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統合失調症の姉に必要な心の盾

ある日、図書館にふらりと寄った時に「狂気」というキーワードで本を探してみたら「創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで」という本に出会った。

そのまま図書館で第一章を読み切り「おもろい!」となって、そのまま借りて帰った。

狂気と創造の関わりもその解釈も時代を追って変わっていく西洋思想史。

章の始まりでは必ず前章では何が語られたかを最初にまとめておさらいしてくれてるので、理解力凡人の私でも頭が整理されながら進んでいくというありがたい構成。

例えば、
デカルトは「狂気に御札を貼る哲学」
カントは「狂気を結界で隔離する哲学」
ヘーゲルは「狂気を乗り越える哲学」
みたいな感じで、どうやって哲学者たちが狂気を取り扱ってきたかが、すごくわかりやすくまとめられている。

そして哲学者ヘーゲルの親友で詩人のヘルダーリンの話が出てくる。

ヘルダーリンは今でいう統合失調症だ。

世間に馴染めない現実と自分の中にある崇高な理想との間にある大きな乖離と生活費の問題を抱え、精神的に危機状況にあったヘルダーリンを支えてくれていたのは親友のヘーゲルだったのだとか。

ヘルダーリンは一人だけでは精神の深刻な危機に落ち込んでしまうのですが、理性的なヘーゲルを「盾」とすることによって、その危機から守られること(発病を回避すること)が可能になっていたようなのです。のちにラカンは、精神病の発病を回避させる想像的パートナーを「想像的杖」と呼びましたが、まさにヘルダーリンにとってのヘーゲルはそのような存在だったのです。

松本卓也著 創造と狂気の歴史より

これを読んで妙に納得したところがあった。

私と姉の関係も少なからずこういうところが小さい頃からあったような気がしたからだ。

姉は、私の真似をして混乱を乗り越えてきたところがあったと思う。

実はこないだもそういうことがあった。

家に母の友人が訪ねてきて、私たち姉妹は数十年ぶりの再会をした。

見送る時、姉は私の言葉を後からこだまのように追いかけて話していた。

私「遠いところからわざわざありがとうございました」
姉「遠いところから・・・わざわざ・・・」

私「気をつけて帰ってくださいね」
姉「気をつけて・・・かえって・・・」

何ともかわいい。

そういう小さな真似。

きっと数十年ぶりに会った母の友人に対して何を言えばいいのか分からないところで、私が盾となったのではないかと思った。

一緒に出かける時にも小さな真似はいろんなところで見られる。

日常のルーティンも姉にとっては秩序を守る盾のようなものかなと思うし、イレギュラーな状況に関しては私が時に役に立つ。

特別に姉のために何かしてあげなくても、そこにいるだけで姉の支えになっているんだなということを実感するきっかけになった。

そして私自身の性格が理性強めなことにもすごく納得がいった。

混乱している人にとって理性は支えなのだ。

自分がわからなくてもすべてはちゃんとなるようになっている、と思えると私はホッとする。

今回もそんな気づきのきっかけになった。

きっと誰もがありのままの自分で誰かの支えになっている。

なかなか目には見えないけれど。

「創造と狂気の歴史」は西洋思想史の本なので、難しいといえば難しいのだけど、とても読みやすいので私はお勧めしたい。

当事者の家族として狂気を理解することは自分の支えになると思っている。

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