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言いたいことを、飲み込まない。

朝から雨が降っていた。

午前中に苦手な歯医者の予約がある。
歯医者はあまり好きじゃない。

そんな時に雨。

心の中でブツブツがおきる。
「あ〜、雨かあ。雨の中歯医者か...駅まで15分...
行きたくないなあ...でも行かなきゃなあ」

あ、また始まった。
「〜したくない(したい)けど、〜しなきゃ」。
あなたも、繰り返してませんか?このことば。

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「学校行きたくないけど、行かなくちゃ」
「算数嫌いだけど、宿題やらなきゃ」
「お酒は飲みたくないけど、飲み会には顔出さなきゃ」
「もう帰りたいけど、残業しなきゃ」
「反論したいけど、こらえなきゃ」

.... そしてたいてい「しなきゃ」のほうを選んできたなあ。
「しなきゃ」を選んだ方が、いい結果に繋がる気がしていたからだ。

ただ、今となってみると
1つ大事なことを見落としていたことがわかる。
「〜したくない」という自分の望みと
その気持ちと一緒にある「感情」を汲み取ってあげることだ。

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学校に行きたくない。
算数嫌い。
お酒は飲みたくない。
もう帰りたい。
反論したい。

でも「しなきゃ」の声に従っているうちに、
そこにあった不満や、怒りや、悲しみを全く無視してしまっていた。

そうやって「〜しなきゃ」を選んでいるうちに
「〜したい」をどんどん見失ってしまう。

たとえその望みが
みっともなくても、大人げなくても、
常識外れでも、わがままでも、人に迷惑をかけることであっても
望みの存在を認めてあげることは、大切だ。

なぜなら「望み」は、
自分を自由で在り方に戻そうとする自然な心の動き
だからだ。

望みの存在を認めた瞬間に
「〜したくない(したい)」と「〜しなきゃ」は、対等になる。
「〜したくない(したい)」も「〜しなきゃ」も
ただの選択肢で、選ぶ自由が自分にあることが自ずからわかる。

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言いたいことを飲み込まない。
自分の望みを飲み込まない。

それは、あなたを自由にしてくれる。

だから、どんな小さなことでいい、
自分の望みをちゃんとキャッチしてあげよう。
望みがわからないときは、
せめて「いやだ」を認めてあげるだけで十分。

それは自分を幸せにするための、
自分とのコミュニケーションのスタート地点。
やがては、自分や他者を幸せにするための
コミュニケーションへとつながってゆくだろうから。

今日の一言

「いやだ」は、自然な自分に戻ろうとする自然発生的な声。

P.S.
あ、雨の中、歯医者には行きましたよ。
「行きたくないぞ〜!」「行かなくていいぞ〜!」と吠えたら
スッキリしたのでね。


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