吹石徳一改

プロ野球スーパースター烈伝③吹石徳一

今回は、俊足と堅守を持ち味に、内野の全ポジションをこなせるユーティリティプレイヤーとして鳴らした吹石徳一選手をご紹介します。

近鉄時代の一軍公式戦では、レギュラーの内野手にアクシデントがあった場合に登場するなど、主に守備要員として起用されています。1978年に、当時の正遊撃手・石渡茂選手のバックアップ要員として一軍に定着してからは、1980年の広島東洋カープとの日本シリーズ第2戦で逆転の3ラン本塁打を放つなど、通算で21打数8安打4打点という好成績を残しています。

また、あの「10・19」では正三塁手・金村義明選手に代わって2試合とも三塁手としてスタメンで出場し、第2試合の7回表には、一時勝ち越しとなる2号本塁打を放つなどの活躍を見せています。

このように繋ぎとしての出番が主であったが実働13シーズンで1,000以上の試合に出場し、1981年には規定打席に達しています。また、打撃も3シーズンで2桁本塁打を記録してもいます。

名字をみておわかりのとおり、娘さんは女優の吹石一恵さんです。現役引退後の1999年11月21日に大阪ドームで催された近鉄対読売ジャイアンツのOB戦で、始球式に一恵さんが、お父さんの現役時代の背番号「25」のユニフォーム姿で登場したことから、ナインの計らいで捕手を務めています。

古参の近鉄ファンとしては、吹石という名字は一恵さんというより、背番号25のお父さんが先に浮かんできます。言い方は悪いですが、どれだけ芸能人として有名になっても、私にとって吹石一恵とは「吹石徳一の娘さん」なんですね。

吹石徳一改


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両親2人の介護を一人でやってます。プロレスブログ「せかぷろ」&YouTube「チャンネルせかぷろ」主宰。現在ステージ2の悪性リンパ腫と格闘中。