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20代の後半、「ただ何となく人生を過ごしている」人に伝えたい。

20代も終わりに近づき、気になった事があるのでメモ。
今まではとにかく色んな人と話をしているのが大いに刺激になったし、自分の知らない世界を知れてとても楽しかった。でも、最近はどうもピンと来ない時が増えてきた。

それは周りに「ただ何となく人生を過ごしている」人が少しずつ増えてきた気がするからだ。

10代、20代の前半までは部活や受験、趣味や恋愛など、何かに目を輝かせてやっている人が多かった気がする。ある時は誰かの家で、居酒屋で、旅行先で、「将来はこれをやりたい!こんな風になりたい!」とワクワクしながら語り合う。

優秀な周りが熱く語ってるのを聞く度に「自分も頑張ろう!」と思える事が凄く多かった。いつの日か「やってやったぞ!」とお互いに言えるような日がくると良いなと思い毎日ワクワクした。

でも、社会人5,6年が経った今、周りと話をしてもワクワクしない事が増えてきて、最近になってようやくその違和感の正体に気づいた。凄まじく優秀で才能があったとしても、「ほとんどの人は人生でやりたい事、自分が何をしている時が本当に楽しいか」を知らない事が多い。

20代の前半までは、部活や恋愛、受験や就活など誰もが目指しやすい「わかりやすい普遍的な目標」が多かった。でも、そうした目標の多くは「誰かに与えられたもの」であり、「やる必要があるからやっていた」だけではないだろうか?

だから20代の後半になると敷かれたレールが薄くなっていくから、何かに一生懸命な人はどんどん減っていく。すると、当時はあんなにキラキラしていた人がドンドン面白みが削れて凡庸な味になっていく。。。

少しだけみんなに問いかけてみたい。
「あなたの人生の夢は何ですか?何をしてる時が楽しいですか?」と。

新卒1,2年目くらいまでは「夢ややりがいなんてなくても別に生きていけるし、そんなもん要らなくても幸せになれる」と思っていた。だから周りにそんな事を敢えて聞かなかったし、才能や実力がある方がずっとずっと大切なことなんだと思ってた。

でも、最近はそうじゃない、と思い始めた。
優秀であっても自分のやりたい事がわからない人は、何が望みかわからないから人生の岐路に立った時に決断する事ができない。単純にリスクが低い、辛くない、周りが望むだけの選択肢を選ぶ事が多い。だから本当はやりたいことでも夢を持って頑張る人に負ける事が多いし、いわゆる「おっさん」化していく。(とはいえ才能だけで上手くいくときもある。)

もちろん、常にリスクのある大胆な選択をする事が正解なわけではないし、正解かどうかはその人が決める事なので、無難にすること自体は悪いことではないと思う。

ただ、「自分にとって何が正解かどうか」判断できないことは、割と人を不幸にする気がしている。「そんなことはない!知らなくても楽しい!」と言う人は多いかもしれない。でもそれは「器量よく、批判されずに上手く生きられるだけ」で本当は分かっているはずだと思う。「なんかつまらないな、あんまり楽しくないな」と。

自分が何がしたいか、は「何ができるか」とは関係がない。全員が見つかるとは思わないけれど、それでももっと多くの人がもっと自分について知ることはできると思う。

これは「仕事で大成功する」とか、「イケメンと結婚する」とか、そういう目標を持とうよ!と言ってるわけじゃない。そうじゃなくて「自分が何をしている時が楽しいのか、これからどうしたいか」はちゃんと決めておこうよ、ということなのだ。

「仕事は定時で切り上げて、ビール飲みながら野球見るのが楽しみだ!」と思うならそれで良い。「家庭を持って、幸せな家族にマイホームがあれば良い」と思うのも素敵だと思う。が、さらっと言う人は多くても、本当に幸せそうにそう語ったり、そこに向かって何かアクションをとる人は少ない気がする。


人生は一生に一度だけ。
だからこそ、今一度、少しだけみんなに問いかけてみたい。
「あなたの人生の夢は何ですか?何をしてる時が楽しいですか?」と。

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