幸せとか豊かさとか

もうかれこれ10年くらい前に顧客様から聞いた話。
何故だか今だにふとした時思い出しては考える。


とある貧富の差が多い国での話

ある貧しい少年は幼い頃両親を亡くし、ずっとおじいちゃんと生活していた。毎日生活を送るためのお金がやっと学校も行けずで身なりもボロボロ。
しかし優しいおじいちゃんの元でとても大切にされて育ち、貧しいけれど心は優しく育った。
ある日唯一の肉親であるおじいちゃんも事故で亡くしてしまい、天涯孤独になってしまう。
少年は悲しみに暮れたが、誰にでも優しかったおじいちゃんのご縁や一生懸命2人で働いている姿をずっと見ていた沢山の人たちの支えで、その後もひとりで一生懸命に働いていた。

ある日少年がお花を売っていると一台の高級車が通りかかった。
後部座席には同い年くらいの無愛想な少年と運転席には母親らしき人が運転していた。
「よかったらお花買いませんか?」と声をかけている間、後部座席の少年が持っているおもちゃがとても気になっていた。彼は生まれてからずっと貧しかった為におもちゃを与えてもらった事がなかったので、羨ましかったのだ。
それに気づいた無愛想な少年は「欲しいならあげる」と手に持っていたおもちゃをあげた。
貧しい少年は心から喜び、じゃあこのお花あげるよ!と今日の食い扶持であろうお花を渡した。それくらいとても嬉しかったのだ。
貧しい少年はとっても幸せだった。

一方、この高級車に乗っている少年。
とても裕福な家に育ち、家には召使が何人もいるくらいのお金持ちで、欲しいものは何でも買い与えてもらい、きちんと学校にも行くこともでき、何一つ不自由な事はなかった。
しかし、父親は外では女を作り、仕事を理由にあまり帰って来ず、たまに帰ってくると母親と喧嘩ばかり。
母親は父親の事で荒れに荒れ、息子に構う余裕もなくなっていた。
ー…いつしかこの少年は心を閉ざしてしまっていた。

そんな母子が向かっていた先は崖。
『ドライブにでも行きましょう』と誘われ出かけたのだが…実は母親は無理心中をしようとしていたのだ。
車は山を登り、崖へ向かっていく。
そんな事も何も知らない少年さっき貧しい少年がくれた花を見て…気分が良かったのか歌を口ずさんだ。

母親はそんな彼の歌を聞いてハッと気づいた。
何故ならその歌は家族がとても幸せだった頃よく歌っていた歌だったから。
崖から落ちる寸手のところで車を停め、後部座席にいる少年を強く抱きしめ、わんわん泣いた。


お金があれば幸せなのか、貧しくても愛情さえあれば幸せなのか。。。
幸せって何だろうねとティッシュ箱二つ潰す勢いで顧客様とボロボロ泣いた思い出。
貧富の差があっても、それぞれにこんな辛くて大変な思いをする事があるなんて…ただの作り話であって欲しいと。


今も時々思い出しては涙が止まらなくなる。
でも当時とは違った感覚。

お金がなくても人の愛情を沢山受けられたら確かに幸せだろう。
でもこの国ではお金がなければ生きていけないし、不自由する分だけ余裕はなくなり心も荒んでいく。
何より人間は欲張りな生き物だ。一つ満たされるとそれが当たり前になって、もっともっとと欲しくなる。
綺麗事では片付かない事が世の中多すぎる。



歳をとって擦れてしまったせいなのか。
私以上に症状の重い発達障害の子を持つ親だからそう思うのか。
コロナの真っ只中の今があるからこそ思うのか。

お金があれば幸せなのか、貧しくても愛情さえあれば幸せなのか。。。
きっとまたふと思い出しては泣けてしまうんだろう。

サポート頂けるようでしたら、大切に真夜中の至福の一杯に充てさせていただきたいと思います。 少しでもご共感頂けましたら幸いです。