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飽きたときにどーするのか?

「つまんなーい、もう飽きた~!」

私たちは飽きる。
どんなに面白いコンテンツに関わっていても
やがて飽きて興味が薄れてしまう。

たとえば私の少年時代。
活字が読みたくてしょうがなかった私は
買い与えられた本は隅から隅まで熟読し
新聞、広告も必ず目を通す変わった子供。

活字も良いけどやっぱりマンガが好きで
特にその当時ハマっていた雑誌
『少年ジャンプ』はヤバかった。
気に入ったマンガを何十回と読み返して
作中のセリフを完璧に覚えては
友達に披露して気味悪がられていた。

(なんでみんなセリフ覚えないの?)と
不思議に思うほど、熟読は当たり前の私。
それくらい書物関連が大好きだった。

しかしどんなに本が好きな私でも
同じ本を1000回読め!と言われたら
さすがにげんなりしてしまう。

そりゃ、名作と呼ばれる書籍は
読めば読むほど(あっ、なるほど!)と
気付きを得られて面白いものが多い。
しかしそれも10回くらいがせいぜいな話で
1000回ともなると狂気の沙汰。拷問だ。
味のしなくなったガムはゴミ箱行きなのだ。

幸か不幸か、現代はコンテンツ天国。
本もアニメもドラマもYouTubeもSNSも
ほとんどお金をかけずに楽しむことができる。

これはどういうことかというと
飽きたとしても、代わりがあるということ。
かつての私のように同じ本を何度も何度も
読み返すことなんかない。
私たちは本能的に刺激を求める生き物なので
安全に、安価で、それなりの刺激が得れるなら
その方向に進むのは自明の理だ。

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・・・・・・
・・・・・・・・・

さてさて、『飽きる』というのは悪なのか?

小さい子を持つ親だったら
「飽きた~!かまって!面白いことして!」
という無限の欲求に応え続けているので
このコンテンツ天国な現代であっても
(永遠に飽きないコンテンツがほしい!)と
つねづね思っているのではないでしょうか。

これはつまり『飽きる』を悪いものとして
捉えてしまっている状態。

でも、『飽きる』って良い面もあるんです。
それは創造への原動力

実は、コンテンツを消費しつくして
『飽きる』を実感した私たちというのは
ここから二つの道を選択しています。

①別のコンテンツを探す
②自分でコンテンツを作る

ほとんどの場合「①別のコンテンツを探す」
を選択しますけど
稀に「②自分でコンテンツを作る」の方を
選択する場合もあります。

「僕もおもしろい漫画が描きたい!」
「なんだか小説書いてみたくなった!」
「誰もやったことのないことをやるぞ!」

こんな感じで、コンテンツに触れた後に
飽きる(満足して余裕が生まれる)を経て
イノベーション、すなわち新しい価値を
創造することにつながります。
これが『飽きる』の良い面です。

創造っていうと、ちょっと仰々しく
聞こえて身構えちゃうかもしれないけど
私たちが今やってるnoteも立派な創造。

面白い記事を読んで、触れて
(あ、これ私も書きたい!)となって
カタカタとキーボードを鳴らすことだって
立派な創造行為。
「②自分でコンテンツを作る」なんです。

結局何が言いたいのかといいますと
飽きたからといって「もっとくれ!」の
クレクレ星人になるのではなく
楽しさや気付きをプレゼントできる人に
なりたいなあということです。

もっとシンプルに言うと
noteやってる皆さんは素晴らしい。です。

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