チョコレートの泉・最上段のお皿を満たすと・・・
久しぶりにデュッセルドルフの旧市街に行く用事があり、ある店の前を通りかかった。
それは、チョコレート・プラリネの専門店で、ショーウインドーには、チョコレートの泉が、今も健在だった。
とろりと滑らかに流れるチョコレートを見ると、きまって思い出すことがある。
十数年も前のことになるが、心の勉強をしていたころ、
自己愛
自分を大切にする
自分にやさしくする
とは
といった文脈で、仲間の一人が、よく話していたことだ。
彼女は、朗らかに語ったものだった。
ほら、チョコレートの泉ってあるでしょう。
あの最上段の皿は、わたしなのよ。
わたし自身がね、自分を大切にして、
やさしさに満ちていたら、
そのあったかい気持ちは、
わたしからあふれ出てまわりへと
伝わっていくんだよ。
わたしが満たされるのが一番先。
チョコレートの泉の最上段のお皿のようにね。
と。
自分に向き合うまでのわたしは、自分を慈しむとか、やさしくするとかいうことを意識したことすらなかった。
自分にどう接するか、どのように寄り添っていくか。
それはまず、ことばに現れると思うが、その昔のわたしは、とにかく、ビシバシと厳しいことばで自分をコントロールしていた。
だから「こうしたい」というほんとうの気もちは、すくい上げられることはまれで、たいていは、指の間からこぼれおちて、心の奥深いところで固まっていった。
心の勉強では、どんな時にも、さまざまな選択肢があるという視点を学び、わたしは、自分に対して、
よくやったね、という労いのことばや
こういうこともあるよ、と失敗した自分を包み込むことば
大丈夫、と勇気づけることば
などをかけられるようになっていった。
心の底に沈んで硬くなっていたものが、少しずつ、ゆっくりとしずかに解けはじめ、やわらかくなっていった。
◇
つい最近のことになるが、日本に住む友人が、
江本勝氏の著書『水からの伝言』
について、その内容をシェアしてくれた。
胸が熱くなった。
ネットでもこれに関する情報を探してみた。
水にどんなことばをかけるかによって、その結晶がはげしく崩れたり、美しく整ったりするのだ。
どうやら、『水からの伝言』には、反論や、噓だという批判もあるようだが、わたしのなかの声は、しっかりとした口調で、
命を生かすことばをかけていこう
と語りかけてくるのだ。
自分に向かって発することばも、他の人にかけることばも、命を支えていくものであってほしい。
かつて、わたしの心の中にひそんでいた硬い塊も、やさしく温かいことばにふれて、やわらかくなっていったのだから。
わたしの心が穏やかになるにつれて、まわりの人に対しても、それまでとは違う、やさしい接し方がうまれてきたのだから。
命を大切にすることばがあったからこそ、わたしの心は癒されていったのだ。
まだまだ道は続くけれど、やさしさや温かさが、チョコレートのごとく、
とろ~りと流れ出していくように、最上段のお皿を満たしていきたい。
◇
長文になりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
Reiko
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