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物語詩としての告白、余白の残し方

こちらは、石川葉さんの作品「未草独白」に対する批評noteになります。

作品を読んで、感じたことを精一杯を書かせていただきます。

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まず、拝読した時に、これは小説であり「物語詩(ものがたりうた)」であると感じました。全体に漂うエピックポエトリー的な雰囲気、私はとても好きです。

そしてこれは、主人公の「わたし」の長い告白であるとも受け取れました。何に関するどんな告白か。その部分を読者に投げかけているのでしょうか。まさにそれが物語の持つ余韻、余白です。

夢の中を漂っていたような心地から、震災のくだりで一気に痛みを伴う現実に引き戻される。頬を打たれたような衝撃を受けました。

これだけ空気感がある作品なので、敢えて言えば、もっと「余白」があると良かったなぁ、と思いました。

これは創作論に入るのかもしれないですが、伏線は必ずしも回収しなければならないものではないですし、謎は全て解決すればいいということでもないと私は考えています。謎は謎のまま、読者の想像・創造に任せたほうがいい場合もあるのかな、と。皆さんはどう思いますか。

後半になって描かれる(震災以降の)世界から少し説明文のような印象を受けたのは、物語の余白が少なくなったからかもしれないです。あくまで私個人の意見、好みですが。

情景を書き込むことと、余白を残すことはバランスが難しいですね。私自身、ここにこう書いているとはいえ、そのバランスはまだまだ取れていません。

また、この作品の持つ独特の雰囲気は、読み手を選ぶ、または独善的に受け取られることもあるとは思いますが、それはそれでいいと思うのです。万人ウケとは、誰の心にも響いていないのと変わらないと思うからです。

一つ一つの言葉選び、つむぎ方、流れの作り方、素晴らしいと思いました。美しい映画の上映会に行った気分です。

もう一度この作品を読んで、しばしまた余韻に浸りたいと思います。

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