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姉の命の危機を前にして思ったこと

お久しぶりの奥敬子です。

元旦に起きた地震で被災された皆様、お見舞い申し上げます。
1日も早く日常が取り戻せることを願っています。

私の近況といえば、11月の終わりに姉が呼吸不全で倒れてしまい、緊急入院しました。

お風呂から上がった姉が苦しそうにしていて「息ができない・・・」と言ってうずくまり、すぐに救急病院へ。

酸素濃度88。

それをみた看護師さん、慌てて姉を車椅子に乗せすぐに連れて行かれました。

そこから数時間。

救急の待合室でスマホの充電が切れそうになり、何もできないままぼーっと過ごして夜中の3時。

医師に呼ばれて個室に行くと、
「お姉さんは今息が吐けない状態で、二酸化炭素が血中に溜まりすぎています。
マスクタイプの人工呼吸器で今呼吸を助けていますが、なかなか二酸化炭素の数値が下がりません。
普通なら意識を失って自発呼吸をやめてもおかしくない数値で運ばれてきたので、予断を許さないのですが・・・

「え?なんて?え?」
血の気がさーっと引いていく。

続けて医師。
「そこで相談なのですが。
もし今の処置で追いつかない場合、口から管を入れて人工的に呼吸をさせる段階に入ります。
それでもダメなら、喉のところに穴を開けて、呼吸させるような処置になります。
お姉さん53歳ですか・・・
まだお若いですが・・・
どうされますか?処置を希望されますか?」

「は?え、ちょっとあの・・・
状況が理解できないんですけども・・・
命が危ないということなんでしょうか?」

医師
「今後の数値の回復次第なので何とも言えないのですが・・・
最悪の場合、そのような流れになると思います」

「希望しないとどうなるんですか?」

医師
「自然に呼吸が停止することになります」

言い回しははっきり覚えてないので、うろ覚えなのだけど、ざっとこんな会話をした。

え?よっちゃん、死ぬの?
嘘でしょ。
まだそんな覚悟できてない。
無理無理無理無理。

私の頭の中が「無理」の二文字ていっぱいになる。

無理すぎて、何も考えられず
「とりあえず処置を続ける方向でお願いします」
とだけ伝えた。

よっちゃんは15年ほど前に肺結核を患い、肺が半分機能していない。
今回このようになった原因はわからないということだった。
加齢によって呼吸機能が落ちてきたところに風邪を引いたのが原因ではないか?くらいの感じ。
何じゃそれ。

コロナでもないし肺炎にもなっていない。
でも、命の危機。
頭がついていかなかった。

母は自宅で犬と留守番してもらっていた。
(今はコロナ対策で一人しか付き添えない)

母になんて伝えよう・・・
いやそのまま伝えるだけなのだけど・・・
しんど!あーしんど!

多分、立って聞いていたら腰が抜けてたかもと思うほどショックだった。

で、面会できることになった。

マスク型の人工呼吸器に繋がれたよっちゃん。
走った後ぐらいの早いペースで呼吸を無理やりさせられている。
見てるだけで地獄。
こりゃ苦しい・・・

強く空気を送り込まれるたびにほっぺがトランペット奏者のようにブゥー!!っと膨らむよっちゃん。
そんな辛い状況でもよっちゃんは何だか可愛い面白くて、吹き出しそうになってしまった。
ごめんなさい。

よっちゃんははっきり意識があって、「大丈夫か?」と声をかけると「大丈夫!!」と力強く言った。
ちょっとホッとした。

とにかく会えてホッとした私は待合室に戻り、また呼ばれるのを待った。
ひと段落ついたのが朝の8時だった。

家に帰り、母にそのまま報告。
滅多に涙を見せない母も泣いていた。

この夜はもう本当にしんどかったのだけど、おかげさまでそこから2週間の入院生活を経て退院。

(入院中、よっちゃんからのLINE攻撃に遭い私が病みそうになったが)

以前ほどはアクティブに動けなくなったし、寝る時にはマスクの補助が必要になってしまっているけど、日常生活が送れるほどになりました。

穏やかな日常はある日突然変わってしまう。

姉とは年をとっても仲良くやっていけるだろうと思っていたけど、二人で生きていられるのはいつまでかわからない。

案外、私の方が先ってことだってある。

それを心配して過ごすのではなく、だからこそ毎日を大切に生きていこうという当たり前なことを心から思ったのでした。

毎年、阪神淡路大震災の起こった1月は、被災して日常がなくなってしまった日々を思い出し、初心にかえるのだけど、年末から年明けのこの流れの中で今年はより一層、「今ここを生きること以上のことは何もない」ということが沁みています。


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