともあり、花はまだ、しずかに下を向いていました。 白にもさまざまな

      • からだと自然のしぜんな関係

        去年の秋から年初まで、本当に本当に、雨が多かった。 お日様が出たのは、ほんの数日だったかと思い出す。 でも、この雨のおかげで、地下水面が上昇回復しているという。 これには、ホッとする。 近年、春から夏にかけて降雨量が極端に少なかったために、地下水はかなり枯渇していたのだ。 雨がたくさん降ったせいか、森の木の根元には、いつもよりもたくさんの落ち葉が積もっているように感じる。 雨に濡れて重くなった枯葉は、晩秋に吹く強い風にも、あまり飛び散らなかったのかもしれない。 こうい

        • 感受性という土壌を耕す

          レイチェル・カーソンという女性に出会ったのは、1980年代後半のこと。 『沈黙の春』 という衝撃的な報告書とでもいえる著書を通じての出会いでした。 それは、この本が1962年に出版されてから25年以上も経ってからのことでしたが、わたしは、農薬や殺虫剤の毒性、生態系への影響の仕方について系統立てて知り、震撼させられました。 と述べられているように、人間や動物、植物などなど、地球上のすべての命と環境のつながりを捉えた見方は、わたしの価値観を大きく変えるきっかけになったので

        • 固定された記事

        わたしがどう感じるか、を感じる。

        マガジン

        • 季節のなかで
          8本
        • わたしの中の二人の小さな子どもたち
          7本

        記事

          「青山 (せいざん)」はどこにある?

          暖かな10月の日々を日本で過ごし、半月ほど前ドイツに戻ると、すっかり晩秋になっていて、ちょっぴり戸惑いました。 でも、雨にぬれた落葉をふみしめながら、静まりかえった森を歩くと、 自分の心の奥へと入っていくような感覚がうまれてきて、しぜんと、こちらモードに着地できたようです。 秋の深まりは、紅や黄金に染まる葉の色にも、感じられます。 ドイツ中西部のこのあたりには、ゆるやかな丘陵があり、森はあちこちに残されていますが、 高い山や山脈は見られないので、実家付近で眺めた蒼い

          「青山 (せいざん)」はどこにある?

          空、 風、 におい

          穏やかで、日中は暑いくらいの日が続いたドイツの9月でしたが、下旬ごろから、朝晩とめっきり冷え込むようになり、そこここで、秋を感じられるようになりました。 そんな秋が届けてくれたものに微笑みかけたり。 雨の後、一晩で現れたキノコたちに出会い、なんだか愉快な気分になったり。 ちょっぴりにぎやかなキノコたち。 ひっそりと装いはじめる蔦にも出会い、 こんな秋らしい雲も。 そして、今、日本の空を見上げて、日本の風を感じています。 空気が、ほんとうにまるい。 水のかたちが、

          空、 風、 におい

          この駅が語ること

          時折、隣町のスーパーマーケットへ電車で買物に出かけます。 ここに行くと有機米が手に入るので、リュックサックをしょって、いざ! このスーパーは、ありがたいことに駅ホームの反対側にあるので、とても行きやすい。 それもそのはず、この建物は、戦前・戦中、駅として使われていたのです。 スーパー正面入口あたりの外壁は、当時の面影を残しています。 買物の帰り、電車を待っていると、ホームに立つオベリスク風の碑が、しぜんと目に入ってきます。 何度も見ている碑文ですが、待ち時間がある

          この駅が語ること

          古代にふれての想い

          先日、ケルンにあるローマ・ゲルマン博物館を夫と一緒に訪ねました。 ケルンは、英名ではColonge。 名前の所以は、この町が、約2000年前の昔、ローマ帝国の植民地・Colonyだったからだと。 博物館では、その時代の遺跡から発掘されたアクセサリー、ガラス容器などを中心に観てみました。 2000年という時の隔たりがあるにもかかわらず、当時の人々の美的感覚にとても親しみを感じました。 たとえば、こんな優雅なイヤリング。 小さな石やパールが耳元に揺れるなんて、なんて素敵

          古代にふれての想い

          シンクロを福にするには ~後編~

          前編では、わたし自身の体験を例にあげながら、 シンクロとは? に目を向けてみました。 後編では、 『危機・それは人生からの贈り物』 と題したワークショップに参加してからの流れをざっくりまとめながら、 シンクロが福につながっていくためには? について、わたしなりにまとめてみたいと思います。 ◇ ワークショップではそれが何とは言えなかったけれど、ほんわりとあたたかいものを感じた。 それは、いつもは無機質なカルチャースクールの教室から始まった。 机は全て部屋の

          シンクロを福にするには ~後編~

          シンクロを福にするには ~前編~

          シンクロニシティ(シンクロと略します。)という心の現象があり、共時性と訳されたりします。 ラッキーな偶然とも呼ばれたりしますが、シンクロが起こっている時点では、ラッキーなのかどうか、判からないことが多いのではないでしょうか。 では、 シンクロがどんな時に福になるのか それに先立ち、どんなことが起こっているのか について、考えてみたいと思います。 まず、 シンクロとは、いったい何なのでしょうか。 今この時に何が同時に起こっているか。 実際は、数えきれないほどの出来

          シンクロを福にするには ~前編~

          夏至を過ぎて

          夏至を過ぎてから、もう2週間ほどたちますが、 まだまだ日は長く、天気のよい日などは、 夜10時半をまわっても、薄明るい。 太陽は、西ではなく、ほとんど北に沈んでいきます。 そんな夏の日、久しぶりに少し遠くまで、 散歩に出かけました。 学校が夏休みのためか、 村の朝は、とても静かです。 デュッセル川の流れも、とてもしずか。 こんなところに、ラズベリーがあったの? 今まで気づかなかったところに、 ひっそりと実がなっていました。 透明な赤。 こちらは、野イチゴ。 あたた

          夏至を過ぎて

          つながり  ~ドイツ平和村を訪ねて ~

          今回の記事は、ドイツ国際平和村施設を訪ねたレポートのようなものです。 ドイツ平和村の活動のひとつに、子どもたちの治療援助というものがあります。 紛争地域や危機的状況にある地域で、ケガをしたり病気の子どもたちは、地元の医療機関で治療を受けられないことが多々あるため、そのような子どもたちをドイツ平和村で迎え、治療し、母国へ送り返すという援助活動です。 治療期間は、最短6カ月。長いと数年かかり、その間、子どもたちは、家族から離れて平和村で暮らします。 この平和村の治療援助に

          つながり  ~ドイツ平和村を訪ねて ~

          チョコレートの泉・最上段のお皿を満たすと・・・

          久しぶりにデュッセルドルフの旧市街に行く用事があり、ある店の前を通りかかった。 それは、チョコレート・プラリネの専門店で、ショーウインドーには、チョコレートの泉が、今も健在だった。 とろりと滑らかに流れるチョコレートを見ると、きまって思い出すことがある。 十数年も前のことになるが、心の勉強をしていたころ、 自己愛 自分を大切にする 自分にやさしくする とは といった文脈で、仲間の一人が、よく話していたことだ。 彼女は、朗らかに語ったものだった。 ほら、チョコレート

          チョコレートの泉・最上段のお皿を満たすと・・・

          春を告げる色たち

          春の陽射しにさそわれて、散策に出かけました。 今年の春は、少し離れたところまで来てから、そこで足踏みしている感じで、3月は雨、曇、みぞれと寒い日が続きました。 なので、ほんの少しでも日が差すと、その明るさが、ほんとうにうれしくて。 そんな4月初めの日のことです。 川沿いの道を歩きはじめると、黄緑色の新芽がこぼれるように開き始めていました。マロニエ(セイヨウトチノキ)の葉っぱです。 滑らかな流れを目にしながら歩いていくと、苔むした階段を見つけました。こんな階段を昇って

          春を告げる色たち

          やっぱり知りたい。そのむこうにある何かを。

          去年の秋ごろから、わたしの中には、ある流れがあるようです。 それは、 加齢すること 老いること どんなおばあちゃんになっていくのか、いきたいのかに、 心の目が向いていること。 やはり、アラ還という年齢のなすゆえか。。。 感じやすい年ごろなんです。 そんなこともあって、最近特に、心していることがあります。 してみたいな、したいな ということを 今、できるように 実行にうつす ということ。 前置きが長くなりましたが、そんな気持ちが、3月初めに、わたしをミュンヘンへ

          やっぱり知りたい。そのむこうにある何かを。

          つなぐ、つなぎたい、つながる

          わたしの住む近くにデュッセルドルフという町があります。そこには、日本企業も多く誘致されているため、ヨーロッパでも最大の日本人コミュニティができています。 なので、日本人学校も設立されています。 先日、その日本人学校の5年生生徒さんたちが、学校近くにある24時間型介護施設を3年ぶりに訪問し、高齢者の方々と交流する機会がありました。 わたしも、そこでお手伝いさせていただきました。 生徒さんたちは、「つなぎたい」(別称「つなぎ隊」)と呼ばれていて、ここに来る前、数か月にわた

          つなぐ、つなぎたい、つながる