【ネタバレ】プロジェクト・アルマナックのラストシーン考察【観た後に】
どっちともとれるラストだったのでネットで調べてみた所、僕の考えとは違う考えの人ばかりだったので自分はこう思ったという考察をしたいと思います。
まず最後のあらすじを大まかに書くと、タイムパラドックスにより友人や愛する人であるジェシーを失った事への反省から過去へ(父との別れの日)と戻ったデイビッドはタイムマシンを破壊する事で将来にタイムマシンを発見して過去を改変する事になるという事実と記憶を消し去るが、ビデオカメラに映っていた内容からタイムマシンの存在を再度知ってジェシーに会いにいき「まさかとは思うけど僕らは世界を変えられるんだ」と話しかけた後カメラ目線でfin…
というものでした。この流れから一般的には、「記憶を失った事でタイムパラドックスの恐ろしさも忘れてしまったデイビッドがまたタイムマシンを作って悲劇を起こすであろう事を予感させる」というどこかループ物的なバッドエンドとされているようですが、僕はそうは思いませんでした。
まず、この作品は終始、手持ちカメラ越しの映像だという特徴があります。つまり作中の出来事は全てビデオカメラに記録されているわけです。
なのでデイビッドがビデオカメラによってタイムマシンの存在を知ったという事は、その他の情報、仲間や自分のやらかしも見てタイムパラドックスが起こる危険性とそのリスクを承知している可能性が高いと思います。
その証拠にデイビッドは冒頭のシーン以外にもビデオカメラの内容を見たようで先述のエンディングではジェシーの発言を先読みして話をしています。
次に、デイビッドが完成させたタイムマシンは政府の特殊機関で仕事もしていたような天才科学者である父が完成寸前で置いてあったものを引き継いで完成させたわけですが、先述のように最後に過去に戻ったデイビッドはタイムマシンを、さらに設計図さえ燃やしています。
タイムマシンを設計図も無しに頭は良いけどかといって奨学金をもらえる程でもないという学生のデイビッドが一から作れるのかという物理的な問題が生じます。
以上の事から僕はあのエンディングはバッドエンドではなくて、タイムマシンのリスクは知りつつもジェシーが自分の事をどう思っているか等の未来の情報は知っているという、あの経験は無駄ではなかったという言ってみれば「強くてニューゲーム」的などちらかというとハッピーエンド的な終わりなのではないかと思っています。
あえて曖昧にしているのは、どちらもとれる事で「人生はどうとでもなる」的な余韻を残したかったのではないかと思います。が、僕は個人的な好みですが、どちらともとれる系のエンディングが好きではないのと、僕の仮説が正しいとすれば実際に大半の人は勘違いして映画を理解しているわけですからなんというか勿体ないなと思います。
せっかくいい作品で終盤も綺麗にまとまっていたのだから変に欲張らずに例えば「強くてニューゲーム」記憶は失ったものの成長したデイビッドルートであれば
ジェシー「なんで私が話す内容が解ったの?まるでタイムマシンで未来から来たみたい」
デイビッド「そんな物なくても君が何を考えてるかぐらい解るさ」
バッドエンドルートだと
ジェシー「最悪。香水臭くてもうこのカバン使えないわ。お気に入りだったのに」
デイビッド「大丈夫。過去ぐらいいくらでも変えられるさ(ニヤッ)」(カメラ目線)
とかの方がシンプルでよかったのではないかなと、そもそもビデオカメラのメモリーとバッテリー容量どないなっとんねんというメタなツッコミもあるものの僕の個人的な感想としてそう思いました。
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