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【ネタバレ有】インセプションのラストの考察

監督本人も半ば認めている通りあえてどちらとも取れるようにしている事から解釈が別れている本作のラスト。
私なりに考察してみたのでそれをご紹介させてください。
まず私は「コマは回り続けた」派なのでその視点から考察していきます。
そう考えた理由としては「メメント」と「インターステラー」から受けた監督の作風からこの監督は割と真面目というのか、同じく難解な最後の多いイニャリトゥ監督の「ラストはあえて言わないよ。この映画を観てどう思うかは君の勝手だ」といったある種突き放した姿勢ではなく(イニャリトゥ監督も好きですが)ちゃんと応えに至る伏線は残してくれているのではないか、最後コマを映したシーンにも余韻を残すだけでないちゃんとした意味があるのではないか。そういった思考から考察していきました。

細かい考察に至る前に結論から言うと私はコブはラストの時点ではまだ深淵から出ておらず、子供と再開したのはまだ夢の中。深層心理の最奥である深淵の中の出来事であり彼の願望を映しただけではないかと思います。



そう思った理由…作中の違和感(ヒント)をいくつか挙げていきます。
まず、ミッションの最後、深淵でサイトウと再会して会話をした際にサイトウが銃に手をかけた瞬間、撃たれるシーンがないままコブは機内で目を覚まします。
その際、コブも(え?なんで?)みたいな表情をしています。
深淵より下はないのですから以前の夢のアーサーみたいに普通に射殺されて帰還でもいいですし、物理的にもいくら夢の中とはいえ、過去の事を忘れる程耄碌して自分の事をそういった年齢の老人であると思いこんでいるサイトウにコブが認識できない程のスピードでの早撃ちができるとは思えません。
そしてメタ的な理由でも、意味もないのにわざわざコブがその事に違和感を感じるようなシーンを作る必要性もありません。となれば逆に意味があるシーンだと思います。

その意味というのはコブは銃で撃たれて夢から覚めたと思いこんでいた(思い込もうとした)だけで、実際は深淵の世界でサイトウの豪邸に辿り着いたように再び自身が構築した機内の世界に意識を送り込んだのではないでしょうか。その後、その世界の延長線で念願叶って子供達に再開します。

そしてここでいよいよ私が物語に他にも存在した違和感(ヒント)から導き出した推測を総合して上記の結論に至った理由を述べていきます。

まず前提として私はコブは子供たちに会うことを望んでいたなかったと思います。「子供たちと再会する」これはコブの一番の目的ですから意外と思われる方は多いと思います。
ただ、作中何度も印象的に語られる子供たちと会えない理由、これはコブの口から数度語られますがその度に安定していないというのか随分と二転三転しているというかフワフワしています。
まずアリアドネに語った「俺が殺したと思われている」確かにコブの世界での記憶から判断するとそう思われても仕方ないように思いますが、コブ本人は触れてもいないわけですからその状況で警察がそう断定するのかという疑問がありますし、警察ではなく「お前が殺したようなものではないか」という家族の感情論の問題であればそれをどうこうしてくれとサイトウに頼むのは理由が立ちません。

次にその夢の世界でモルが語った彼女の言うところのコブの夢への未練を断つために「どちらにせよ子供には会えなくなる。弁護士に夫に殺されそうと伝えてあるから」これも具体性がないというかなんて頼んだの?という話ですし、理由が理由であれ親権が絡むわけですから夫であり子供の父であるコブが全く承知もしないまま周囲からすれば明らかに正気に見えないであろう彼女の独断でそんな事を決める事が果たして可能なのかなと。
コブが妻殺害で逮捕されてたり法廷で「夫コブは500m以内に近付くことを禁ずる」みたいなシーンがあれば別ですがそんなシーンはなく、これもあえてボカしているように感じます。
さらに言えばどちらの理由であれアーサーやイームスといった知り合いやエクストラクトを使えばなんとかなりそうな問題であり、つまりコブは理由を取り繕ってまで子供に会うことを避けていたと推測します。

そしてこれも一見はかなり謎のシーンなのですが、インセプションミッションの夢の一層目でコブ達は武装した集団と突然出現した列車からの襲撃を受けます。

この武装した集団というのは大企業の御曹司として情報面でのリスクを抱えるロバートがかつてのサイトウのようにエクストラクト対策で訓練により潜在意識を強化した結果身につけていた物だと解りますが、あの列車はなんとコブ自身が呼び出したものであろう事がアリアドネの口から語られコブ自身もそれを認めるような反応をします。
では何故コブはわざわざ自身のミッションを妨害するような真似をしたのか、これは以前にコブ自身が訓練でアリアドネに語った所の「夢の抗体反応」が関係しているのではないかと思います。

夢というのは異物(いるはずのない他者の意識)がいたりあまりにも現実離れした内容、望まない展開が起きれば表層的な心理が防衛反応を起こし混乱したり攻撃的になったりするそうです。
ではコブは何を望まず、何から防衛しようとしたのか、それはミッションの成功。そしてそれにより子供と再会する事ではないでしょうか。
そして何故列車なのか、これは深淵の世界に彼女の深層心理を(そうとは知らずに)残したまま列車で現世に旅立った事へのトラウマだと思います。
そしてまたメタな話になりますが、銃で撃ち合ったりカフェで爆発に巻き込まれたりしても帰還できる事が実証されているのに夫婦で列車に轢かれるというわりと凄惨かつ特異な死に方を選ばせたのもトラウマへの印象付けだと思います。(爆発や銃弾だと作中に普通に起きる事象と見分けがつかないので)
そしてそれを言い出せばミッション中に度々現れるモルの幻影も勿論彼自身の後悔もありますが、ミッションを失敗するための(子供と会う足がかりができないための)防衛反応、セーフティーだったのではいでしょうか

極めつけは、サイトウを深淵から救出する際にコブは「今が現実でない」事を彼に告げています。現実世界にまで影響をおよぼす為に深層心理のなるべく深い所で意思を植え付けるというのはこのミッションの目的でありますが、妻を失った事からも同時にそれは非常に危険な行為である事が解ります。
そうであるにも関わらずしかも妻を失った時と同様の植え付けをこれから物事を頼まなければならないサイトウに深層心理の最深部である深淵において行うというのはいくらなんでも軽挙すぎると思います。彼にもかなりの高確率での自殺の危険性が発生するわけですからね。
実際に(僕の推測からすればこれもコブの夢の中ですが)起きたサイトウは狂ったように今が夢かを確かめる度に自身のトーテムを触りまくっています。これもコブの子供と会うことへの後ろ向きな意識の現れだと思います。

以上の事からコブは子供に会いたい会いたいと言っておきながら実際は何らかの理由で…おそらく「自分が殺したようなものだ」といったような後ろめたさ等から子供と会うことを完全に諦めていた…会うことを恐れていたのだと思います。

つまりコブにとっては子供というのは亡くした妻と同じく夢の世界でしか会えない対象なわけです。

そしてそれを無意識に受け入れたコブは深淵において子供たちとかつての妻とのような日々を過ごすという彼にとっては幸せなエンディングを迎えてスタッフロールが流れるもキックの音楽…がかかり(おそらくコブに同情的だったアリアドネや友人のアーサーあたりが助けに来た)そしてコブは再び悲しい現実の世界へ・・・・
という事なのだと思います。

最後にこれを裏付ける理由をもう一つ。監督は最後の解釈は観た人に任せたいという態度を示しつつも「一番大切なことは、最後のシーンでコブがコマを見ていないということだ。あの時、彼はコマでなく子供たちを見つめていた。彼はコマを捨てたということなんだ。」というヒントを残しています。
この発言を頭に入れた上で該当シーンを改めて見ると、コブがコマから目を離すのとモルが金庫にトーテムを入れ「真実を忘れる」事で夢に囚われて生きる事を選ぶシーンとがリンクしている気がしてなりません。

以上、基本的には先述の監督の態度通りどんな結末を迎えたのは観た人に任せるという種類の作品だと思いますが、私はこう思ったという考察でした。



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