【コメント返し】戦いと性的魅力 ~強い男はモテるのか?~

はじめに

普段は記事にコメントが来ることは多くないのですが、先日公開した「戦いと性的魅力 ~強い男はモテるのか?~」という記事に興味深いコメントをいただきました。普通に返信しようと思ったのですがそこそこ長いと投稿できないらしい・・・ということで、今回はコメント返しのコーナーを用意してみました。

※元の記事はこちら



男は戦いを好み、女は戦う男を好む


「男は戦いを好み、女は戦う男を好む」という話がありますが、まさにそれですね。

獨行劍人・葦名劍十郞 さんより

まずはこちらのコメントから。

恥ずかしながらこの言葉は知りませんでしたが、まさにその通りでしょうね。現代社会では戦争は悪しき人類の業として扱われていますが、様々なフィクションや遊びなどを見る限り、男性はなんだかんだ戦いが好きな部分はあると思います(具体例を出すと怒られるかもしれないですが)。そして、今回noteで扱ったように、女性は戦う男、もっと言えば「戦いで勝てる男」を好みます。

ただ、記事内でも扱ったのですが、「男は戦いを好み、女は戦う男を好む」というのは、実は「女は戦う男を好み、それゆえに男は戦いを好む」という因果関係であるとも考えられます。人類進化の歴史において、戦いに強い男性は女性から好まれるということを踏まえれば、好戦的で強い男性は子孫を残す上では有利だったでしょう。その結果、男性は女性よりも戦いに積極的になった・・・ということです。最も、女性が戦いに強い男性を好むのは、男性が戦うから(ライバルを制した男性が優先的に接近してくるから)とも言えますが、そのあたりは元記事をまた読み返していただければと思います。


「強さ」とは状況や社会に依存する?

記事の説明の通りといえばそうなんですが、、、もう少し包括的な捉え方があると思います。何故性別が二つになるのか?(極端な方が生存に有利のため、攻撃特化と守り特化で二つになった)を考えれば、小さい精子を多数!の多方面戦略の雄と、栄養たっぷり卵子でえり好みした精子の子を育てる!の一発必中戦略の雌という構図になるわけです。

本記事では、”肉体的”戦いにフォーカスしていましたが、様々な要因を加味して、各女性にとって、魅力的(生存に有利)という”戦いに向いている”相手を選んでいるだけです。それは記事の通り、戦い=肉体的魅力もあります(かなり一般的で大きい指標でしょうね)。ただ、精神的魅力や経済的魅力、技術やカリスマ?的魅力等、様々あります。
その時代の社会や情勢によって、”生存に有利=生存に向いている強さの雄”を選ぶという構図は基本変わりないと思います。(女性の年代によって、モテの基準が変わる走るのが早い子が格好いいの小学生から、お金がある方が格好いいの社会人にかわっていくのも同様です)モテが肉体的強さや戦いのときもあるでしょう。しかし、戦い云々というよりも、所属する社会や集団において、より強い(様々な意味で)の、個体が選ばれる。超ヒエラルキー社会、超ヒエラルキー競争であるというだけなのが本質だと思います。

なので、肉体的魅力とか、肉体的に戦う男が凄い!みたいな理解だと、誤解がうまれそうなので書きました。マッチョでなくても、あなたが生きているその社会において、生存に有利と思わせられる”強さ”があれば、それで良いと思います。逆に、そういうマッチョな人は、横柄横暴とか、家事育児に協力的ではないではないだろうか?という懸念のマイナスイメージを発信することもあります。

話が散漫になりましたが、”強さ”とは状況や社会やそれぞれに依存すると言いたかった次第です。

kito_yurianusu さんより


とても熱意のこもったコメントを頂戴しましたが、どうも長すぎて1コメントに収まらなかったようで、2コメントに分けて投稿いただきました(今回は引用の都合上まとめて掲載しています)。ここまでのコメントをいただいたことやコメントの内容から考えるに、今回僕が「身体的な戦い」にフォーカスを当てて論じたことが少し不服だったようです。

さて、ご指摘の内容を一言でまとめるなら、最後に書かれているように「強さとは状況や社会に依存する」ということでしょう。従って、身体的に強いこと、マッチョであることが必ずしも重要というわけではないだろう、と。

実は、強さとは状況や社会に依存するというのは的外れというわけではありません。世界には様々な社会があり、また歴史をたどってみても社会は多様です。そうした中では、男性の地位を決定づける要因も様々なものがあるでしょう。好戦的な社会では戦いに強い男性が高い地位を確立するかもしれませんが、狩猟を生業とする社会では狩りがうまい男性が高い地位を手に入れると考えられます。農業社会では肥沃な土地を保有することが重要かもしれません。また、例えばある地域において地位の高さを示す装飾品が、別の地域では全く価値がない、といったこともあるわけです。とは言え、地位の高さを示す特徴は社会によって異なるとしても、地位の高い男性が子孫を残す上で有利なのは変わらないようです(実際、そうしたことを示唆する研究もあります)。

そう考えると、重要なのは「地位の高さ」であるが、何が地位の高さを決定づけるのかは社会や時代などの状況に左右されるので、身体的な戦いにおける「強さ」が絶対的な指標ではない・・・というのは、確かにおっしゃる通りです。戦いの強さというのは一つの側面に過ぎない、お前は視野が狭い、と。

しかしながらその一方で、現代の先進国においても「身体的強さ(=マッチョさ)」を有する男性は女性にとって性的魅力があることが様々な研究で分かっています。今回のnoteでも述べたように、男性の筋肉は戦いの歴史の中で進化した特徴なのですが、言い換えると男性の筋肉は男性が身体的な戦いを頻繁に繰り広げていた時代の名残なわけです。科学技術が進んだ現代先進国では必ずしも身体的強さが決定的な優位性を持つわけではありませんし、どちらかと言えばパソコンの前に座ってAWSを動かす方が地位の向上には有効でしょう。もちろん、そういった「資本主義的な強さ」を有する男性も女性からは人気があります。しかし、それでもなお、女性がマッチョに惹かれるのはなぜなのでしょうか?健康的だから?いや、先進国は医療が発達しているのでマッチョでなくともよいでしょうし、そもそもマッチョはそこまで健康的ではないです。努力しているから?筋肉はそこそこ遺伝性が高い特徴です。なにより、マッチョな男性ほど怒りっぽく攻撃的であることを踏まえれば、マッチョは長期的なパートナーシップを結ぶ上では必ずしも望ましいパートナーとは言えないかもしれません。にもかかわらず、マッチョは現代先進国においてもモテるわけです。

思うに、マッチョのような強さは、比較的汎用性が高いのだと思います。AWSを触る技術者はニャンガトム族ではモテないかも知れませんが、マッチョは伝統的な民族でも先進国でもモテます。これは、戦いの強さというのが様々な社会や時代において重要だったからではないでしょうか。現代先進国ではAWSの方が重要かも知れませんが、そんな社会でも進化の歴史の中では戦いを経験しており、勝者が多くの子孫を残した。その中で培われた心理が、現代でも残っているというわけです。

もちろん、必ずしもマッチョでなければモテないというわけではありません。ご指摘の通り、状況によって様々な「強さ」の指標があり、マッチョでなくともそれを有している男性はモテるでしょう。一方で、身体的な強さはより根源的な「モテ要素」として残り続けているというのも事実なのです。








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