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シンクロを福にするには ~後編~

前編では、わたし自身の体験を例にあげながら、

シンクロとは?

に目を向けてみました。


後編では、

『危機・それは人生からの贈り物』

と題したワークショップに参加してからの流れをざっくりまとめながら、


シンクロが福につながっていくためには?


について、わたしなりにまとめてみたいと思います。


ワークショップではそれが何とは言えなかったけれど、ほんわりとあたたかいものを感じた。


それは、いつもは無機質なカルチャースクールの教室から始まった。

机は全て部屋の隅に寄せられ、中央には椅子が輪になって置かれていた。


輪の中心には、チューリップがいけられた花瓶が置かれ、その横では、ろうそくの灯が揺れていて、

ああ、なんだか別世界にきたみたい

という印象を受けた。



講師・統合心理学セラピストのアストリッドからは、ワークショップの間ずっと、参加者みんなを包み込むようなやわらかさが伝わってきた。


ピリッとしたなにかを秘めているようにも感じられた。


帰りがけにアストリッドのパンフレットをいただいた。

ワークショップの余韻は心地よかったのに、なぜかわたしは、こわごわとそれを持ち帰った。



3月末、会社が閉鎖し、わたしは失業手当を受けた。

4ヶ月後、新しい職場が決まった。


今度は、もっと自分の時間をもてるよう、その時間で何かを始められるようにと考え、半日の仕事を選んだ。

にもかかわらず、わたしの中の満たされないものは、以前にもまして、大きくなっていった。


たしかに、外の条件は、変わったかもしれない。
でも、わたし自身は、それ以前と変わっていなかったからだ。

満たされないだけでなく、閉所恐怖症に苦しまされるシーンが頻繁に出てきて、

なんとかしないと。。。


と、切羽詰まったものもわたしの中に湧き上がってきた。


そこで思い出したのが、ワークショップの帰り際にいただいてきたパンフレットのことだ。


逡巡したが、やっとのことで、アストリッドに連絡することに。


あの頃はとにかく、閉所恐怖症という都合の悪い症状を切り取って、投げ捨ててしまいたかった。


でも、自分に向かい始めてから
心の中に、

亀裂や、傷、痛み、
怒りも

あると分かってきた。



次第に、

閉所恐怖症も、わたしの一部

心がその症状を通して、わたしに何かを訴えているんだ

そう感じられるようになってきた。


心のことをもっと知りたいという願いがつよくなり、アストリッドの恩師のもとで、わたしも心の勉強をすることになった。


利益至上主義の職場とは違い、そこには、感情や感性、それぞれの運命や生き様といった「不思議」があふれていた。


心の中に泉が湧き出てくるようだった。

こうして、自分のことを知るようになり、
やっと、やっと、自分自身との距離が縮まっていった。



これまでの人生を振り返えると、今が一番、自分と仲がよいと感じられて、わたしであることが楽なのです。

今のようなわたしに変わるきっかけとなったのは、今では、あの時の解雇通知が引き起こした危機だったのでは、と思えてきます。

長年、慣れ親しんだコンフォートゾーンから投げ出されたからゆえ、抑えつけていた心の痛みが噴き出してきて、自身の心の困窮状態に気づくことにつながったから。


そう考えると、あの時のシンクロも福になったと言えそうかと。
長い月日がかかったけれど。。。


シンクロが福になっていくには、

いえ、福にするためには、

次のことが求められるのではと感じています。


シンクロが起こっていることをすくい上げる。
外界に起きている「この出来事!」と心の内との共通点や意味をみつける。
この時、本能的な勘はとても頼りになる。
 
共通点には、無意識の領域からそっと意識にのぼってこようとする欲求・ニーズが隠されていることが多い。
人生が、自分に出している宿題といってもよいかもしれない。

(わたしの場合は、失業の危機・その頃の満たされない自分の心情
とワークショップの題目)



その状況から逃げないで自分の課題を読みとり、自分と対峙する。
なにか違うことで辛さなどを紛らわせたりせず、ごまかさず、自分に向かい合う。深刻にならず、真剣に。
たくさんある道筋・方法から、自分に合ったものを選び、時には腕まくりをしたり、ある時には、しずかに自分の中に降りてゆきながら、その時々の課題に取りくむ。

(わたしの場合は、空虚なものが内にありながら、それに向かい合っていなかった。解雇通知で目が覚めて、心理セラピーというルートをとりながら、それまでの自分の在り方を見つめなおし、古いものから自分を解放することにつながっていった。)



危機が人生からの贈り物となるのも、このようなプロセスを乗りこえた時


なのでは、と今は思えるのです。




長文になりましたが、最後までお読みくださり、ありがとうございました。


Reiko

































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