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罪を憎んで、人も憎んでしまうのは

春のとある日、とある牡丹苑でのこと。
外国のご婦人が花壇に腰掛け、牡丹をバックに交代で友達と記念撮影をしていた。
1つの牡丹でパシャリ。先に進んで別の牡丹でパシャリ。

「それ、まずいんじゃない?」と気になった。

手入れの係員がトランシーバーで他の係員に
「腰掛けるお客様がいらっしゃいます」と注意を促している。
そうか、やっぱりまずいんだよね。

この石の部分ね

写真を撮り終えたお一人が、ちょうど私の方に近づいてきたので
思い切って伝えてみた。

「そこ(石段を指差す)、すわっちゃだめです。(首を横に振りながら)」

ご婦人は「え、ダメ?」と驚いた様子。
知らなかったらしい。

-- 🌷--

以前の私だったら、伝える勇気を持つこともなく
「マナー違反な人たち!」と心の中で相手を批判しながら、
横目で見ていただけだっただろう。

でも今回は伝える気になった。
それは、彼女たちを「悪い」と思わなかったからだ。

もうちょっと丁寧にいうと
「花壇に腰かけるのはマナー違反だけれど、彼女たちは悪い人ではない」
と思ったからだ。

ダメなことする自分を許せない

「マナー違反」とは、どちらかといえばネガティブな批判の言葉だ。
「あの人たちは、マナー違反な人たち」
「花壇に腰かけるのはマナー違反」
この2つの批判は、全く違う。
一方は「人格批判」で、もう一方は「行為への批判」だからだ。

わたしはこの「人格批判」と「行為への批判」の区別が苦手だった。
「やったこと(行為)」への注意や批判、忠告などを受けただけで
めちゃくちゃ凹んでいた。

例えば、
「遅刻はダメだよ。」と
「遅刻した」ことに関して批判されただけなのに、
「人に迷惑をかけたダメな私…」と自己否定に陥ってしまう、といった具合だ。

簡単に言えば、
「ダメなことをする私は、ダメな人間」と思い込んでいた。

それは、自己肯定感が極端に低かったこともあるし、
「やってることへの批判」と「人格批判」をごちゃまぜにして
批判されてきたことが多くて、区別の仕方がわからなかった、ということもある。

自分がされて嫌だったことを、他人に対してするのは好まない。
だから、他者への批判や忠告も苦手だった。

でも、
「私はダメなことをするけれど、まあしょうがないよね」とか
「私はダメなことするけど、まあいいところもあるよね」
と、ダメなことをする自分を許せるようになったら
だんだんと
「やっていることへの批判」を「人格批判」として受け取らないようになった。
批判されても、凹み度合いがだいぶ減ってきた。

批判の受け取り方が変わると、伝え方も変わる。

「やっていること」を論点にしているんだよ、ということを
相手にもわかるような言い方で伝える。
批判の論点は「やっていること」なのだから
自ずと
相手の人格否定につながるような言葉遣いや態度にはならなくなる。

罪を憎んで、人を憎まず とは

「罪を憎んで、人を憎まず」ということばがある。

「憎む」という強い言い方だけれど、要は
「その人のやったことに対してはダメだししても
その人の人格を否定することはせず、尊重しなさい」

ということだ。

こんな言葉があるくらいなのだ。
私たちは
「やったことにダメ出しした上に、人格を否定する」
ということをやりがちなのだと思う。

たとえば、今の話で極端な例をだすと
「花壇に座るなんて、外国人ってみんなマナー違反よね」
なんて言い方になったら、明らかに「人格批判」になる。

花壇に座るのはよくないけれど、
その人が、ましてや「外国人」がみんなマナー違反でダメなわけではない。

でも私たちは、気づかないうちに、そんなふうに思ったり、発言しがちだ。
悪意なくやってることもある。
他人に対してだけではない。
自分自身に対しても、気づかないうちにやりがちだ。
(凹んでいる時はほぼ間違いなくやっている!)

それは、しんどいことだと思う。

自分の「行為」と「人格」を分ける。
「ダメだし」された行為をした自分自身を赦していく。
それは自分の中に愛を増やすことであり、
自ずから他者への愛と赦しも増やしていくことにつながる。

そして、怖気付くことなく、尊大になることもなく
相手を尊重しながら
率直に自分の大切に思っている気持ちを伝えられるようになる。
風通しの良いコミュニケーションになる。

-- 🌷--

その後、別の牡丹の前で、またその外国のご婦人と居合わせた。
フィリピンからいらしていて、牡丹が大好きで
何度となく牡丹苑には来ていたのだそう。

そうか、何度も来ていたのに
花壇に腰かけてはいけない、って知らなかったんだな…。
確かに、「腰掛けるな」って注意書きはどこにもなかった。
花壇に腰かけられず、牡丹と一緒の写真を撮れなくて、残念だったことだろう。


牡丹苑の出口にアンケートがあった。
「牡丹と一緒に記念写真を撮れるよう撮影スポットを作るのはどうでしょうか?」
と提案してみた。
牡丹苑の職員の方々も、来場する人たちも、心地いい時間が作れることを願って。

今日の一言

凹みがちな時は
したこと、 と じぶん を ごっちゃにしているかもしれない。
したことへのダメ出し、は あなたへのダメ出しではない。
あなたの「したこと」は、あなたの一部にしか過ぎないよ。

今日も読んでくださってありがとうございます。
自分にやさしくお過ごしください。


◾️「行為への批判」と「人格への批判」を分けられなかった頃のお話もどうぞ

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