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一生BUMP OF CHICKENが大好きだ@東京ドーム初日【雑感】

今日のライブの最後に、藤くんが涙を堪えながらこう話した。

「俺らがまだまだだった頃、多い時は100人、少ないときは台風でも知り合いが駆けつけてくれて10人ぐらいの前で一生懸命演奏した。それを思い出してさっき感極まってしまった。
こんなに大勢の人が集まってくれている。でも俺は大勢だとは思っていない、一人一人に歌っている。明日もあるけど、もしかしたら俺は明日息をしていないかもしれない。だから、今の君に歌ったつもりだ。
君たちは何千、何億、知らないけど何兆と音楽があって、その中で僕らの音楽を見つけてくれた。今日は僕らが君たちを見つけに来たんだ。これから何年、何十年、僕らの音楽は無くならない。僕らの音楽はいつもそばにいます。」

今まで「一生」という言葉を使いたくなかった。
今後BUMPを超えるほど救われるアーティストに出会うかも知れない。生涯を捧げたいと思う素敵な異性が現れるかもしれない。
長い人生、たった3時間弱のライブで「一生」を使うなんて、
人生を変えてくれたBUMPに対して使うなんて私にとっては安っぽいし、失礼だと思っていた。

今の君に歌っているんだ。
君たちは、僕らを見つけてくれたんだ。
僕らは今日、君たちを見つけに来たんだ。
僕らの音楽は、何十年経っても君たちの隣にいます。

藤くんが私に力を込めて歌ってくれている。
藤くんは、そう受け取って欲しいのだ。

私は人生を変えてくれたBUMPに恩返しをしたい。
だからCDを買って生で藤くんの歌を聴きに行くのだ。

私には前者の傲慢さを持ち合わせられない。

BUMPが度々曲を作ってくれて、CDを発売してくれて、ライブという場を設けてくれて、ただ活動してくれているだけでありがたいのだ。

でも、少しぐらい藤くんに甘えて「藤くんが私に歌ってくれている」と思って曲を受け取ってもいいかもしれない。


「今」の私に歌ってくれた。
藤くんが言うならば私のその「今」は永遠だ。
BUMP OF CHICKENに出会って8年になり今日のライブで
やっと、やっと、やっと、
こう言い切れると思った。


「一生BUMP OF CHICKENが大好きだ」


明日もBUMPに会える、朝いつも通り目を覚まして、息をしていますように。

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